あるがまま今を生きてみる。
『天は自ら助くる者を助く』


『人間万事塞翁が馬』

『知行合一』

『あなたの命に出会えてありがとう』

 

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仕事

今まで

数え上げればきりがないほど仕事してきました。

いい言い方をすれば色んな経験をしたし

悪い言い方をすれば、辛抱がたりない

 

そんなこんなで転職をくりかえしたのですが

やっぱりサラリーマンはむりだなぁと思ったのであります。

 

そして本当に人が喜ぶことをしたい。

それがあると仕事も長続きするのかと

 

人が喜んでくれると自分もとても嬉しい。

 

この年になって初めてかもしれない

自分がやりたいことを始めたのは。

 

 

 

http://seitaipono.com/

自分で決めることができる。

自分の人生をどう生きるのかを人は自分で決めることができる。

と言われても色んな事柄、外的要因の影響を日々受けているので自分の自由というものはとても少ない用に感じる時があるのも事実である。

子供もの時は親という絶対的権力にはほぼ逆らえない。
学生時代でも、規則や周りの友人、先生に縛られて自由などないように感じることもある。

社会に出てからも常識、法律、会社のルール、そして上司や部下、夫や妻自分の思い通りにならないものばかりである。

こんな中でどんな自由が自分にはあるのであろうか?


名著
夜と霧の中で著者フランクルはこう述べている。
ナチスの強制収容所での体験を書かれたこの本は読むと心を背けたくなるような出来事のの連続の日々の中で言葉であるだけに強烈に心の中にのこるのである。

彼らは、人が強制収容所の人間から一切とり得るかも知れないが、しかしたった一つのもの、すなわち与えられた事態にある態度とる人間の最後の自由をとることはできない。


人は外からどのように虐げられようが、自由を束縛されようが、それに対する自分の心の中、それに対してどのように反応するか、その態度的自由を奪うことはできないと言われている。


周りの環境がどうであれ、自分の心の中の自由までは誰も奪うことが出来ないし、自分自身で選んだ態度こそが、強制収容所での生死をわけた大きな要因なのである。


さて私たちの日常も人生からどのように生きるかを問われているのである。
その人生からの問いにどの様な行為で答えるのかは自分で選んでいるのです。


それは意識的であれ無意識であれ、自分自身の決断なのです。
その決断の連続によって自分の人生を作り上げていると言っても過言ではない。


夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録/みすず書房
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7つの習慣

7つの習慣

完訳 7つの習慣 人格主義の回復/キングベアー出版
¥2,376
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10年以上前になると思いますが読んでいい本だなぁと記憶にはあったのですが、すっかり内容も忘れていて、最近訳が新しくなったのを知り読み返してみました。


以前読んだときより大きく感銘をうけました。
昔読んだときはテックニック本的な感覚で覚えていたのですが、この本のいいたいことは人格を高めなさいということ


単にお手軽な成功テクニック本ではないのです。
読むときの自分の心の在り方で受ける印象も大きく変わるのだと改めて思った次第です。


本の中にはいくつもの名言がちりばめられているのですがその中の一つを紹介します。

問題は外にあるそんな考えが芽生えたらすぐに摘み取ってほしい。そう考えることこそが問題である。


仕事で問題があれば、上司が悪い、部下ができないからだ
家庭では妻が口が悪く
主人が何もしてくれない
親が、子供が・・・


私たちは問題すべて外部的要因だと考えてしまう。
コヴィー博士はその考えこそが問題であると指摘しているのです。


私たちが問題を自分以外の何かのせいにしていると感じたらその考え自体が問題なのだから改める必要あるのでは?そう自分に問いかけてみよう。


自分の日常を振り返ると色んなことを人のせいにしたり会社のせいにしたりとあたかも問題は外にあると考えてしまいます。


しかし自分の内面としっかり向き合うならば
問題は外ではなく自分の受け取り方あったり、接し方であったり、考え方であったりするし、外部的な要因を変えようとしてもそれが報われるはずもなく、その努力を自分の『人格を高めることにむけよ』といわれているのです。


問題が外にあるそんな考えが浮かんだらこの言葉を思い出したいものです。


今日もいい日だ(^^)

魂を磨く

人生の目的は魂を磨く事だ。

そのように言う人も多いしそう書いてある本も多い。
『魂を磨く事だ』
そう言われるとおおそうだそうだと私も思ってしまう。

しかし魂を磨くといってもいま一つピンとこないしどうしていいのかわからない。

磨くという言葉を辞書で調べてみると

 物の表面を研いでなめらかにする。「レンズを―・く」

 こすって汚れをとったり、つやを出したりする。「歯を―・く」「床を―・く」

 念入りに手入れをして美しくする。「肌を―・く」

 努力して学問や芸をますます上達させる。「腕を―・く」

 栄えを増す。光彩を加える。

とあります。

という事は魂についている汚れをとってピカピカにするってことか?

