川越の川越たるゆえんを見せる。
2018年3月17日~3月31日の2週間にわたって開催されが一番街商店街の催し、「春夏冬 二升五合市」 。
春夏冬 二升五合市というのは、一番街商店街恒例の催しで、
・春夏冬( 秋がない→商い)
・二升五合市(『二升』は升が二つでますます→益益、『五合』は一升の半分ではんじょう→繁昌、合わせて益々繁盛)
読み方は、商い益益繁昌ということになります。
「春夏冬 二升五合市」の内容は、一番街のお店を巡る「スタンプラリー」と「小江戸川越 江戸の日」の二本立ての催しです。
春夏冬 二升五合市のスタンプラリーは、3月17日(土)~30日(金)までの期間開催され、期間中、商店街の参加店で税込500円以上お買い上げでスタンプ一1個進呈。
スタンプ5個集めて五文の木札1枚と交換(500円分)、
スタンプ8個集めて五文の木札2枚と交換(1000円分)できました。
木札は金券として一番街商店街の「スタンプラリー参加店」と掲示があるお店で期間内に使用できました。スタンプラリー期間中だけの江戸商品・サービスを用意するお店が多数あり、スペシャル感を演出していました。
以下、江戸商品・サービスを用意していたお店。
・椿の蔵1階 倭物やカヤ(日本手拭い 1,080円~)
・椿の蔵2階 岩座(神々の木彫のお面 864円)
・呉服 かんだ(川越唐桟反物 16,500円~、川越小物 550円~)
・れんたるや 寛kan(街歩き着物レンタルコース(着物レンタル、着付、簡単ヘアセット込み 3,240円)
・きもの右左(uza)(おしゃれ草履 6,200円)
・RENTAL KIMONO かんだ(川越唐桟や街歩き着物一式レンタル(着物一式、ヘアセット、お出かけに必要なもの一式)ご予約の方 1000円off 3320円)
・川越体験工房 青い鳥(春風模様のトンボ玉作り体験 1,620円~2,020円)
・本の店 太陽堂(川越古地図 300円)
スタンプラリーがあり、特に、二升五合市のフィナーレを飾る催し「小江戸川越 江戸の日」は、大団円にふさわしい一番街をあげての催しであり、一番街のお店の多くが江戸姿でもてなし、江戸時代の川越をここに再現するものです。
商店や通りに着物姿の人がたくさん溢れ、単に着物を着る以上に、それぞれのお店がこの日のために想いをこめた扮装をする。なにしろ、一番街商店街のお店の意気込みが並々ならぬものがありました。
3月最終週土曜日の小江戸川越春まつりオープニングと同日に開催されて今年で三回目となりました。
(川越style「小江戸川越 江戸の日」一番街商店街 2017年3月25日 一番街が江戸一色に
https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12262200017.html)
セットを組んだ「風」ではない本物の蔵造りの建物の町並みで、商人たちが江戸の姿でもてなす。江戸の日の核というのがそこにあり、川越にしかない川越らしさが感じられる一日。
川越の一番街の魅力は、なによりそれが、本物であること。
商店街のお店が着物姿でもてなす、それだけ見たら単なる江戸テーマパークですが、しかし、一番街の町並みは、テーマパークのセットではないんです。そこが大きな違いであり、川越でしか在り得ないこと。
つまり、本物なんです。
ドラマや映画の時代劇の背景のセットと比べて、この一番街の蔵造りの建物を見ていかがでしょう。正直、圧倒的な差があるのではないでしょうか。
逆にこの町並みを背景にして、時代劇が演じられたら、どんなに臨場感が現れるでしょう。
ドラマや映画の、いや、それ以上の時代的な光景を、着物を着るだけで実現できてしまうのが、川越なんです。
例えば、「まちかん」さんは、大工・関根松五郎が上棟。隣の「深善美術表具店」も同じく。関根松五郎の最高傑作です。
