『日本国紀』読書ノート(223) | こはにわ歴史堂のブログ

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【223】終章に向けてのふりかえり。

 

終章は「平成」です。わたしの読書ノートも、いよいよ「終章」に近づいてきました。

さて、終章「平成」の序文(P486P487)として、今までのふりかえりを説明されています。

 

「日本は神話とともに誕生した国であり、万世一系の天皇を中心に成長した国であった。」(P486)

 

と説明されています。ただ、『日本国紀』では、九州王朝説や王朝断絶説という立場に立たれていて、古代史においては、「万世一系の天皇を中心に成長した国」という考え方は採用されていませんでした。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12425022566.html

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12423074488.html

 

「日本の歴史には、大虐殺もなければ、宗教による悲惨な争いもない。人々は四方を海に囲まれた島国の中で肩を寄せ合い、穏やかに暮らしていた。」(P486)

 

と説明されていますが、日本でも大虐殺はありましたし、宗教上の対立もありました。

縄文時代はともかく、農耕が始まり、弥生時代に入ると、小国の分立があったことは『後漢書東夷伝』『魏志倭人伝』の記述で明かで、堀に囲まれた遺跡や高地性集落、矢で射られた遺体の埋葬など、考古学的にも争いがあったことは明白です。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12424719994.html

 

「ヨーロッパから見れば、極東に位置する日本は長らくその所在さえ不明であり、十六世紀に発見された後も、交流を拒む閉ざされた謎の国であった。」(P486)

 

あくまでも百田氏個人のイメージにすぎず、モンゴルでは日本の所在を理解していて、元にいた宣教師のみならずイタリア商人マルコ=ポーロが『東方見聞録』で“ジパング”を紹介しており、このことが「大航海時代」の幕開けの一つの背景にもなりました。鉄砲伝来、キリスト教伝来以後、南蛮貿易や朱印制貿易、東南アジアへの日本人の進出(日本町の存在や山田長政の活躍)が続き、「交流を拒む」国ではありませんでした。鎖国後も、従来説明されていたような「閉ざされた国」ではありませんでした。

 

「その後、欧米諸国は、発達した科学技術を武器に、世界の多くの国々を植民地とし、有色人種を支配していったが、日本は最後に残された狩場であった。」(P486)

 

日本は欧米の植民地主義、帝国主義の「狩場」などではありませんでした。

鎖国を通じて保護・育成された文化・商品は国際競争力が高く、「市場」として理解され、ヨーロッパ諸国は日本の国際経済における「価値」をふまえて有利な貿易をする外交を展開しましたが、日本を植民地するつもりはまったくありませんでした。

よって「植民地とされる土壇場」に日本は立ったことはなく、世界の経済システムの中にうまく組み込まれて「独立」を維持できました。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12433397766.html

 

 

「そして明治維新からわずか四十年足らずで大国ロシアを打ち破った。この勝利が、世界の有色人種にどれほどの自信を与えたかは計り知れない。」(P487)

 

しかし、そのわずか数年後、「有色人種」たちの日本への期待は裏切られることになります。日本に学ぼうとしたベトナムの留学生を拒み、独立運動を抑えようとするヨーロッパに協力し、朝鮮半島を植民地にしました。インドの首相ネルーが『父が子に語る世界史』で述べたように「やがて失望に変わった。新しい帝国主義諸国が一つ生まれただけだった」というように日本への評価は変わってしまいました。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12442007945.html

 

「…日本は第二次世界緯線で、アメリカを中心とする連合国軍に敗れる。百年前、有色人種の最後の砦であった東洋のミステリアスな国も、ついに欧米の力の前に粉砕されたのだった。しかし日本が敗れた後、アジアの諸国民は立ち上がり、欧米と戦って次々と独立を勝ち取った。その波はアフリカや南米にも及び、世界四大陸で多くの新しい国が産声を上げた。まさに日本という存在が世界を覚醒させたのだ。」(P487)

 

と説明されていますが、ベトナムは抗日組織から誕生し、ビルマもその初期において、こそ、日本の協力を得ましたが、軍政下に置かれるにあたって日本は打倒すべき対象に変わりました。タイも中立国であったにも関わらず、マレー進攻にあたって許可なく領土を利用されて日本への不信を高めます。フィリピンは日本によって独立を阻害され、軍政下に置かれました。ある意味、「もし日本という国がなかったなら、世界は今とはまるで違ったものになっていた」と思います。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12447389146.html

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12451258597.html

 

「二十一世紀の今日、世界中で『人種差別は悪である』ということを疑う人はいない。しかし百年前はそうではなかった。当時、絶対強者だった欧米列強に向けて、初めて『人種差別撤廃』を訴えたのは、私たちの父祖である。日本が世界のモラルを変えたのだ。」(P487)

 

しかし、その「人種差別撤廃」を国際連盟にうったえた日本が、ベルサイユ条約反対を唱えて展開された中国の五・四運動や朝鮮の三・一運動を一方では弾圧し、戦勝国としてヨーロッパの列強に与して「理事国」となっています。

「人種差別撤廃」を訴えた国が、一方でイギリス・フランスと同様、自国の植民地における民族自決を否定し、植民地支配をしていた、という事実も忘れてはいけません。

 

「日本の役割は終わったわけではない。今こそ日本はかつての先人の遺業を思い出し、世界を平和へ導くために努力をするべきである。」(P487)

 

まったく同感ですが、「先人の遺業」に思いをはせて、心をふるわすのみならず、「先人の愚行」も直視し、ありのままに受け入れて止揚し、日本が過去の歴史をふまえて日本にしかなし得ない世界への貢献を考えていきたいものです。