魂にはどんなよごれがついているのか?

どうやったらみがけるのか?

これもよくわからない。

一般的にいうとエゴや欲望などでよごれているからそういうものをそぎ落としていくのをそぎ落としていくことが魂を磨くということにつながるようにも思える。

うーんでもなんかしっくりこない氣もする。
エゴや欲望が全て悪いわけではなくそういうのもが人類を色んな技術を発展させてきた事は間違いのない事実である。

では逆に魂の磨かれた人はどんな人だろう。
ヒマラヤとかで山篭りしてヨガとかしている人か?
チャネリングとか出来て宇宙の真理とか説いている人か?
それと人格は別問題のような感じもする。

自分の人生ををしっかり生き抜いてそして思いやりのある人が魂が磨かれている人のような氣がする。

もちろん人生において、色んなことを経験していく必要があるしこれで終了だし完璧ということもない。

成功や失敗を繰り返しながら、少しづつ心配りができて人の思いに寄り添い、受け入れるそしていつも優しい笑顔で人を包み込んでいけるような人間が、魂の磨かれた人じゃないかなぁなんて思うのです。

お金や地位や名誉を求めてがむしゃらに人を蹴落としてやってきたような人でも在る程度のところで感謝とか笑顔とかありがとうとかよく口にするようになる。

最後に行き着くところは結局思いやりをもって自分の人生を生き抜くことではないかなぁと思うのです。

そこに行き着く過程で色んなエゴとか欲とかが少なくなって来て魂を磨くとかいう表現になっていったのかもしれません。

ほんと色んなことに心を配れれば仕事だって、家庭だって自然と良いものになっていきますよね

人の悪口は言わないとか、ゴミをすてないとか、町に落ちてるゴミを拾うとか、コンビニのトイレをちょっと掃除して出るとか。いつも笑顔や優しい瞳で人に接するとか、当たり前のことでなかなか出来ない事を自然と普通に出来ている人。

人の思いや心によりそって受け入れて大きな心で包み込んでくれるような感じの人
ちょっと抽象的かもしれませんがそんな人が魂がどんどん磨かれていってる人ではないかと思うんです。


魂を磨くとは
思いやりのある人間になっていくことだ

そしてそれを意識しながら日々生きる事がとても大切なことであると思うのです。
人生の修行の旅が終わるその時まで。


あなたの命に出会えてありがとう。







エビのように死ぬまで脱皮し続けたい。

エビは死ぬまで脱皮をしつづけ、脱皮したばかりの体は柔軟でやわらかいそうです。

 この話を聞いて、僕の心も脱皮をし続けていつまでも成長していきたいものだと思った次第であります。


 今まで生きてきた知識や経験が大切なのは言うまでもありません。それを大いに活用して今の社会を生き抜いています。

 
 しかし一歩間違うと、自分の知識や経験だけに頼って頑固で頭でっかちな人間になってしまう可能性を秘めているし、年齢を重ねてくるごとにその傾向が自分自身も強くなってしいるよおうな氣がします。


 そんなことになってしまうと、成長は止まるし下手をすると人の成長までも妨げてしまう、嫌な頑固親父なってしまうような感じさえします。

 
 そうならないよう、いつでも自分自身今までの殻を脱ぎ捨ててしまって、柔軟に何ごとも受け入れる事ができる体や心を持っていたいものです。


 そういつまでもエビのように脱皮して成長し続ける人間でありたいなぁと感じた一日でありました。


 あなたの命に出会えてありがとう。


感謝の心と共に生きよう

あけましておめでとうございます。
新しい一年が始まりました。
このお正月という期間は毎年、新しく新鮮な気持ちにさせてくれますのでとても好きな時期でもあります。


さて今年は感謝の心と共に生きる事を意識しながら暮らす事を行って生きたいと思っています。


誰しも大なり小なり感謝をしながらいきておられると思うのですが、感謝を忘れて、今目の前の事を当たり前のように捉えている事もあると思います。


 今朝、直感的に朝起きて感じた事の一つは食べ物に関してでした。

 あれが美味しいとかこれを食べたい、はらへったぁなんていいながら当たり前の食事をしています。

 しかしよく考えてみれば、その食べている食事は、命そのものなのです。
牛肉には牛さんの命が、豚肉には豚さんの命が奪われてそれを僕たちが食べて命を維持しているわけです。