関根松五郎は、大工職・関根八五郎の息子として、安政元年に生まれました。生まれた年がちょうど日米和親条約が結ばれた年。幕末の激動の時代を生きていました。
ちなみに、明治26年の川越大火により、現在の川越のシンボル「時の鐘」が焼失しましたが、鐘楼を設計建設したのも関根松五郎です。
松五郎が今生きていたら、江戸の日を喜んでくれるでしょうか。
じっくりと半年の準備をかけて、江戸の川越とは?を掘り下げ、満を持して当日を迎えているのが江戸の日。
江戸の川越とは?川越とは?を背負いながら、川越にしかできないことをやろうと一致団結した江戸の日。年々、江戸姿をする参加店が増え、今年は商店街・関係者含め総勢100人が江戸姿になることが決定。まさに一番街全体が江戸の空気が濃くなりそうでした。
こちらのお店の人はどんな格好だろう、あちらのお店では・・・と各お店を回って見るのも江戸の日ならではの楽しみ。
この催しには、半年の時間が準備に注がれていましたが、この準備期間こそみなの気持ちを一つにし、大きな発信を生み出す源泉になっていた。
段取りを整えるのみならず、一番街商店街・関係者の江戸の川越の理解を深める機会も設けられていました。形だけを江戸時代にすることではまだ足りない、意識を持つことも大事。いかに江戸の姿を見せるかという「形」・「ビジュアル」の問題だけでなく、おもてなしはつまり、「心」。内面を磨いてこそ本物の川越を見せられると考え、みんなで江戸の川越を知ろうという勉強会が開催されました。
2018年2月27日、一番街にある「川越体験工房 青い鳥」さんにて、
川越市立博物館の宮原さんを講師に、「江戸~明治期の川越における商業の変遷」というテーマで勉強会を開催。参加者は一番街商店街を中心に江戸の日を作り上げる面々、約30名。
■講座の概要
・江戸時代の川越町について
・江戸~明治期の川越町人の商業活動の変遷
1、川越町について「十ヵ町・四門前」
川越町
商人町(江戸町・本町・高沢町・喜多町・南町)
職人町(多賀町・鍛冶町・志義町・志多町・上松江町)
門前町(養寿院・行伝寺・妙養寺・蓮馨寺)
元禄11年(1698)
人口 2824人(家数318、店数279)
宝暦11年(1761年)
家数358軒
江戸時代の川越町の話しに、食い入るように耳を澄ませる参加者。イメージを膨らませ、みなの頭の中には江戸時代の川越の光景が広がっていく。自分がどう立ち居振舞えばいいのか、それぞれが考えていきました。
江戸の川越町のイメージを共有し、さらに江戸の日を作り上げるモチベーションを高めた面々。
質疑応答も活発に行われ、話しはいつまでも白熱したのでした。これぞ川越、という光景を見せるため、まだまだ研鑽を重ねていきます。
そして、江戸の日がいよいよ近づいて来ると、みなの気持ちを一つにしようと、決起会を幸すしさんにて行いました。江戸の日にどれだけの思いで臨もうとしているか伝わるでしょうか。
集まったのは一番街商店街のお店をはじめ、川越蔵の会、川越藩火縄銃鉄砲隊保存会&川越藩奉行所見廻り組の寺田さん、時代劇を担当する舟橋さん、琴演奏の鈴木さん、童歌の山田さん、ウニクス川越、ウエスタ川越、川越市農政課、ボランティアスタッフなどなどといった顔触れで総勢30人。
一人一人、自己紹介と合わせて江戸の日への意気込みを語り、それぞれの江戸の日にかける想いがほとばしります。
川越を知ってもらいたい、町並みだけでなく川越の人の魅力を知ってもらいたい、みな共通して持っているのが川越への愛情。川越人なら一番街に対して特別な想いを胸に秘めているはずで、それを大きく表現できるのが江戸の日でもあるようです。
決起会は事前にお互いの顔合わせという側面もあり、食事をしながら和気あいあいとコミュニケーションをとり、共に江戸の日を作り上げる気持ちで繋がり合いました。
