『日本国紀』読書ノート(202) | こはにわ歴史堂のブログ

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202】東南アジア諸国要人の「日本礼賛」が不正確で事実ではないものがある。

 

「東南アジアの諸国民は、欧米列強による長い植民地支配によって、『アジア人は白人に絶対勝てない』と思い込んでいた。その認識を覆したのが、日本人だった。無敵の強者と思われた白人をアジアから駆逐する日本軍を見て、彼らは自信と勇気を得たのだ。」(P445)

 

と説明されていますが、日本の植民地支配の実態をふまえていない一面的な説明です。日本の東南アジア支配は、アジア解放の名目に反して、戦争遂行(日中戦争の遂行)のための資材・労働力調達を第一とするもので、住民の反感・抵抗が次第に高まっていきます。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12447106516.html

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12447389146.html

 

ビルマの元首相バー・モウは「大東亜会議」にも参加しているにもかかわらず、『ビルマの夜明け』(太陽出版)で以下のように説明しています。

 

「冷酷で短気な日本軍人が残虐な振る舞いをしたこと、そして、もっと残虐なやり方でビルマとビルマ人及びその資源を日本の戦いのために利用したことについては疑う余地がない。」

 

占領地では現地の文化・習慣を無視して日本語学習・神社参拝の強制などをおこない、泰緬鉄道の建設や「バターン死の行進」に代表されるような捕虜虐待もおこなわれていました。

 

不思議な引用が『日本国紀』ではみられます。ビルマの元首相バー・モウの言葉として次の言葉が紹介されているのですが…

 

「日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。われわれは白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。一度持った自信を持ち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北した時、『これからの独立戦争は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる』と思っていたが、独立は意外と早く勝ち取ることができた。そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。そして実はわれわれの力でやりたかった。それなのに日本にだけ担当させ、少ししかお手伝いできず、誠に申し訳なかった」(『ビルマの夜明け』バー・モウ著)

 

こんな文章、『ビルマの夜明け』のどこにも掲載されていません。出典を改めて明らかにされたほうがよいと思います。バー・モウはその時期のその立場でいろいろ発言が変わるので要注意です。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12442007945.html

 

この「独立するアジア諸国」で紹介されているアジア諸国の要人の言葉は、基本的にはあまり信用できません。とくに戦後、日本との友好関係の中で語られた「外交的社交辞令」の延長にあるからです。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12447389146.html

 

シンガポールの元首相の説明も、「諸君!」平成五年七月号からの引用のようですが、1992年2月12日の“The Japan Times”での発言とは似ても似つかないものです。

 

タイのククリット・プラモート元首相のジャーナリスト時代の言葉を紹介したいとされて、「現地の新聞サイアム=ラット紙・昭和三〇年十二月八日」に掲載された言葉が引用されているのですが、これもサイアム=ラット紙の昭和三〇年十二月八日の記事に見られないもので、百田氏は、この「日本語訳」をどこから手に入れられたのでしょうか。

 

「日本が戦争中、東南アジアの諸国に進撃し、一時的に占領したことは事実だ。しかし日本軍が欧米列強を追い出したことによって東南アジア諸国が独立を勝ち得たこともまた事実である。」(P447)

 

と説明されていますが、事実とは言えません。ビルマは日本がイギリスと戦っているときは協力関係にありましたが、やがて日本は約束を破って軍政をしきました。後に日本も打倒の対象となっていた、というのが事実です。フィリピンにおいては言うまでもありませんし、仏領インドシナでは、抗日組織ベトナム独立同盟の指導者ホー=チ=ミンがベトナム民主共和国の独立を宣言し、その後、これを認めないフランスと戦っています(インドシナ戦争)