昨夜は高校時代のラグビー部の同期と後輩と都内某所で再会。同期については約20年ぶりの友人もいた。後輩については高校卒業以来になるから約30年ぶりである。何でこんなに会わなかったかというと、僕が娑婆の世界からかけ離れた生活を長く送ってきたことが大きいと思うがよく今回会えたな、となんだか神様のいたずらを感じてしまう。

みんなから名刺をもらったがみんな一流企業で、中には雇われではあるが40代で社長の肩書を名乗る奴もいてびっくりした。一方同期で亡くなった人もいると聞いて人間の因縁の深さを実感するとともに今生きていられることへの感謝を新たにしている。


話すことといえば、やっぱりラグビー部の話が多くなるが、昔のことになると友人の方がよく覚えていて自分がとっくに忘れている話に出会えるから面白い。いつの日か、雨の日の試合で前半でボロ負けしている中、1人蚊帳の外で全くユニフォームが汚れていなかった私がハーフタイムに顧問に怒られるのを恐れてすっかり水浸しになったグラウンドの上を数回ゴロゴロ転がってわざと汚したという話は、あ、確かにやった気がする、と記憶が蘇った思いがした。


今朝も嬉しかったせいか、職場のスタッフの人に思わず昨夜のことを話していた。

何で今までそんなに会わなかったんですか?とか今回会えたのは何か意味があるのかも?とか言われたが、もしかしたらそうかもしれない。同期会、ビジネス、意外な人脈につながるとか、ともかく今後の展開を眺めていきたい。




「帝銀事件」という出来事を知っているだろうか。いまだGHQの占領下にあった昭和23年、帝国銀行椎名町支店、現在の豊島区長崎、現在も西武池袋線で椎名町駅という名が使われているが、突然その銀行の支店に現れた初老の男性が周辺地域で集団赤痢が発生したと称して行員に予防薬を飲ませて12人を毒殺した事件である。

一昨日たまたまYoutubeを開いたら帝銀事件を扱った映像がアップされてきた。


映画会社の松竹が無料で公開している映像で、映画かと思ったらテレビ朝日と共同で製作したテレビドラマらしい。ともかくこれは見なくてはと昨日仕事の合間に観賞した。



じゃーん、知る人ぞ知る田中邦衛である。もう亡くなってしまったんですね。そもそも今どれくらいの人が彼を知っているかわからないけど一般的にはフジテレビの「北の国から」の五郎役といえば通じるのかな。私は「仁義なき戦い」の槙原政吉役のクレージーかつ風見鶏的な策士のキャラクターの印象が強く本作品では古志田警部補役で出演しており、帝銀事件の被疑者として逮捕した平沢貞通に厳しい尋問をかけていたぶる。戦後間もない頃だからまだ特高時代をひきづっている刑事も多かっただろうから実際は映像以上の尋問だったかもしれない。


平沢貞通といえば日本犯罪史の中でも屈指の人物といえる。私は中学時代松本清張氏を通じて帝銀事件を知った。松本清張氏のノンフィクション作品といえば「日本の黒い霧」が有名だがこの作品ではなかった気がするがともかくこの平沢貞通の数奇な運命は中学生だった僕の心を惹きつけた。


本作品では仲谷昇という俳優が平沢役を演じている。なんとも素晴らしい怪演である。仲谷昇はフジテレビの「カノッサの屈辱」の印象しかないのだが平沢の変人ぶりをいかんなく現していたように見えた。


本作品含めこの「帝銀事件」には特筆すべきところがありすぎてとてもではないが全てを書ききれないので今回はまずこの辺りで。ともかく恐れを知らない読者の方はまず本作品を視聴してみてほしい。シリーズ題名もとりあえず仮で。

週末土曜日は新陰流稽古。久々に師と一対一の時間が多くて緊張した。


「浮沈」と我々が呼んでいる身体操作がある。天地から、もっとわかりやすく言えば身体の上下両方から作り上げる力の作用を太刀全体に伝える方法について模索している。わかりやすい言葉を探して表現してみたが、上手く説明できないのがもどかしい。

