難読地名!?喜連の歴史めぐりの企画展へ。 | 徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

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一年の半分を旅に過ごす似顔絵師コオロギの日々の雑記。趣味の古墳巡り&地質巡り&車中泊アレコレetc徒然とだらだらと書き尽くします



先日、

見たい企画展があって、

久々に大阪歴史博物館へ。

大阪歴史博物館、

大阪府民としてはちょっと自慢の博物館ニヤリキラキラ

というのも

大阪市のど真ん中にありまして


この絶景っ目乙女のトキメキ

かつての難波宮跡や


大阪城をベストビューポイントで見られます目キラキラ


かつての難波宮を再現した



朱塗りの柱は圧巻!


考古展示も


少々あります。

難波宮の



展示や

中世、近世の水都として発展した

大阪の歴史、芸能、文化などなど

3階分くらいにわたって展示されてて

かなり楽しめますよウインクキラキラ


大阪城ができる前に同じあたりにあった



大坂本願寺の模型。

芝居小屋の模型も必見です!


さてさてお目当ての企画展ラブキラキラ


大阪町めぐり 喜連

喜連、、きれと読みます。

今の大阪市南東部、平野区にある地域。

「喜連」の名は、「万葉集」にあらわれる「伎人くれひと郷」に由来すると言われ、古代以前から渡来人などが行き交う要地でした。中世にはしばしば戦乱の舞台となり、防御のための環濠が設けられたと伝えられます。近世になると、一つだった村は東喜連・中喜連・西喜連の三か村に分かれ、のちに幕府領と藩領という異なる支配のもとに置かれることになります。複雑な支配関係のもとで、村の人々は、18世紀初めの大和川付け替えを契機とする用水問題など、共通するさまざまな課題に対処していきました。
 こちらから抜粋下矢印



大阪の難読地名としてたまに目にする喜連、

歴史的にも実はディープなのねびっくりハッ


そんな喜連の考古資料、文書、絵図などなどの展示でした。

写真撮影できなかったのでチラシの写真カメラキラキラ


お目当ての喜連西遺跡の方形周溝墓出土資料。

私の好きな弥生末から古墳時代始めのものラブ

朱の原料である水銀朱をすりつぶす石杵、

写真にはないけど

山陰地方形の多重口縁壺も展示されてて

人々の移動が活発化する弥生末の雰囲気が

感じられました〜ニコニコラブラブ


ここ最近は中近世の食わず嫌い克服のため

考古資料以外もチェックニヤリ上差し

この


巨大絵図、なんと畳5枚分サイズ!!


喜連村史の会という地域史研究グループが発見し
絵図を読み解く集会を熱心に開かれているそう。


この絵図、

領主古河藩に提出するために作られたものの写し

、、、そうおねがい

昨年、茨城県の古河市の資料館で学んだやつ!
 


江戸時代、大阪の一部は古河藩の領地だったのよ〜

その繋がりがここにも!

いろんな資料館で学んだことが繋がる喜びおねがいキラキラ


他にも

幕府領、藩領が近接する地域の問題、

大和川の付け替えによる用水問題などなど

いろんな文書資料の展示があって

小さな地域の歴史ながら見応えがすごいです!


うーーーん、、

ますます地域史巡りにハマりそうだわ爆笑ルンルン

企画展は今週末まで開催です。

 


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