3月31日は、歩行者天国になる一番街通りの各所で江戸にちなんだ様々な催し、時代劇・和楽器演奏・日本髪結髪実演・青物売りも行われますが、今年、初めてとなる催しが加わります。
それが、わらべ唄。
川越の男声合唱団の面々などからなるこの日限りの特別合唱団がスペシャルわらべ唄を披露する。ここにも、メンバーの並々ならぬ想いがこめられていました。
まだ川越に冬の寒さが残るこの日は、わらべ唄の練習日。
「蔵の街で、わらべ唄」とは、どういうことなんでしょう。
「江戸の商人」「江戸の農家」そして「江戸の食べ物」ときたら、「江戸の唄」があっても良いのではないだろうか?という、コンセプトから蔵造りの町並みで、着物姿の小江戸人(びと)が、「わらべ唄」を唄ってみようという話が発端です。
川越は、毎月8の付く日に「着物の日」が制定され、埼玉県そして川越市は、音楽、合唱が盛んな土地柄です。「着物」+「合唱」=「蔵造りでわらべ唄」と方程式が出来上がりました。
わらべ唄「通りゃんせ」は、川越城内の三芳野神社が発祥の地の一つと伝えられています。「あんたがたどこさ」も喜多院・仙波東照宮の仙波山一帯のに関わりがあるとも伝承されています。
以前、この2つの場所で川越観光親善大使で、和裁士の小杉亘さんが主催するの春の桜の季節の「きもの姿で路地裏散歩」で、着物姿40人程で、この唄を参加者皆さんで唄っていたことがありました。
江戸・明治の子供たちの遊んでいる姿を、想像し古き良きに想いを馳せているようでした。
毎月どこかで、「合唱」「吹奏楽」「音楽」のイベントが開催されている川越。
「童謡・唱歌フェスティバル」「小江戸川越第九の会」「第九の夕べin喜多院」「尚美学園大学・東邦音楽大学・東洋大学・東京国際大学そして、小中高の演奏会」「川越少年少女合唱団」私も参加させて頂いている「男声合唱団イルカンパニーレ」を含む社会人合唱団の演奏会などがあります。
2015年11月7日(土)8日(日)には「コロ・フェスタ 2015in小江戸川越」が行われた、蓮馨寺と埼玉りそな銀行川越支店前で、全国から集まった合唱団による「街角コンサート」が行われ、爽やかな歌声の余韻を蔵造りに残し、川越を後にした合唱イベントもありました。
昔から川越は、唄の街、合唱の街だったのです。
このような歴史から今の形で蘇らせようとしているのが、3月31日の江戸の日のわらべ唄です。
極め付けは、江戸の日一週間ほど前の3月20日、小江戸川越 江戸の日を目前に控え、商店街を中心に関係者が集まり、演技指導会が行われました。講師は、美々庵代表で舞踊家の舟橋園絵先生です。真剣な眼差しで先生の話しに耳を傾ける一同。
川越の歴史勉強会を開き、関係者が一堂に集まった決起会で気持ちを一つにし、そして今回の演技指導会がありました。
ここまでするのは、全ては、本物の江戸を再現するため。
こうした取り組みを重ねることで、関係者の意識を高め、立ち居振る舞いを身体で覚え、江戸の日の江戸感、というか、本当の江戸を作り上げようと努力を重ねていった。
歩き方、座り方、話し方、これらは身分によってもそれぞれ変わり、細部にまでこだわって覚えていきました。
この時の演技指導会にはちょうど、ケーブルテレビ「ちょっ蔵お出かけ!まちかど情報局」でお馴染みの、「みかねぇ」と「八っちゃん」も参加。
江戸の日当日にロケに来ることが決まっていて、せっかくなら江戸の立ち居振る舞いを学びたいとやって来ていたのでした。
そして迎えた、2018年3月31日、第三回「小江戸川越 江戸の日」当日。
一番街商店街の商人たちが江戸姿で迎え、歩行者天国になった通りにはたくさんの町人や町娘たちがそこここにいて練り歩いていて、まさにそこは江戸時代の川越。
