『日本国紀』読書ノート(4) | こはにわ歴史堂のブログ

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(4)天皇の「諡号」から神話時代の天皇を考えすぎないほうがよい。

 

P24~26で「神功皇后の謎」というところで、天皇の諡号に基づいて様々な推測が述べられています。

想像力豊かな説明でおもしろいところではありますが…

 

仲哀天皇に関して、「『哀しい』という文字が入っているのも意味ありげだ」と説明され、また応神天皇に関して、「天皇の名前の前に『神』という字が入ることは特別なことだ。」と説明されています。

 

神武天皇から天皇の諡号は当時からあるものではなく、8世紀につけられたものだと考えられています。

あくまでも8世紀の考え方、神話や伝承についての考え方が反映されたもの。

「仲哀」の「仲」は二番目という意味で、「哀」は「かなしい」という意味です。次男で天皇となったけれども、戦いの途中で若くして死んだ、ということでおくられたと考えられます。これ以上の意味をあまり考えなくてもいいのではないでしょうか。

 

次に「神」を諡号に持たれている天皇のことですが。百田氏が皇統の断絶があった、という立場で説明されているので、私は逆に皇統の断絶は無かった、という立場であえて説明させてもらいますと…

 

「神」という字をお持ちになられている天皇は、神武・崇神・応神の三天皇です。

もし、この「神」に特別な意味があるとして、それを開祖・中興・発展、という万世一系の流れの中の「節目」の天皇だ、としても説明は可能です。つまり「偉大な」というような意味でも話の筋は通ると思います。

また、万世一系の概念、「天皇は万世一系でなければならない」(P32)という考えが8世紀に確立されたのだとしたら、「断絶」は秘すべきことで、わざわざ諡号で断絶を意味する言葉を「ヒント」として残す意味もわかりません。

P31~32かけての記述をみるかぎり、「万世一系」についての考え方を、筆者は8世紀に確立された概念にすぎず、実際には連続性はなく、途中で王朝が交替している、と捉えているようです。帯に書かれているように、「神話とともに誕生し、万世一系の天皇を中心に、独自の発展を遂げてきた」という考え方は、ここには反映されていません。

ちなみに「万世一系」という言葉ですが。

どこで誰が使っているのか。万葉集や『古事記』、『日本書紀』に出てきそうですがありません。北畠親房が言いそうですが、彼も使っていなさそうです。山鹿素行や頼山陽か、水戸学の誰かか、というとそうでもありません。では、いつごろ生まれた言葉なのか。

なんと幕末、「王政復古の大号令」の文言を作成しているときに、岩倉具視が考えて使用したそうです(『律令制から立憲制へ』島善高)。

今年は明治維新から150年。

「万世一系」という言葉もまた、150年をむかえたようです。