先日、
『私だけ年をとっているみたいだ
ヤングケアラーの再生日記』
を読みました。
病気から大きく影響を受けた母親が
まだ低学年のわが子に包丁を向ける場面がありますが
これもほんとうにリアルです。
マンガだから、映画だから、の世界ではなく
実際に起こっていることなんです。
そして、子どもは逃げるすべを持たない。
誰に相談すべきかもよくわからない。
SOSを出せないままに
この家庭で暮らす選択肢しかないのです。
心に大きな負荷がかかり
その影響は、育った家庭を離れたとしても続きます。
大人になってからも
生きづらさを抱える方にたくさん会ってきました。
ただ、このわが子に包丁を向けてしまう母親も、
切ないなぁ、と思います。
マンガの後半、年とった母親と主人公が
一緒に家を片付けるシーンがあるのですが
新しい筆箱が出てくるんです。
小学校低学年の子が使う、四角い筆箱(伝わるかな?)。
主人公の子が当時「こわれちゃった」と言ったので
買っておいたものだったんです。
わが子を思う気持ちは確かにそこにあったのに
病気の陰に隠れてしまい、伝わらなかった。
もし、この筆箱が当時の主人公の手に渡っていたらなぁ、と
思わずにはいられませんでした。
主人公は何度もまわりの大人にSOSを出そうと試みますが
うまくキャッチしてもらえません。
支援に携わっていて思うのは
小さな小さなSOSを、
目を凝らさなければわからないようなSOSを
拾い上げる感性をもっていたいということ。
自分の感覚で「大丈夫」「よくあること」と
なかったことにしてしまわずに
ちゃんと拾い上げる勇気を持ちたいと思います。
また、マンガの中で
「困っていることある?」と聞かれた主人公が
「困ってはいないかな・・」と
口をつぐんでしまう場面があります。
「困っていることある?」は
日常とてもよく使ってしまうフレーズですが
「困っている」はとてもあやふやな基準で
「困っているか」と聞かれたら
「困ってない」と思ってしまう人はとっても多いのです。
私は、
「今、私に言いたくなっていることがありませんか?」
というフレーズを
いつの頃からか好んで使うようになりました。
困っているかいないか
言う必要のあることかないことか
助けを求めることなのかそうでないか
という判断を、
困難な状況にある人にゆだねるのは酷だと思うからです。
私に言いたいことは、言ってみてほしい。
その先は、考える余裕のある者が考えればいいのだと
今は思っています。
精神科訪問看護でのご家族が同席しての対話~対立関係に向き合うときの心がまえ~
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