魂を磨く
人生の目的は魂を磨く事だ。
そのように言う人も多いしそう書いてある本も多い。
『魂を磨く事だ』
そう言われるとおおそうだそうだと私も思ってしまう。
しかし魂を磨くといってもいま一つピンとこないしどうしていいのかわからない。
磨くという言葉を辞書で調べてみると
そのように言う人も多いしそう書いてある本も多い。
『魂を磨く事だ』
そう言われるとおおそうだそうだと私も思ってしまう。
しかし魂を磨くといってもいま一つピンとこないしどうしていいのかわからない。
磨くという言葉を辞書で調べてみると
1 物の表面を研いでなめらかにする。「レンズを―・く」 2 こすって汚れをとったり、つやを出したりする。「歯を―・く」「床を―・く」 3 念入りに手入れをして美しくする。「肌を―・く」 4 努力して学問や芸をますます上達させる。「腕を―・く」 5 栄えを増す。光彩を加える。 とあります。 という事は魂についている汚れをとってピカピカにするってことか? 魂にはどんなよごれがついているのか? どうやったらみがけるのか? これもよくわからない。 一般的にいうとエゴや欲望などでよごれているからそういうものをそぎ落としていくのをそぎ落としていくことが魂を磨くということにつながるようにも思える。 うーんでもなんかしっくりこない氣もする。 エゴや欲望が全て悪いわけではなくそういうのもが人類を色んな技術を発展させてきた事は間違いのない事実である。 では逆に魂の磨かれた人はどんな人だろう。 ヒマラヤとかで山篭りしてヨガとかしている人か? チャネリングとか出来て宇宙の真理とか説いている人か? それと人格は別問題のような感じもする。 自分の人生ををしっかり生き抜いてそして思いやりのある人が魂が磨かれている人のような氣がする。 もちろん人生において、色んなことを経験していく必要があるしこれで終了だし完璧ということもない。 成功や失敗を繰り返しながら、少しづつ心配りができて人の思いに寄り添い、受け入れるそしていつも優しい笑顔で人を包み込んでいけるような人間が、魂の磨かれた人じゃないかなぁなんて思うのです。 お金や地位や名誉を求めてがむしゃらに人を蹴落としてやってきたような人でも在る程度のところで感謝とか笑顔とかありがとうとかよく口にするようになる。 最後に行き着くところは結局思いやりをもって自分の人生を生き抜くことではないかなぁと思うのです。 そこに行き着く過程で色んなエゴとか欲とかが少なくなって来て魂を磨くとかいう表現になっていったのかもしれません。 ほんと色んなことに心を配れれば仕事だって、家庭だって自然と良いものになっていきますよね 人の悪口は言わないとか、ゴミをすてないとか、町に落ちてるゴミを拾うとか、コンビニのトイレをちょっと掃除して出るとか。いつも笑顔や優しい瞳で人に接するとか、当たり前のことでなかなか出来ない事を自然と普通に出来ている人。 人の思いや心によりそって受け入れて大きな心で包み込んでくれるような感じの人 ちょっと抽象的かもしれませんがそんな人が魂がどんどん磨かれていってる人ではないかと思うんです。 魂を磨くとは 思いやりのある人間になっていくことだ そしてそれを意識しながら日々生きる事がとても大切なことであると思うのです。 人生の修行の旅が終わるその時まで。 あなたの命に出会えてありがとう。 |