暑さと梅雨のジメジメ真っ最中ですが
皆様体調崩されてませんでしょうか。
そこまで体調に変化がなくても、
なんかダルいわーって方も多いはず。
涼しいところで休んだり
美味し物を食べたりあの手この手で
身体を励ましていきましょう!
ブログはまだまだ3月の古墳巡り(笑)
仁徳天皇陵古墳の周辺にある、
陪塚と呼ばれる小さな付属古墳巡りです。
前回のブログ
今回巡った古墳時代一覧
収塚古墳 済
坊主山古墳 済
鏡塚古墳 済
塚廻古墳 済
源右衛門山古墳 済
大安寺山古墳 済
茶山古墳 済
永山古墳 済
丸保山古墳 済
菰山塚古墳 済
樋の谷古墳←今日紹介するのはこちら
銅亀山古墳
あと2基ですので、もうしばしお付き合いを。
樋の谷古墳。
5世紀中頃築造のエンフン。
直径47m、高さ2.8m。
なのですが、現地に行ってみると
これなのかな?
これは堤?なんか違うような。
それか、これかな?
円墳としての形状も残っていないようで
いまいちどれが古墳なのか分かりませんでした(泣)
という樋の谷古墳は
仁徳天皇陵の外濠内にありまして
濠を囲う柵の向こう側なのですが
この柵にこんな
心あてに おらばやおらむ 初霜の
おきまどわせる 白菊の花
百人一首29番 古今和歌集 凡河内躬恒
和歌が刻まれておりました。
なぜここに【心あてに、、】の歌?
その理由が
仁徳天皇陵の後円の中心から周囲に旧暦の【二十四節季】を配置すると、ちょうどこの位置が【霜降】にあたり、北側に【雪陵庵】があったことからイメージされた。
とのこと。
なんという風情のある配置でしょう!!
百人一首だけでなく、
近くには
万葉歌碑まであるじゃないの!!
古墳巡りだけでなく
万葉集、古今和歌集まで堪能できる
樋の谷古墳なのでした〜。
残るはあと1基。
こうして順番に書いてみると
同じようでそれぞれ違った特徴があって
面白いもんですね〜!!
これまで巡った大阪府堺市の古墳