『日本国紀』読書ノート(17) | こはにわ歴史堂のブログ

こはにわ歴史堂のブログ

朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

17】日本でも民衆の虐殺はあった。

 

「日本の歴史を見て驚くのは、ヨーロッパや中国では当たり前のように行なわれていた民衆の大虐殺がまったくないということだ。」(P64)

 

と、説明されています。

「民衆の虐殺」についてですが。

奈良時代から平安時代の人口については諸説ありますが、600万人くらいと考えられていて小学校の教科書でも紹介されています。

鎌倉時代や室町時代は1200万人ほど。農民は90%近くです。

人口が少ないのに虐殺してしまうと生産に影響が出ますから、「人質」をとり、「身代金」の支払いで、返還したりしていたことも確かにみられました。

 

でも、これは逆に言うと、ヒトをモノ扱いしていたわけで、命が軽んじられていたことの証拠でもあります。

そのようなことも背景にあり、中世から近世にかけて、一向一揆に対しては、たとえば筆者も後に指摘されているように(P141~142)、織田信長などはずいぶんと苛烈な虐殺をしています。

 

また、キリシタンの弾圧も、かつて言われていたほど厳しく取り締まられていないことはわかっていますが、豊臣秀吉の弾圧や、江戸時代に入ってからの禁教以後、天草・島原一揆、およびその後の禁教政策下の弾圧はかなり苛烈でした。

 

中世の民衆史研究はかなり進んでいます。

大坂の役での兵たちの乱暴・狼藉はかなりの規模で、戦国時代などの戦いでもよく似たことが起こっていたことは容易に推測できます。合戦後の農民たちによる「落ち武者狩り」も常態でした。

(参考1:『大坂夏の陣図屏風』)

(参考2:『雑兵たちの戦場』『飢餓と戦争の戦国を行く』藤木久志)

 

さらに遡って、奈良時代、藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱時も、かなりの虐殺がおこなわれています。

隼人征伐や、大化の改新から平安時代までの蝦夷征伐の過程での「蛮族」と呼ばれた人たちの扱いなどがどのようなものだったかは不明ですが、日本だけが特別に虐殺がなかったとは言いにくいと思います。