楽天ブログの「そよ風のごとく」
では、実際に使って重宝した子育てグッズの紹介や、日記などを書いてます
ぜひ見てくださいね!
・ベビーカー(グレコ・マクラーレン)と付属品
・オムツ用ゴミ箱とナノイー発生器
・レインフォレスト・ジャンパルー
・ベビーゲート
・ジョイントマット
(トコちゃんベルト・妊娠線予防・胎教など)
これからどんどん更新していきます!!
1989年11月17日ー英和辞典をめぐる研究社と宝島の訴訟ー
英和辞書といえば研究社だ。
その研究社の出している二つの英和辞書が
「間違いだらけ」「欠陥辞書」と「宝島」という
雑誌が書いたため、同社が、この雑誌を
名誉毀損で訴えようとしているのは知っているね。
「宝島」が不適切な例文と指摘、
こちらが正しいというのにはこんなのがある。
1、an old Irish air(古いアイルランドの歌)
→(正)an old Irish song.
2、I have never gone to Australia.(オーストラリアに行ったことがない)
→(正)I have never been to Australia.
お父様には、どちらも正しいと思う。
「air」に「歌」という意味で使われることもある。
2、の用法もあることはある。
やはり、辞書である限り、できるだけ多くの意味が書いてあった
方がいい。
しかし、これらの用法が古く、まれにしか使われないことも
確かだ。要するに、使う人が辞書を選べばいい。
大学生になると、三冊は必要になる。
1989年11月15日ー七五三ー
「七五三」の日だ。
数え年で3歳と5歳の男の子と3歳と7歳の女の子を
神社に連れて行き、健やかな成長を祈る。
なぜ、この年齢に神にまいるのか。
古くから、この年頃の子は成長期の重要な
節目と考えていた。
特に7歳まで、子供は社会的な人格が認められず、
この年に氏神に参って、初めて人間として扱われた。
だから、小学校に入る年は、いまでも、数え年7歳、
満6歳だ。
このほか、中国では奇数を「よい数字」と考えられて
いたからという説もある。
この日は、また「きものの日」。
七五三には、みな着飾るので、
もっともっと着物を着てもらおうと、この日が決まった。
1989年9月18日ー15年戦争ー
「15年戦争」というのを知っているだろう。
昭和に入って、日本が外国と戦争してきた期間のことをいう。
それが始まったのが、昭和6年9月18日。
この日、中国東北部(当時の満州)の柳条湖(むかしは
柳条溝といったが、最近、湖の方が正式の地名とわかった)
で満州鉄道(日本が運行していた)の線路が爆破された。
やったのは日本軍。
だが日本は、中国軍のせいにして、攻撃、以来、満州事変、
上海事変、支那事変(日中戦争)太平洋戦争と、
日本は15年間、戦争のしっぱなしだった。
お父様が3歳のときに始まり17歳で終わったことになる。
外国でも、14世紀に英仏との間で、
あのジャンヌ・ダルクで有名な百年戦争というのがある。
現代では、近代国家で、こんな長く戦争したのは
日本だけだ。
1989年9月17日ーパソコン通信ー
「空と海をこえて」
少し、パソコンの宣伝臭が強かったが、
なかなかスリルがあって、出来のいい
“PR”映画といっていいだろう。
○○中学が出たので、なおさらよかったね。
パソコンというのは、パーソナル・コンピューター
(個人用コンピューター)というのは知っているね。
パソコン通信には、必ずホスト(主人)コンピュー
ターというのがある。
このコンピューターを中心に、会員同士で通信
することができる。
つないでいるのは電話。
ホストコンピューターのことをBBS(Bulletin Board
system)電子掲示板というのは、映画の説明どおりだ
。(全国20箇所ほどある)
むかしは、知らない人同士が遠くから話し合うのに
はハムといった無線を使うので免許がいった。
パソコン通信は免許がいらないがカネがかかる。
しかし無線と違い記録に残る。
だからいつでも読める。
だからああいうことができたのだ。
2012年9月
インターネットも携帯もスマホもない時代。
一部の人がパソコン通信を利用していた。
父も、過去の新聞記事の閲覧のためなどに
ニフティのパソコン通信を利用していた。
1996年には、まだ私はパソコン通信を利用していた
覚えがあるが、1997年にはもうネットが主流だった。
パソコン通信は約10年ほどの寿命だった。
これから、ネット社会。どうなるのだろう。
息子が成長して、ネットとのかかわり方に
悩む日も、そう遠くはない。
1989年9月16日ー室戸台風ー
お父様が小学1年のとき、つまり昭和9年
の9月21日、四国に超大型台風が直撃、
さらに大阪にも上陸した。
そのとき、お父様は、生意気にもタクシーで
小学校に行ったが、途中でタクシーは強風に
あおられ横すべり、道々の並木は、ほとんど
なぎ倒されていた。
