『日本国紀』読書ノート(222) | こはにわ歴史堂のブログ

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222】「人の命は地球より重い」という福田首相の発言は世界中の失笑をかっていない。

 

「ダッカ日航機ハイジャック事件」を以下のように説明されています。

 

「これは日本の極左暴力集団が日航機をハイジャックし、人質を取ってバングラデシュのダッカのジア国際空港に立て籠もった事件だったが、日本政府は『超法規的措置』で法律を捻じ曲げて、犯人の要求通りに多額の身代金を払い、さらに日本に勾留中の凶悪犯(一般刑法犯)を釈放して、ハイジャック犯を逃がしてしまった。この時、首相の福田赳夫は自らのとった措置を正当化する理由として、『一人の命は地球より重い』と言って、世界中から失笑を買った。」(P484)

 

と説明されていますが誤りです。

「世界中から失笑を買った」といいますが、大部分の国はべつにこの問題をあざ笑ったりしていません。

これ、私ずっと不思議に思っていた話で、当時、テロリストから人質を解放する条件として身代金を支払ったり、要求をのんだりすることはむしろ普通のことでした。

1970年のエル=アル航空、スイス航空、トランスワールド航空、パンアメリカン航空の旅客機がハイジャックされた事件(PLFP旅客機同時ハイジャック事件)1972年のルフトハンザ航空615便事件、1974年に連合赤軍が起こしたハーグ事件などいずれも犯人の要求をのんで対応しています。

(後年ふりかえって、後付け的に、当時の日本の対応を後の西ドイツの対応に比べて判的に説明するようになってから、辛口の評価に変わったのです。)

そもそも、他国の空港において、日本が「強硬手段」を用いることも難しかったこともありますが、バングラデシュ政府の許可を得たとしても(この事件の最中のバングラデシュでクーデターも発生していて普通の状況ではなかった)、テロ事件に対する人質救出を専門とする部隊を日本は持っていませんでした。

また、この事件を「平和ボケ」の象徴的事件と説明するのは的外れです。先に例にあげたように各国は、非難を受けても「人命最優先」をする、という対応をまずは考え、そして実行している、ということを忘れてはいけません。

当時の段階でできもしないことを「平和ボケ」と断定して、当時の対応を非難するのは早計です。

西ドイツは、615便事件以後、特殊部隊GSG-9を創設・訓練し、ダッカ事件を参考にして救出訓練をするようになり、その成果がその後に起こったルフトハンザ航空181便事件に活かされることになり、人質の救出に成功します。

ダッカ事件後なのです。テロの要求に屈せずに人質救出、ということに各国が方向転換するのは。

日本もこれ以後、人質救出の専門部隊を用意し、1995年の全日空857便事件で活躍して人質救出、犯人逮捕の実績をあげました。(後にSATに発展します。)

また、アメリカもダッカ事件およびGSG-9を参考にして陸軍にデルタフォースを創設しています。

ダッカ事件に対して一定の非難があったことは確かですが、他国の同様の事件の対応にも非難があって、日本だけのことではありませんでした。