ダンテのアナフォラ修辞法 | この世は舞台、人生は登場

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まえがき

   『神曲』に描かれた煉獄第一環道の最後の区画には、傲慢の罪を戒める13の代表的な事例が彫刻で刻まれていました。それらは皆、出口を飾るに相応しい優れた出来栄えの彫像でしたが、実は、それらの描写にも、ダンテの極めつきの修辞技法が駆使されています。それは、固有名詞を列挙して歌い上げる「カタログ技法」という表現法の一分野である「アナフォラ(首句反復法:anaphora)」という修辞法です。今回のブログは、極めて難解なものになるかも知れませんが、ダンテの韻律法と修辞法について具体的に見てみましょう。そして、このブログをお読みくださる読者の皆様は、まず、「『神曲』煉獄登山19.傲慢を戒める彫像(前篇)」と「『神曲』煉獄登山20.傲慢を戒める彫像(後編)」と「西洋叙事詩の韻律」の三篇に目を通されることを推奨します。前回のブログ同様に、難解な内容になります。原稿をブログに移す時に原稿が長くなりすぎて容量オーバーしてしまいました。やむを得ず二つに分けましたので、次回のブログは、今回のものの続編としてお読みください。

 

      〔お願い〕 今回のブログを難解過ぎて読む気がしないと思われたならば、もう一度「『神曲』地獄巡り45」と同じく「46」を再読してくださることをお願いします。私のブログの愛読者の方はお気付きかと思いますが、私には計算能力に弱点があります。ある場所で話をするために、ダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」を再考していた時、大変な計算間違いをしていたことに気付きました。その箇所を修正しておきました。

 

カタログ技法とアナフォラ(首句反復法)

   『煉獄篇』第12歌は、極めて高度な「カタログ技法」で書かれています。本来の「カタログ技法」とは、同じ種類の固有名詞を列挙して詩的効果を創出する修辞法のことです。しかし、ダンテのその箇所は、カタログ技法を、さらに「アナフォラ(首句反復法)」という修辞法を使って精巧な表現にしています。その修辞法のみに特化して原詩を見てみましょう。まず、最初の25行目から36行目までの詩文は、『神曲』の他の詩行と同じく一行11音節の「エンデカシッラボ」の詩型と、三行ずつが一つの区切りとなっている「テルツァ・リーマ(terza rima)」という脚韻によって構成されています。しかし、この箇所が他とは異なっている形体によって書かれているのは、テルツァ・リーマの書き出しが同じ単語で繰り返されているということです。その技法は「アナフォラ(首句反復法」」と呼ばれ、最初の四つのスタンザは、すべての詩句が「私は見た〈Vedea〉」の言葉で、次のように繰り返されています。

 

◎原文解析は「『神曲』煉獄登山19.傲慢を戒める彫像(前篇)」を参照。

(直訳)

  私は見た、道の片面に、(神による)他の創造物よりも高貴に創造された者を。その者は、天国から地獄へと電光石火のごとく落下した。

  私は見た、他の場所にブリアレオスを。彼は天の矢に射抜かれて、死ぬほどの寒さのために重々しく横たわっていた。

  私は見た、テュンブラエウスを。またパラスとマルスを私は見た。(その神たちは)まだ武装したまま、彼らの父親の周囲にまき散らされた巨人族の手足を眺めていた。

  私は見た、ネムブロト(=ニムロデ)を。彼の作品(バベルの塔)のたもとで戸惑っているような様子をして、シナルの地で彼と共に傲慢になっていた者どもを眺めていた。 (『煉獄篇』第12歌25~36)

 

   次に続く第2番目の首句反復法で書かれた4つのスタンザは、すべて感嘆詞「おお(O)」で開始されています。


◎原文解析は「『神曲』煉獄登山19.傲慢を戒める彫像(前篇)」を参照。

(直訳)

  おお、ニオベよ、汝が、とても悲しい眼をして、殺された七人の息子と七人の娘の間で(立っている構図で)、路上に描かれていたのを、私は見た。

  おお,サウルよ、何と汝は自分所有の剣の上で、あの時にゲルボエ山中で死んだように見えていた(=造られていた)。その山は雨も霧も(肌に)感じなかったという。

  おお、狂女アラーニェ(アラクネ)よ、まさしく私は、すでに半ば蜘蛛になっている汝を見た。汝に害をなすように造られた(=織られた)ぼろぼろの布の上で蜘蛛になっていた。

  おお、ロボアム(=レハベアム)よ、もはやここでは、汝の彫像は威嚇しているようには見えず、誰も他の者が追いかけていないのに、馬車は恐怖に満ちた汝の像を運んでいる。   

             (『煉獄篇』第12歌37~48)

 