室戸岬の瞬間最大45メートル。
死者、行方不明3000人。
第一室戸台風と呼ぶ。
それから27年。
昭和36年9月16日、再びスーパー台風が
四国襲った。
この時室戸岬での瞬間最大風速は84.5メートル
にも達した。
もちろん国内の観測史上最大。
だが、これは未公認だ。
風速計の自己装置が60メートルまでしか
記録できず、はみ出した部分は推算だったため。
このときの死者・行方不明は200人。
台風警報などが格段に進歩していたからだ。
これは第二室戸台風と呼ばれる。
1989年9月15日ー月は地球よりも年上ー
敬老の日。
むかしは60歳の還暦を過ぎれば、りっぱな老人
だったのに、いまでは、少なくとも65歳すぎないと
シルバーシートに座るのも遠慮してしまう。
もう少しすると、70歳にならないと一人前の
老人として扱ってくれないかもしれない。
お父様など、まだまだだ。
老人といえば、地球が生まれたのは、約45億年前。
つまり、大体、45億歳ということになる。
ところが、月は、それよりも年寄らしい。
以前は、月は地球から分かれたものと言われてきた。
ところが、1969年の9月15日、アメリカの科学者チーム
はアポロ11号が月から持ち帰った「静かな海」
の石を分析した結果を発表した。
「月と地球は他人。それも年上だった」
1989年9月14日ー中秋の名月ー
すでに季節は「白露」。
木の葉は、白い露を結び、
秋の気配がみなぎり始めるころだ。
それに、きょうは「中秋の名月」。
けれども、日中の気温は夏と変わらず、
夜なお、蒸し暑い。
もし、月が出ても、この調子では、さわやかな、
月見はできそうもない。
やはり「十五夜の月」は、すみ切った、
少し、肌寒さを感じさせる空に輝いてほしいものだね。
だが、月を走り抜ける雪を見るのは楽しい。
かつて長塚節という歌人が、「土」という小説に
こう書いている。
「夜のそらは忙しげな雲が月を呑んで
直ちに後へ吐き出し吐き出し走った。
月は反射に逃げつつ走った。秋風だ」
地上が暑ければ、せめて雲の動きを見て、
秋風を感じよう。
2012年9月
年々、残暑が厳しくなっている。
北海道でも記録的残暑だという。
やはり着々と温暖化は進んでいる。
1989年9月13日ー地球環境元年ー
11日から、ホテル・オークラで「地球環境保全に関する
東京会議」が開かれている。
ことしは“地球環境元年”
人類は、ようやく、互いに、にくみ合い、
殺し合うことの愚かさを悟り、環境を守ることこそが、
共通の目的であり、それを破壊するものこそが
共通の敵であることを気づき始めた。
そのなかで、いま一番恐れられているのが
地球の温暖化。
度々、書いているように、これは、自動車などが
吐き出す炭酸ガスが地球の表面をおおって、
宇宙に逃げ出す熱を遮断、地上の温度が上昇
することをいう。
この結果、北極の氷などが溶け、海面が上昇する
危険がある。
また気候の変化で、農作物もとれなくなり、
バングラディッシュ、インドネシア、エジプトの沿岸の
人々は家を失うといわれる。
その数、5000万人。
これを「環境難民」という。
新しい”難民”だ。
2012年9月
1989年では、新しい敵をみつけて
世界平和へと動き出していたのに、
今は、やはり人間同士の争いが絶えない。
原発問題、領土問題、あらゆる問題が山積みで
地球環境問題まで手が回らない。
それが今の日本。
1989年9月12日ー天皇という称号ー
「天皇」という言葉をつかっているのは日本だけだ。
英語に訳すと「エンペラー」。
あの中国のフギと同じように「皇帝」にすぎない。
日本も、明治の初めには「日本国皇帝」と
外国に対しては、いっていた。
日清戦争のときの宣戦の詔書には、このように
署名していた。
それが天皇になったのは、“万世一系”の皇帝は、
ほかの国とは違うのだということをいいたかったのだろう。
日本で一番最初に「天皇」という称号を使ったのは
聖徳太子だった。
608年の9月11日、小野妹子を隋に派遣したとき
(遣隋使)、隋の煬帝に送った挨拶状に
こう書いた。
「東の天皇(すめらみこと)敬(つつし)みて
帝に白(もう)す」
それまでは「天子」といっていた。
1989年9月11日ー鳥取砂丘ー
かつては東西16キロ、幅2キロもあり、
壮大な景観だったようだが、いまは、やっと
一部だけが残っていた。
それでも、あれだけの砂山は、
やはり、見てみる価値はある。
どうして、あんな“砂漠”ができたか、
よくわかっていない。
多分、千代川が長年にわたって
運んできた砂が、たまりにたまったのだろう。
戦前は、陸軍の演習地だって。
あの砂山で足をとられながら、銃を持って
走るのは大変だ。だから、あそこの連隊
の兵隊は足腰が強かった。
戦後、例によって開発。
砂丘は、みるみるうちに畠や
住宅地になった。
しかし、間もなく砂丘の観光価値に
気づき保存されるようになったという。
もったいないことをしたものだ。