体術、身体と身体なら浮沈の作用さえ作れば相手にその作用を伝えるのはそれほど難しくないが、刀が介在すると途端に難しくなる。刀を持つことで斬るという意識が顕在化するのが常のことで切先に意識が向くことで切先が下に向かう円運動になってしまう。

刀で崩すということは斬ることとは別次元である。切先に意識はなく刀全体を使って相手を崩すのである。

そのためには上半身よりも下半身から立ち上がる意識、師と稽古して最後はだいぶつかめた。あとは刀との接点となる手の内。改めて鍛え直したい。身体をいじめ倒したい2024年の夏。

昨日の地理の授業での出来事。テーマがロシアの地理だったのでシベリア鉄道について話した。ウラジオストクからモスクワまで約7日かかること、風景もあまり変わり映えしないこと、シャワーやトイレも旧式のままの車両があること、だれがのってくるかわからないこと、これが僕にとってはリスクと感じたんだけど、聞いてくれていた生徒は面白そうだ、いつか乗りたいと言っていた。

この違いはなんだろう。年齢の差と片付けられない何かを感じている。僕は予想される危険があればそこには向かわない。彼は危険があることを承知でそこに向かう。世界を開くということにおいてこの差はあまりに大きすぎる。一度きりの人生。ちょっとした危険にびびりたくない。

ここ数年世界史や地理を勉強することが習慣になったがやっぱり現地に出向いて見てみたいという気持ちが出てくる。


昨日は本当に久しぶりに時間の余裕ができて本屋に立ち寄ったが、歴史コーナーで宮脇淳子氏の「満洲国から見た近現代史の真実」を見つけて2時間近く立ち読みしてしまった。内容としては満洲国そのものについてはあまり書かれておらず、近現代史の解説も聞いたことのあるような内容ばかりで正直物足りなかったが、満洲の地理的な情報の説明を聞くとワクワクしてくる。大興安嶺山脈を挟んで東側が満州で西側はモンゴル高原。瀋陽や遼陽という土地でモンゴル人と満州人、かつては女真、女直といったが、お互い交易を行っていたという。女真族は狩猟民族として有名だが世界的にも珍重されたのが満州の地にいた動物の毛皮でかなり高価な値段で売買されていたらしい。川も中ソ国境の一部をなすアムール川から松花江、牡丹江など豊富な支流が日本海、渤海、黄海などに流れ込む。そんな雄大な自然をいつか目にしたいものだ。


日本人は日露戦争で旅順、大連の租借権および両都市を結ぶ長春以南の南満州鉄道の経営権力を獲得したことを皮切りに現地に関東都督府と南満州鉄道株式会社、いわゆる満鉄を設立し満洲経営に乗り出していく。満州事変は現在の日本の歴史教育は侵略行為と否定的に説明されるが、一方宮脇氏は満洲の国家的価値、つまり日露戦争で日本国民が命をかけて手に入れた土地であるとともに、本土から満洲に夢を描いて移住した日本人はもちろん、朝鮮、台湾とともに当時の日本本土の経済にとってもなくてはならない土地であったこと、また共産革命を掲げる北方のソ連から中国本土を守るのは中国統一にこだわる南京国民党政府には至難の業でソ連の南下を防ぐためにも関東軍が満洲全土を確保することを何よりも必要だったことを指摘している。有名なリットン調査団の報告書でも日本が満州利権を確保する必要性については一定の理解を示している。


満州国についても関東軍の傀儡政権という一般的な見方に全く異議を唱えるつもりはなく、関東軍の暴走と日本の戦況の悪化によって崩壊の道をたどっていた。


しかし満洲人の根拠地に満洲国ができたことは溥儀をはじめとする清王朝関係者に王朝再興の道筋ができたことは確かであり、満洲国が謳った「五族共和」のスローガンはかつての清王朝がモンゴル、青海、チベット、新疆に住む人々に自治と現地文化の維持を認めた藩部支配を呼び起こさせる。

うまく行かなかったという結果だけを見るのではなく、このような清王朝の優れた制度を意識して移植させた人がかつての日本人の中にはいたのだろうか。そして本当にその夢のために生きた日本人がいたとしたら。。。