一番街の町並みに、町人たちの姿が組み合わさるとタイムスリップ感満載で、改めて川越の街の神髄が肌で感じられるよう。
川越は着物が似合う街と言われています。
着物が好きで、着物を着て出かける場を求めている人も多いなかで、絶好のタイミングが江戸の日でした。
お店側だけが着物姿だけでは、まだ江戸の日は完結しない。やはり、遊びに来る人も着物姿で通りが埋まることが江戸の日の完成かもしれません。そういう意味で、今年は運営側のみならずお客さんが着物で来ている光景が広がり、江戸感が深まっていった。
言ってみれば、みんなで作り上げるのが、江戸の日と言えました。
江戸の日当日には、一番街の飲食店の多くが、「江戸の日ための江戸にちなんだ料理」を投入しました。中でも、このお店の意気込みはとんでもなかった。。。
寿庵さんの、「さきたて穴子と煮貫汁せいろ」です。
『江戸前の新鮮な穴子をさきたてで天ぷらにしています。
外はカリカリ、中はふわふわに揚げてあります。
蕎麦は河越抹茶蕎麦と江戸前二八蕎麦から選べます。
煮貫汁とは味噌ベースのもり汁で江戸時代初期はこの様な蕎麦汁で頂いていたようです。
その汁を現代でも食べやすいよう少しアレンジして再現しています。』
これを読んだだけでどこまでも期待が高まっていきますね。
穴子です。穴子なんです。それに河越抹茶蕎麦が用意され、江戸と河越のマリアージュな逸品。
江戸の日を意識し、江戸の日にしかない特別な料理を用意。
一番街の飲食店の江戸メニュー、他のお店は・・・
・Te’PAN Le OMUSさんの江戸メニューは、「江戸バーガー」。ビールは「ヒメホワイト」。
また、露天販売だけでなく、OMUS店内でもスペシャルを投入。江戸繋がりから、コ江戸ビール(COEDOビール)のモルト粕を食べて育てられたクラフトビーフ(東松山國分牧場)の特別ランチを用意。
「クラフトビーフのサーロイン特別ランチ」、「クラフトビーフのローストビーフランチ」を数量限定で提供します。
さらに、店内では、食事すると一人二杯までCOEDOビール「毬花」の全サイズを500円税込で提供。
・セサミキッチンさんの江戸メニューは、「ちょい飲み赤のスパークリング」。
ショットグラス 100円
グラス 300円
オススメポイントとしては、女性向き甘口微発泡スパークリングワインとなっています。
・幸すしさんの江戸メニューは、「EDO」。
漬けマグロや、穴子、シャコ、白身の昆布締め、コハダなどその日の江戸前仕事のしてあるもの3カン。
通りではそこかしこで時代劇や邦楽演奏、わらべ唄などの催しが行われ、一番街を隅から隅まで着物姿で歩いて回る楽しさに溢れます。
普段の一番街でも着物姿で散策は楽しいですが、この日の一番街のスペシャルさはどうでしょう。町並みだけでも時間旅行感がある一番街、お店の人が江戸姿で迎えてくれ、通りには町人や町娘が行き交い、観劇も楽しめる。
一番街でこんなことが実現したら・・・と夢想していたことがついに実現したのが、小江戸川越 江戸の日です。
江戸の日の催しの中でも、特になかなか直に目にすることがないものといえば、日本髪の結髪(けっぱつ)実演でしょう。実演の場所は、仲町交差点、亀屋さん駐車場。
実演を魅せるのは川越の「和の手仕事屋」の関場さん。もちろん正真正銘本物の日本髪結髪師です。驚くのは、日本髪を結うモデルさんは、なんと地毛。カツラを使用して・・・ということではなく、地毛で本物の日本髪結髪を魅せました。
和物のカルチャースクール、和の手仕事屋さんは通町交差点近くにあります。
(川越style「和の手仕事屋」日本髪結髪(けっぱつ)師 関場明子さん 和物のカルチャースクール
https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12362824556.html)
