お尻のできもので病院へ行く 2025年9月22日(月)

 

 今日は連休の間の平日です。今週は、水、木と忙しいので、今日、平日の月曜日に、道の駅しらとりへ行くことにします。また、お尻にできものが出来たので、午前中は病院へも行くことにします。

 朝、母の朝食の準備をして食べてもらい、その後、病院へ行きました。痛み止め、抗生物質、塗り薬などを貰いました。これで無事に直ればよいのですが、どうなることでしょう。椅子に座ると痛いのでつらいです。

 昼食の世話をしてから、午後から道の駅に車で出かけました。平日の午後なので、駐車場へは直ぐに入る事が出来ました。休日は混み合って、駐車場に車を入れるのに苦労をしますが、今日は平日なので、大丈夫でした。しかし、午後から道の駅しらとりへ行くと、野菜が殆ど売り切れになっているので、午後からは補充をしながらの野菜を、買うことになります。午前中の山積みにされた野菜に出会うことはできません。

 お尻にできものが出来たので、生活レベルが落ちてきています。エネルギーが出ません。早く腫れが引いてほしいものです。体調を崩すと、頑張れなくなります。

 

 探路巳237 菅池周辺・しらとり公園 今日は5時からの朝散歩をして、午前中病院へ行き、午後からは、道の駅しらとりへ、野菜を買いに行きました。ついでに、しらとり公園を一周、虫や花の写真を撮るために歩きました。猛暑の夏の間ずっと、しらとり公園はだれも使っていなかったのですが、今日は、本当に久しぶりに子どもが滑り台を滑っていました。ツクツクボウシが鳴いていたのですが、姿を見ることはできません。数日前から少し最高気温が下がってきて35度まで上がらないようになりました。夜も25度を下回るようになり、野草も、花壇の草花も、元気を取り戻し始めています。3ヶ月に渡る余りの猛暑に、人は疲れ切り、草花も元気がありませんでしたが、花を咲かせ始めました。

植物は、コスモス、アメリカアサガオ、ヌスビトハギ、イネ、エノキ、カエデ、コナラ、ハナニラ、ブタナ、ミカン、などの写真を撮りました。

虫は、オオスカシバ幼虫、スズメバチ、の写真を撮りました。

鳥は、カルガモ、の写真です。

 

 仮想研1052 スズメバチ 今日は、コナラの蜜場に、スズメバチがいました。最近、テレビでも、スズメバチの巣が大きくなり、業者に退治をしてもらっている映像をよく見ます。スズメバチについて、ネットで情報を調べてみました。

 「数年前の夏、北海道の山中で500mぐらいしつこくぐるぐる飛び回るスズメバチに追いかけられるという、とても怖い体験をしています。幸いなことに刺されはしなかったのですが、信じられないぐらい長い時間、長い距離を追いかけられて、最後には刺されることも覚悟して、泣きそうになりながら走っていました。日本には17種類のスズメバチがいて、概ね攻撃性が高い性質を持っています。

 スズメバチの刺傷による死亡例はクマや毒蛇による死亡例より多く、毎年30名〜40名の方が亡くなっています。活動時期は5月〜10月。その中でも働き蜂が最も多くなり次世代の為に巣を守る時期、8月〜9月に刺傷被害が多くなります。巣を作る場所は種類によって多少の差はありますが、住宅の軒下、樹木の枝、土の中、木の根っこ付近、木の洞の中など。通常は巣から10mの範囲内で動き、パトロールをします。不審者を発見すると周囲を飛び回り、威嚇行動を行って追い払います。」(みちのくトレイルクラブ)

  昨年も今年も9月16日が最終猛暑日 2025年9月21日(日)

 

 今日は日曜日。いつものように、母宅へ3回、食事の世話に行きました。夕方、洗濯物が多くあったので、洗濯機をかけて帰り、夜8時に、もう一度母宅へ干しに行きました。

 午後からは、ホームセンターに買い物に行き、自分の秋用のパジャマを買いました。今、着ている夏用のパジャマを捨てて、新しい物に着替えようと思います。まだしばらく夜の気温が下がりきらないので、夏用を着ることにします。