そういえば気づけば都知事戦が終わっていた。
結果は予想通りで緑のたぬき帝政が継続することになった。また相も変わらず何やってんだかわからん都政が続くことになるのか。投票に行かなかった分際なので口は慎まなくてはいけないがとにかく余計なことだけはしないでほしいなあ。
緑のたぬき以下上位の2人は都政に興味ないこと丸出しで都知事選を宣伝に使うな、といいたい。男性の方はネット戦略が長けていたようで
周りでけっこう彼の名前を挙げていた人がいてある人からは彼への投票を促されたからびっくりした。
女性の方は選挙の終盤戦に街中にRシールを貼りまくっていたらしいが法律的に大丈夫なんだろうか?選挙戦告知前のパンフレット投函もそうだが限りなく黒に近いグレーを明日も行く。
ネットで話題になっていた暇空茜さんがけっこう票数重ねていたのはびっくり。日本のさまざまな闇に風穴を開けるすごい人。ただ某取材するYoutuberの暇空氏にインタビューする企画を見たけど言葉がきつくて人格的にはちょっとなあ、と思ってしまった。

某取材するYoutuberの都知事選候補インタビュー企画で1番好印象を持ったのは桜井誠さん。以前彼のYoutuberチャンネルをみていた時期もあったがとにかく信念があるし過激なイメージもあるが至って紳士だった。北九州市出身で在日朝鮮人集落との軋轢を身をもって経験しているだけに在住外国人が増えていく今の日本の現状にも言いたいことあるんだろうな。

コロナ騒ぎの前後で情報収集をインターネットに切り替えたおかげでさまざまな質の高い情報に触れることができるようになったのはありがたい。
中には知りたくなかった真実もあったりするが知るべきことを知っておかないと状況判断を誤ることになるからやはり大切なことだといえる。
武松といえばなんといっても景遥岡の2頭の人喰い虎を退治したエピソードがあまりにも有名である。景陽岡に超える前に酒をしこたま仕込んですっかり泥酔状態なのに素手で倒しちゃうのだから物語とはいえ恐れ入る。陽穀県の都頭になれたのもこの厄介な人喰い虎を武松が倒した話を聞きつけた県令がぜひこの土地を守ってほしいと拝み倒してスカウトしたからであった。武松も故郷である清河県に帰る途上で、故郷に帰ったら武大の饅頭屋でも手伝おうか、とでも思っていたかもしれないが、都頭となれば饅頭屋より当然金も弾む。じゃあまあこれも一時の縁、お世話になるか、ってなものだったろう。ところがその陽穀県で兄の武大に偶然出会ってしまうのだから運命の悪戯とは本当におそろしい。しかも兄嫁が武大よりかなり年下でどちらかといえば自分と年の近い男を魅了してやまない妖しいまでの美女と来たらまあそれは驚いたという言葉では済まされない。豪傑でならした無頼漢の武松とて男も男盛り。所詮石仏ではない。金蓮の美しさに惹かれた自分を隠そうと動揺したに違いない。そのことを金蓮もはっと気づいたに違いない。そして金蓮自身も武松と出会ったその刹那でくらくらしてずっと隠していた女の部分が騒ぎ始めたのである。

「主人の弟が今街で評判の都頭さんだったのね。同じ兄弟でこんなにも姿形が違うことがあるのかしら。勇敢な眼差し、堂々とした身体。。。」

あまり直接的な表現を使うとエロチックになりすぎてしまうのでよい子の読者の方は想像力を働かしてほしい。

「それに都頭さんも私の姿を見てハッとしてびっくりしてあわてているように見えたわ。私よりはいくらか年下に見えるわ。ふふふ。なんとか手なづけて可愛がってあげたいわ。。。」

いかんいかん、、、やっぱりエロ小説になってしまいそうだ。とはいえ、この物語はただ美しいだけではなく人間的な欲望もふんだんに兼ね備えた「ダークヒロイン」金蓮という存在をどのように際立たせることがなによりも肝なのである。
金蓮を見る人は彼女の美貌にさまざまな態度をとるだろう。中でも男の目はさぞかし物欲しげな、また未練がましい姿に彼女からはうつるかもしれない。