 誰しもわかってはいる事だと思いますが、僕たちは他の生き物の命を奪いながら食べていかないと生きていけません。


 自分が食べているものが僕たちが奪った命でありその命を繋いでいまいきているということを、日々の日常の中で忘れてしまいがちです。


 自分の命を捧げてくれている食べ物さんたちのためにも、もちろん食事そのものにも感謝をし、そして繋いでもらった命をいかに大切に生きるかということにも責任があるように思うのです。

 
 だから今年はこの感謝の心と共に生きる事を忘れることなく今を大切に生きたと思っております。


 いただきますの意味は命を頂きますということだと何処かの本で読んだ事を記憶しておりますが、そのことの意味を考えて、今という時に活かしたいですね。


 世界中の人々が心おだかに過ごせる素晴らしい一年でありますように。


 あなたの命に出会えてありがとう。

未来を拓く君たちへ

 
未来を拓く君たちへ―なぜ、我々は「志」を抱いて生きるのか/くもん出版
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田坂さんが書かれた名著
未来を拓く君たちへ
読まれた方も多いと思います。
私もだいぶ昔に読みました。

このブログでも紹介したことあるかもしれませんが
また改めて紹介したくなりました。

私は昔本を読んだ時に印象に残ったところをノートに書き出すようにしていた時期がありこの本はちょうどその時期に読んだ本でした。

そのノートを見返していたらやっぱいいこと書いてあるなぁと思おう事も多くその一部をご紹介したいと思います。


これは若者に向けて書かれた本ではあると思うのですが、人生折り返しを過ぎた私でも心に響く言葉で溢れています。


○その言葉をいま君に送ろう
  過去はない
  未来もない
  あるのは永遠に続く今だけだ
  今を生きよ
  今を生き切れ


○使命感とは何か
  それは一つの自覚の事
  自分の人生が
  多くの人々のため
  そして世の中のため
  大切な何かをなす為に与えられた
  その自覚の事


○旅人がある町を通りかかりました。その町では新しい協会が建設されるところであり、建設現場では二人の石切職人が働いていました。
その仕事に興味をもった旅人は一人の石きり職人に聞きました。
あなたは何をしているのですか?
その問いに対して石切職人は不愉快そうな表情を浮かべてぶっきらぼうに答えました。
このいまいましい石を切るために悪戦苦闘しているのさ。
そこで旅人はもう一人の石切職人に同じ事を聞きました。
するとその石切職人は表情を輝かせ生き生きとした声でこう答えたのです。
『ええ、今、私は多くの人々の心の安らぎの場となる素晴らしい教会を創っているのです。』
この寓話を聞いて君は何を感じるだろうか?
この寓話は大切な我われに教えてくれる。
どのような仕事をしているか
それが我われの仕事の価値を定めるのではない。
その仕事の彼方になにを見つめているか
それが我われの仕事の価値を定める。


○人生の意味とは
 君が何を成し遂げたのかで決まるのではない。
 何を見つめてきたかそれが君の人生の意味を定める。
 だからたとえ君が日々街の片隅でささやかな仕事に取り組む人生を送るとしても、もし君が広い世界を見つめ遠い彼方を見つめてその仕事に取り組んでいるならば、君の人生には素晴らしい意味がある。
 
 
○仏教 天台宗開祖 最澄が残した言葉
 『一隅を照らす、これ国の宝なり』
 たとえ、この世の中の片隅を照らすささやかな仕事でも
 その仕事に心を込めて取り組むならば
 それは国の宝と呼ぶべき尊い仕事である。


○ヴェクトールフランクルの言葉
 自分の人生の意味は何か?あなたは人生にその意味を問うべきではない。
 そうではない。人生があなたに意味を問うている。
 あなたの人生の意味は何か?
 その問いを問いかけられている。
 だから君は誰に教えられるのでもなく、自らの力で
 君の人生の意味を見出さなければならない。


○自分の人生を大切にするとは何か
 それは自分の人生で巡り合った人々を大切にすること
 何故なら我われの人生とは『人との巡り合い』に他ならないからだ。
 人生の全ての出来事は、人との巡り合いによって導かれてゆく。
 日本に古くからある言葉を使うなら縁を大切にするということ


○『人を大切にするとは何か』一言でのべよう
 それは互いに成長するということ
 だから人生で巡り合った人と、時に心のまさつがあってもよい
 時に心の衝突があってもよい
 それによって心が離れてしまう事がなければ互いの心に葛藤が生まれても良い。
 その葛藤を通じて互いの心が成長していくことができる。
 ならば互いが人間として成長していけるならば素晴らしい事だ。