 手帳のウイークリーページの記録を見直して、今週一週間のイベントを確認しました。(月)自治会からお赤飯が配られる、(火)郵便局の保険申請に行き母の入院費用を申請、(水)母の訪問診療の主治医と話をする、(木)あびこ~昭和町駅を歩く、高齢の親戚の方がなくなりお通夜は遠慮して家から手を合わせる、(金)歯の定期検診に行く、大阪市立中央図書館から難波まで歩く、(土)昭和町~谷町九丁目駅まで歩く、(日)ホームセンターで秋用のパジャマを買う、というようなことに取り組みました。少し、行動的に活動が出来たかなと思います。

 今週火曜日、9月16日が、今年の最終の猛暑日になると思われます。35.5度でした。昨年2024年も、同じ9月16日が大阪の最終の猛暑日で、35.5度でした。昨年も、今年も暑かったということです。その猛暑日以降の気温を見てみると、30度前後の日がしばらく続き、その後10月に入ってすぐには、最高気温が24度という日も現れるように変化していきました。お彼岸が過ぎると、一気に気温が下がります。

 

 探路巳236 管池 今日は、朝散歩に行きました。午後から歩きに出かけなかったので、今日のフィールドワークは朝散歩だけでした。体調的には朝散歩に出かけた方が、一日の体調は良いようです。今日は天気が悪く、朝5時に出発をすると、暗い中を歩いて朝散歩が終わりました。

植物は、イネの写真を撮りました。朝5時に朝散歩出発なので、まだ暗く、野草の写真を撮ることができません。

 

 仮想研1051 おくのほそ道 松尾芭蕉のおくのほそ道の句を、筆文字で書き始めました。仮名文字が混じっている小筆文字は、これまで作品として書いたことがないのでとても不安なのですが、下手でも50首を最後まで、小作品として書いてみようと始めました。今は、03「あらたふと青葉若葉の日の光」を書きました。ネットで「おくのほそ道」について、情報を調べてみました。

 「元禄2年(1689)3月27日〜9月6日 芭蕉46歳。

 元禄2年(1689)3月27日、芭蕉は門人曾良を伴い江戸を発ち、奥羽・北陸の各地をめぐり、8月20日過ぎに大垣へ着くまでの、距離約六百里(約2,400キロ)、日数約150日にも及ぶ長旅である。旅の目的は、歌人能因や西行の足跡を訪ね、歌枕や名所旧跡を探り、古人の詩心に触れようとした。芭蕉は各地を旅するなかで、永遠に変化しないものごとの本質「不易」と、ひと時も停滞せず変化し続ける「流行」があることを体験し、この両面から俳諧の本質をとらえようとする「不易流行」説を形成していく。また旅をした土地の俳人たちとの交流は、その後の蕉門形成や、紀行文『おくのほそ道』に大きな影響をもたらす。『おくのほそ道』は随行の曾良が旅の事実を書き留めた『曾良旅日記』と相違があり、芭蕉は文芸作品として執筆している。和漢混交文の格調高い文章でまとめられ、芭蕉の紀行文としては最も長編で、かつ質的にも生涯の総決算的な意義をもつ。書名は文中の「おくのほそ道の山際に十符(とふ)の菅(すげ)有(あり)」の地名による。芭蕉自筆本、素龍清書本、曾良や去来へ伝えられた本があり、去来の本を元に刊行された版本がある。」(芭蕉翁顕彰会)

 

  朝散歩はした方がよい 2025年9月20日(土)

 

 今日は、土曜日。昨日に続けて、朝散歩はしませんでした。朝からブログアップをして、悠遊探路を書きました。しかし、朝散歩をしてからブログアップと悠遊探路を書く日と、書き終わる時刻が一緒でした。起きてすぐ5時からの40分ほどの朝散歩は、やはり出かけた方が、生活のスタートには良いようです。朝起きて直ぐに椅子に座って1、2時間の作業をするより、まずは30~40分ほど歩こうと思いました。