青物売りも江戸の日恒例となった催しで、江戸時代の川越藩の農家さんが大八車で野菜を運び販売しました。
もちろんみな本物の農家さんで、全て川越藩の田畑で作られた農産物を持ってきてくれます。
裏を明かすと、農家さんは「川越Farmer's Market」の出店者でもあり、普段はお洒落なブース作りを心掛けるファーマーズマーケットと打って変わって、江戸の日ではみな江戸の格好をして大八車で販売というスタイル。こういう取り組みをするのは江戸の日だけ。様々な川越藩産農産物を取り揃えます。
また、今年は川越いもを代表する品種である「紅赤」が発見されてから120年という節目の年。
折しも、昨年はさつま芋作りに欠かせなかった伝統的農法・循環型農法である「落ち葉堆肥農法」が、日本農業遺産に認定されました。
江戸時代の川越藩主柳沢吉保の三富地方開発に始まった落ち葉堆肥農法、以来、一つの農法を300年守り続けているというのは世界中でも珍しいことです。
そもそも、川越における江戸時代とはどんな意味があったのでしょう。
今に至る川越には、大きな局面がいくつかありました。
平安時代、上戸に館を構えた河越氏(ちなみに河越・江戸を開いた秩父氏一族は兄弟)、それに室町時代の扇谷上杉持朝の家宰太田道真・道灌父子による河越城の築城から今の一番街に繋がる城下町の形成。これらも川越の大事な歴史的事実ですが、ここからダイナミックな波が起こります。
豊臣秀吉の小田原攻めにより、関東を徳川家康が治めるようになると、江戸時代初期、川越城主に三河最古参の酒井家が任に着きました。
酒井家三代目城主の酒井忠勝が、時間厳守を徹底するために建てたのが、「時の鐘」です。
そして、1638年の川越大火後、川越城主になった松平伊豆守信綱は川越大改革、まさに今の一番街の「十ヵ町四門前」の町割を行います。
信綱はさらに新河岸川の「舟運」を整備し、江戸ー川越を直接結んで川越の発展に大きく貢献しました。
大火から10年、町は再び復興を果たし、信綱は祭具を川越氷川神社に寄進して祭りを奨励します。その後催行されたのが、今の川越まつりに繋がる川越氷川神社の「神幸祭」です。
その後の川越城主、柳沢吉保の新田開発、秋元喬知の絹織物などの殖産政策、そして松平大和守家100年の治世。
これらが川越の江戸時代。
つまり、一番街には、江戸時代の歴史がどっさりと積み重なっているんです。今に繋がる川越の街の財産は江戸時代起源のものが多いんです。だから、江戸なんです。
川越の江戸の日、年々重要度が増していく催しですが、それは現代の川越の人が、川越の存在意義を改めて認識し始めたからなのだと思います。
この写真は、江戸の日が終了する時に撮ったもの。
一番街の商人たちのやり切った表情が見て取れると思います。
最後の集合写真は、発信の効果が最も大きいため実は毎回議論を重ねて場所を決めているもので、それこそこれも半年かけて場所を選定したと言っていいものでした。
その中でも辿り着いたのが、川越人の魂の支柱である「時の鐘」をおいてやはりないのではないかという結論で、今年の江戸の日の集合写真の場となりました。
初代が江戸時代初期に建造されて以来、400年弱、鐘の音により川越の町に時を知らせ続けてきた時の鐘は、一番街商人たちにとって生活に欠かす事のできない音色であり、心の拠り所の音色でもあり続けてきました。
今では観光スポットに見られる時の鐘ですが、川越人にとってはずっと生活と共にある存在と音色。
改めて、一番街からのメッセージとして、「時の鐘」から発信したのでした。
来年は、どんな江戸の日を見せてくれるでしょう。
ますます江戸感が深まって、街一体となる江戸の日になることは間違いありません。
着物を着て、一番街へ遊びに行こう。
一番街商店街「小江戸川越 江戸の日」
https://www.facebook.com/edonohi/