   そして、第3番目の首句反復法の四つのスタンザは、「展示していた(Mostrava)」という言葉で開始されています。そして最後の五つ目のスタンザは、ふたたび「私は見た(Vedeva)」で始められ、最終行を「展示していた(Mostrava)」で始めることによって、ダンテのアナフォラ技法による描写を閉じています。25行目から63行目までの39行は、同じ種類の表現を繰り返して使用しているとう点では「カタログ技法」ですが、その中でも同じ首句表現を繰り返し使用しているためにアナフォラ技法とよぶ、極めて精巧に作られた表現なのです。すなわち、アナフォラ技法(首句反復法)は、カタログ技法という修辞法の一つなのです。すなわち、同じ言葉で繰り返し書き始めるという表現法が「カタログ技法」であると見なしているのです。では、最後の49行目から63行目までを見ておきましょう。

 

原文解析は「『神曲』煉獄登山20.傲慢を戒める彫像(後編)」を参照。

(直訳)

  その堅固な舗道は展示していた。アルクマエオン(イタリア語では「アルメオン」)が彼の母に向かって、どの様に不吉な装飾品を高価な物のように見えさせたかを。

  それ(堅固な舗道)は展示していた。どのようにその息子たちが神殿の内部で(父)センナケリブ王に襲いかかり、そしてどのようにして彼(父)を殺害して、そこに置き去りにしたかということを。

  それ(堅固な舗道)は展示していた。虐殺と残虐な破壊を。「汝は血に飢えていた、そして私は汝を血で満たしてやる」とトミュリスがキュロスに言って、その虐殺を行った。

  それ(堅固な舗道)は展示していた、ホロフェルネスが殺された後にアッシリア兵たちが総崩れして敗走した様子と、また殺戮の残骸の様子を(展示していた)。

  私は見ていた、灰燼と化し廃墟と化したトロイアを。おお、イリオンよ、そこで見た彫像は、何と汝を下劣で堕落した姿に見せていたことか。

(『煉獄篇』第12歌49~63)

 

精巧に構築されたテルツァ・リーマ(三行連句)

 

   それぞれ、“Vedea(私は見た)”、“O(おお)”、“Mostrava(それは展示していた)”という言葉で開始される三行句がそれぞれ四組で一つの統一体を形成しています。そして、その各アナフォラは合計12行から成り立っています。そして、さらにその12行のまとまりが三組で形成されています。その「3」と「4」と「12」という数字は、ダンテの信ずる「数秘学(numerologia)」によって構成されていると説があります。たとえば、「4」は地球の四元素「火・空気・水・土」などを表し、「3」は「三位一体」を表し、また「12」は「黄道12宮」などを表したりするという意見もあります。さらに、アナフォラを形成する最初の単語(VedeaとOとMostrava)の三つの頭文字をつなげると「VOM」となり、それをラテン語式に読めば「UOM」すなわち「人間」という意味になります。まさしく、煉獄の第1環道に刻まれている彫刻は、人間の嘆かわしい傲慢の罪を提示していると考えることが可能です。

 

『神曲』で使われたアナフォラ

 

地獄門のアナフォラ

   『神曲』では、感動的な場面や印象的な光景を描くときは、アナフォラ技法が効果的に使われています。たとえば、地獄の入口にあった「地獄門」に書かれた有名な文言は、「ペル・メ・シ・ヴァ〈Per me si va〉」の繰り返しによるアナフォラ技法によって次のように書き出されています。

(直訳)

  私を通って行け、憂いの国の中へ。

  私を通って行け、永遠の苦悩の中へ。

  私を通って行け、堕落した者たちの中へ。

 

   「地獄門」は、『神曲』の中でも最も有名な箇所です。ダンテが用いた詩法エンデカシッラボ(11音節詩)では、第10音節の他に第4音節か第6音節のどちらかにアクセントを置くことになっています。しかし、上出の三行では、〈dolènte〉、〈dolòre〉、〈gènte〉とすべての二音節以上なので第10音節に自然のアクセントを置くことができますが、第4音節も第6音節も単音節語なのでアクセントは存在しません。それゆえに、「ペルメシヴァ〈per me si va〉」を一つの単語とみなして、本来ならば単音節語でアクセントがない第4音節の単語「ヴァ〈va〉」の上にアクセントを置いて発音するのが適切だと、私は判断しています。読者がその地獄門に刻まれた詩文に強烈な印象を持つのは、アナフォラ技法によるものかも知れません。

 

悲恋のアナフォラ

   『神曲』の中の名場面の一つに「フランチェスカとパオロの悲恋物語」があります。ラベンナ領主グイド・ダ・ポレンタはマラテスタ家との争いを終わらせるため、娘フランチェスカを領主ジャンチョットに嫁がせることにしました。二人が最初に合う時、見合い相手のジャンチョットは、自分の容姿が醜いことを知っていたので、美少年の弟パオロを見合いの席に立たせて、無事に結婚式も挙げました。しかし、フランチェスカは見合いの代理をしたパオロに一目惚れをしていましたので、結婚式の翌日に真実を知り驚きました。パオロの方も同じく一目惚れしていましたので、二人は燃える思いを秘めて過ごしました。ある夜、アーサー王の妃グイネヴィアとランスロットの恋物語を二人で読んでいる間に、恋心を押さえることができなくなって、不倫の恋に落ちました。そして密会の現場を見られて、ジャンチョットに殺されてしまいました。

   以上のような悲恋をフランチェスカが語る場面で、次のようなアナフォラ技法が使われています

(直訳)