「ほんとにそんな淫らな目で見ないでほしいわ。。。」

しかし一度彼女の眼鏡にかなう男が目の前に現れるやいなや、それまで押し留めていた愛欲はしびれを切らしたからのように溢れ出さんとするから危うい。

彼女が男に色目を使うのは男が戦場に敵を見つけて刻の声をあげるのとまた同じなのである。
彼女にとって男を愛することは男が戦場に打って出るのと等しい。

「この可愛い人をどう料理しようかしら?」

次回以降の金蓮と武松の出会いからその後の展開は横山光輝「水滸伝」もしくは吉川英治「新・水滸伝」のストーリーに準拠して書くつもりだがそれよりも古今東西女性が男性を誘う仕草とはいかがなものなのだろうか?もうそんなことはすっかり忘れてしまった年齢となったが金蓮の再会につけ思い出してみてもいいかもしれない。
先日のブログで触れた中国北宋末期を舞台とした小説「水滸伝」の中で語られる梁山泊百八星の1人である行者武松と絶世の美女、潘金蓮に関わる物語をテーマとして数回にわたって潘金蓮の心情の分析を中心に書いていきたいと思うのでどうかお付き合い願いたい。

この話は単純に見れば武松の仇討ち物語である。時代劇のテレビドラマでは勧善懲悪がたびたびテーマとなるが、この話でいえば殺された兄の武大の敵討ちをした武松が善であり、ダンナである武大を殺して近所の色男、薬屋の西門慶に入れ上げた金蓮は悪ということにするととてもわかりやすい。私も幼少期にこの話に触れた時は潘金蓮はなんて悪い女なんだと思ったし、武松が見事金蓮と西門慶を殺して兄の仇をとった姿の方がかっこいいと思った。

が、勧善懲悪の物語では悪であるはずの潘金蓮の心の内はいかほどだったのだろうか、と心を寄せる人はあまりいないように思う。中国史においては「ダークヒロイン」と呼べる悪女、妖婦、淫女が多く出てくるわけだが潘金蓮は中国におけるそんな女性を象徴する結晶ともいえる。今後潘金蓮は「金蓮」と呼ばせていただく。

金蓮は現在の中国河北省の清河県の商人に仕えていた。若くて美しい金蓮を商人がほっておくはずもなく、商人は金蓮に関係を迫る。しかし金蓮はこれを断り逆に商人の浮気を奥さんに告げ口してしまう。そのことを根に持った商人は県でも一番の醜男、武大と金蓮を無理やり婚姻させてしまうのである。2人は人目を避けて誰も知る人のいない現在では山東省の陽穀県に移り住む。商人にしてみれば俺の誘いを断った見せしめというところらだろうか。しかし利用された武大もなんともかわいそうである。

この時金蓮が以下のような気持ちを抱いていたことは想像に難くない。

「何よ!偉そうに。金でこの私が口説けるとでも思ってるのかしら。アンタみたいなおじさんには興味ないのよ」

「しかも奥さんに告げ口した腹いせにこんな風采の上がらない不細工男を私に娶らすなんてどこまでも意地の汚い男なのかしら。いつかみてらっしゃい。必ず私に相応しい男を見つけて見せるから。。。」

なんとも鼻息の荒い気の強さであるが主人の奥さんに告げ口したのはやはりよくなかった。私の美貌はすごいでしょ、貴女の旦那の気持ちはあなたにはないのですよ、という奥さんへの当てこすりの気持ちもあったのだろうか。

しかしこれだとただの性悪女になってしまう。金蓮の類まれな美貌にぶさわしい気位の高さの裏には男に尽くす優しさも、また男に優しくしてほしいと思う愛らしさもまたあった。

武大は貧乏な饅頭屋で風采もあがらず近所にも不釣り合いな夫婦だと馬鹿にもされていた。しかし武大にしてみれば金蓮ほどの美人を嫁に迎えるなど渡りに船で自慢の種であり、金蓮を毎日大切にして優しくよく尽くした。最初は不満だらけの金蓮だったが徐々に武大の不器用な優しさに打ち解けていくのである。金蓮は並外れた美貌をもってはいたものの、元々は商人に使われる一介の小女だったわけだから決して恵まれた身であったとはいえない。愛に飢えていたのもしれかい。