○ではどうすれば人生で巡り合った人と互いに成長していく事ができるのか
 そのために大切な心得は正対することだ。
 相手の心に正面から向き合うことだ
 どうせわかりあえない、どうせ好きになれない
 決して斜めに構えず、相手の心に対してこちらの素直な心で正面から向き合うことだ。
 正直に誠実に真剣に
 相手の心の接することだ
 もしそれが出来たら
 かならず何かがかわるだろう。


○与えられた人生において、己のためだけでなく
 多くの人々の為にそして世の中の為に
 大切な何かを成し遂げようとの決意
 若き日にその志を抱く事
 それが山の頂を刻む事だ


○命尽きるそのひまでどこまでも成長していきたい。


 心に響く本ですね
 いつの間にか私たちは、損得や利益なんかを教え込まれて、効率よくお金を稼ぐ事が一番偉いかのように思っている。出世して社会的に偉い言われている地位につくことが、良い事であると思い込んでいる。
 しかし人生はそれだけではない。

 今というこの時をいかに心をこめて生きるのか
 その大切さを改めて思いださせてくれる。


 

当たり前に感謝。

 僕たちは、当たり前のように息を吸い込み吐き出している。
 目で見て、音を聞いて、ご飯を食べて歩いている。
 言葉もしゃべれるし、自分でトイレにもいける。


 体は毎日、酷使されながらも新しい細胞を作り出して、血液を体中に送り、生きるために必要なことをしてくれる。


 この普通にトイレにいけたり、ご飯を自分で食べれたりすることとがどれだけ素晴らしいことであるかをわかっている人は少ない。


 しかしひとたび病気になったりするとそのありがたみが身にしみてわかる。

 
 自分でトイレに行けなくなると、人にお世話をしてもらうしかなくなる。
お世話する方もされる方も大変なことである。


 自分でご飯を食べれなければ、人から食べさせてもらうしかない。


 病は悟りの始めなりとはよく言ったもので、当たり前に感謝してもしきれないほど、この普通の生活というのは奇跡の連続なのだ。

 
 いろんな愚痴を言う前に今五体満足で生きていられる事に心から感謝したい。


 

ストレス

生きていれば誰でも多かれ少なかれストレスを感じる事があるでしょう。
大きく感じていなくても少しずつのストレスがたまりにたまってある日、大雨で堤防を乗り越えて流れ出た川の水のごとくものすごい勢いで心を押しつぶしそうになることがある。


そんな時でももちろん日々の日常は同じようにすぎていくわけで、どうにかしながらこれを乗り切らないと、心がまたは体をも押しつぶして壊してしまうことになりかねない。


そんな時当然、周りも見えず自分の苦しみで一杯で近くの人にたいする配慮に欠けていたりする。傷つけていたりする。


知らず知らずのうちに自分以外の人にもストレスをふりまいて伝染させてゆく。


そして自分ばかりか周りまで同時に爆発してしまう時がある。


自分自身が今にも壊れて止まってしまいそうな車のように、頼りなく走っている時に、一緒に走っている車の方が先に止まってしまう。


それを動かそう、なんとか修理しようとあせえればあせるほど、よけにおかしく、そして動かなくなってゆく。


正直どうしていいかわからないぐらいの状況に追い込まれると、その状況を受け入れざるをえない時が来る。


それを受け入れてしまうと不思議と心の中の苦しみがふっと軽くなることがある。
その状況に抗う事をやめて受け入れて決してあきらめるわけではなく、淡々と目の前の事をこなせる時がくる。

それが過ぎ去った時、少し成長したかもしれない自分に出会えればいいな。

そんな事を思いながら時間がすぎていく。




もう歳だしなぁ

もうとしだからなぁ
むつかしいかなぁ


よく聞く言葉であるし、私自身も時々言っている。


確かに年齢を重ねると体力的に衰えてきて、少しの事でからだがきつかったり、つらかったりする事がある。


それだけではなく、色んな失敗の経験や出来なかったこともを体も心も覚えていて新しいことに足を踏み出す事を躊躇する。


自分が本当にしたい事が見つかったとしても
もう歳だし今さらなんて気持ちが頭をかすめる。生活もあるし。
新しい事を始めてそれが出来るようになる頃にはいったい何歳になってるんだなんて自分に言ってやらない理由を作りだし、出来ない理由を考える。


一つ確かな事はやってもやらなくても年はくう。
その年齢はやってくるのだ。


人生は短い
今何をするのかを決めるのは
自分自身でしかない。


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