   愛、それは優しい心には素早く燃えあがり、美しい容姿のためにこの人(パオロ)を虜にした。そして、それ(容姿)は私から奪われた。その仕打ちは今も私を苦しめている。

   愛、それは愛されている側の者に容赦なく愛することを強要する。そして(愛は)この人(パオロ)との喜びにこんなにも私を強く捕まえた。そして、あなたがご覧のように、それ(喜び)は、いまだに私を離れません。

   愛、それは私たちを一つの死へと導いた。カインの国が、命を奪って私たちを抹殺した者(ジャンチョット)を待っています。以上のような話が彼女たちから私に話された。

 

   ここでは、三組のテルツァ・リーマ(三行連句)が「Amor:アモール(愛)」で始まるアナフォラ技法によって構成されています。この12行は、『神曲』全篇の中でも最も技巧に優れた詩行の一つで、登場人物フランチェスカの熱情と悲哀が鮮明に描写されています。

 

陰鬱のアナフォラ

   ダンテの描く地獄が恐怖と悲哀に満ちた陰鬱な世界であることは、読者の誰もが認めるところです。そのような地獄の中のどの場所よりも不気味な所が「自殺者の森」と呼ばれている所です。すなわち、暴力の罪が裁かれている第7圏谷(チェールキオ:cerchio)の中でも「自分自身への暴力者」すなわち「自殺した者」たちが罰せられている第2円(ジローネ:girone)の地獄です。神から授かった命を否定した亡者たちを強調するために、「否定語」である〈Non〉を多用したアナフォラ技法を使って次のように表現しています。

 

 

(直訳)

   ネッソスがまだ向こう岸に到達していないうちに、私たちは森の中に行き着いていた。その森にはまったく道らしき痕跡もなかった。

   緑の葉をつけた枝はなく、黒ずんだ色をしていた。健全な枝はなく、瘤だらけでよじれていた。そこには果実はできず、毒をもった棘があった。

   チェーチナとコルネートの間に位置している耕作地に憎悪しながらも生息しているあの森の野獣たちでさえ、これ程まで過酷で茨の密集した森には棲みはしない。

(第3スタンザの注釈)

   そのスタンザを解説しますと「昔は茨が密集した原始林で良かったが、今では耕作されてしまったので、棲みづらいと憎悪しながら棲息している森の野獣たちも、この自殺者の森ほどまで過酷で茨の密集した森には棲息地として所有はしない。」という意味になるでしょう。

 

   ダンテの時代よりも以前には、チェーチナとコルネートの間にはマレンマ(Maremma)の沼地があって野獣たちが生息していたようです。その野獣といっても、実際には猪のような少々狂暴な程度の野性動物ぐらいであったといわれています。しかし、ダンテは、第8圏谷第7濠(地獄篇第24巻から25巻)の盗賊たちの蛇地獄をマレンマの沼に喩えています。その荒れ野であったマレンマもダンテの時代には「耕作地 (luoghi cólti)」になっていて、「森に棲む野獣たち (fiere selvagge)」すなわち「人跡未踏のジャングル (asprei sterpi e folti)」を好む野獣たちは、その開拓されたマレンマ沼には「憎悪を持っている (in odio hanno)」のですが、そんな密林を好む野獣たちもこの「自殺者の森」には棲みたがらない、と言っているのでしょう。

 

 

   ダンテは地獄に入る前(『地獄篇』第1歌)に、まず「暗い森(selva oscura)I-2」に迷い込みました。その森は「未開のままで、険しく、征服しがたい森 (esta selva selvaggia e aspra e forte) I-5」でしたが、その森は地獄門の手前にあるので、まだ「あの世」ではなく「この世」の領域になります。それゆえに、私たち読者は、その「暗い森」という表現から「葉が鬱蒼と繁っている状態」を想像します。しかし、いったん地獄門をくぐって三途の川アケロンを渡ると最後、ある圏谷を除いて草木の生えている場所はありません。その箇所とは、アケロン川を渡った向こう岸にある第1圏谷リンボ(辺獄)です。

   辺獄は、周囲が「一本の美しい小川 (un bel fiumicello)地4歌108」に囲まれ、「若緑色の草原 (prato di fresca verdura)地4歌111」や「エメラルドグリーンの芝地 (verde smalto)地4歌118」の中で、キリスト以前の洗礼を受けない賢者や偉人たちが歓談していました。その辺獄だけは、地獄の九つの圏谷の中で、ただ一箇所だけ緑の草木が生えていました。

   以上のように緑滴る辺獄と比較して、自殺者の森は、確かに樹木が密集してはいますが、「緑の葉をつけた枝はなく (Non fronda verde)」、また「健全な枝もなく (non rami schietti)」、「果実もできない (non pomi v’eran)」、「毒をもったトゲ(stecchi con tòsco)」のある「黒ずんだ色をした枝葉 (fronda・・・di color fosco)」の樹木で覆われていました。その陰鬱な自殺者の森は、自らの命を否定した亡者たちの刑場であることを強調するために、「否定語(non)」によるアナフォラ技法が用いられているのです。