「この人見かけはよくないけど私のこと大切にしてくれる純粋な人だわ。生活は決して楽じゃないけど私も家庭を持てたのね。これが普通の幸せというものかしら。。。」

しかし!そこに夫の武大とは似ても似つかぬ堂々たる体躯、しかも美男子、街でも虎を退治したと評判の都頭、武松が兄の武大を訪ねて金蓮の目の前に現れた時、金蓮の女性が再び燃え上がるのである。(続く)

家の外に出たら今日もやっぱり暑い。が、曇りがちで陽射しがささないせいか汗がかけない中途半端な暑さである。


水滸伝は中国では「白話文学」といって簡単に言えば日常生活で使う言葉で書かれたものである。それまでの中国では何を書くにせよ、やれこの形式、やれこの言葉を使え、やれ韻を踏め、とかあれこれしばられていたのだろう。それが唐宋の時代になって漢詩の世界では李白とか杜甫とか、欧陽脩やら蘇軾やら唐宋八大家なんていう人たちが現れる中で少しずつ方向性が変わっていったのかな、と想像している。誰かか知らないが作られた物語はやがて一般の庶民にも口伝えに広まってやがて仕事の合間にみんなで集まっては誰かが話す物語に耳を傾けてはつかの間の楽しみと安らぎを味わうようにもなった。


日本で言うと落語とか講談なんていうジャンルになるのだろうけど、いわゆる「語る」ということには以前から興味を持っている。演劇も言ってしまえば同類なのだろうけど、我々人間が語らずにはいられない、ぜひ語りたい言葉というものがあってそのことを意識して書いているなあ、と思える作品に出会うと本当に心が洗われる気になる。泉鏡花とか中里介山、チェーホフもドストエフスキーも、映画だと小津安二郎も今まで出会ってきた作家の作品の中には言葉の力というものがふつふつと宿っていてぜひ声にして発する機会が作れればと願っている。それかな声に出さないとわからないことがあると思う。


社会科の勉強にかまけているとどうしても文学や映画に触れる機会は少なくなるのだけどYoutube文学朗読チャンネルっていう構想は前からあってずっと何もやらずにほっといているが、パソコンも新調することにしたのでまずは実験的なところからでもやっていこうかな、と思っているのでよろしくお願いいたします。

今年もついに7月に入る。昨日今日、陽射しに刺されて顔も腕も真っ赤である。日焼け止めクリームが必要かもと人生で初めて思えてきた梅雨もそこそこに夏本番の様相である。


そんな中私は相も変わらず歴史を教える日々。今日は中国史で宋が登場。中国では統一王朝のひとつに数えられるが軍事的にはからっきしで遼や西夏に押され平和を金で買う弱腰を見せる。一方

、平和が長く続いたおかげで文化経済が飛躍的に成長したことも間違いない。


そしてなんといってもこの宋の時代といえば「水滸伝」である。小学校の時父が持っていた横山光輝が書いた漫画「水滸伝」に出会って以来、彼らの任侠の世界に虜になった。同時に「三国志」も横山光輝からだったが今ではどう考えても「水滸伝」の方が私に大きな影響を与えている。「花和尚」魯智深など百八星全ての人物にニックネームがあり、キャラクターも林冲のような真面目キャラから李逵、王英のようなトラブルメーカーまで多種多様である。また、梁山泊に宋江以下百八星が集結するまでのライバルとの戦いももちろん面白いのだが百八星が梁山泊に身を投じるまでのエピソードがドラマチックで俊逸なのである。中でも「行者」武松が兄嫁の潘金蓮を殺すエピソードは昼ドラを軽く越えるドロドロぶりで幼少ながら女性は怖いと学んだわけだが実人生ではあまり生かされなかったか。

次回は梁山泊の好漢の中で武松はじめ印象的な人物に触れていきたい。