 また、ストレッチ運動を10分ほどでもしてから寝る方が、深く寝られるということも分かってきました。何となく体がしんどくて、体を動かすことをサボっているより、少し無理をしてでもストレッチ運動を、寝る前に10分ほどしたり、一日の作業の隙間の時間に、少しずつ分けて取り組んだりする方が、体調が整います。肩こりもひどくなりません。

 寝る前に、今日は筆ペンの練習をしました。図書館で借りてきた『春は俳句で年賀状』の本を見ながら、仮名を書く練習をしました。最後に、奥の細道03『あらたふと青葉若葉の日の光』の句を書いてみました。青葉若葉のところが難しく、うまく書けなかったのですが、取り敢えず作品としました。

 

 探路巳235 昭和町駅~谷町九丁目駅 今日は、二日前に到達している昭和町駅から歩き始めて、天王寺を通過して、谷町九丁目駅まで歩きました。昼間の最高気温は31度でした。風が少し吹いていて、ビルの日影の中を歩くと、快適に歩くことができました。夏の猛暑がやっと終わったなと感じました。

 谷町九丁目駅から家に帰る時は、これまで地下鉄谷町線で天王寺に出て、天王寺で御堂筋線に乗り換えて帰っていたのですが、今日は、谷町九丁目駅から千日前線に乗り、難波で御堂筋線に乗り換えて帰りました。天王寺駅での、谷町線から御堂筋線の乗り換えより、難波での千日前線から御堂筋線への乗り換えの方が距離が近くて楽でした。

植物は、トキワマンサク、ヤノネボンテンカ、キダチチョウセンアサガオ、ジニア、セイヨウキンシバイ、ニチニチソウ、バーベナ、ペチュニア、リコリス、などの写真を撮りました。

 

 仮想研1050 彼岸の入り お彼岸について、ネットで情報を調べ見ました。

「秋のお彼岸は、秋分の日と前後3日間を合わせた7日間のことを指す。初日を「彼岸入り」、最終日を「彼岸明け」、ちょうど間の秋分の日を彼岸の中日と呼ぶ。お彼岸は日本独特の風習で、その歴史は古く、平安時代から存在していたといわれる。また、仏教の世界では、先祖のいる悟りの世界を彼岸、今私たちが生きている世界を「此岸(しがん)」と表すそうだ。

 秋分の日は昼と夜の長さがほぼ等しくなることから、この日は彼岸と此岸の距離が最も近い日と考えられ、先祖への感謝の気持ちを表しやすい日だと考えられるようになった。それがお彼岸の由来である。

 こうしてお彼岸である秋分の日前後は、先祖を敬い、感謝を伝えることができる日として、お墓参りに行ったり仏壇に手を合わせたりするなど、先祖の供養をする日となった。」(スカイワードプラス)

 

  大阪市立中央図書館から難波へ歩く 2025年9月19日(金)

 

 今日は、大阪市立中央図書館に行く日です。また、午前中に歯科医へ行く予定なので、今日は朝散歩には行かないで、5時からブログアップをしたり、悠遊探路を書いたりしました。7月26日から毎朝5時からの朝散歩を続けてきて、今日初めて、朝散歩を止めてみました。体調的には、やはり朝から少し歩く方が良いようです。家の周辺でもよいので、寝起き直ぐ、体を動かすようにしようと思います。

 昨日寒冷前線が通過するということだったので、雨が降ると思っていたのですが、大阪は、殆ど雨は降りませんでした。そこで今朝は、まず公園のプランターの水やりが必要でした。家の庭の花にも水をやりました。11時になったので、歯科医に行き、続けて、母の昼食の準備に行きました。午後からは、大阪市立中央図書館に行きました。地下鉄で西長堀駅まで行き、本の返却と、新たに本の貸出をしました。多くの人達が、自習ができる机に座っていました。9月の半ばの平日なのに、どうしてこんなに多くの人が自習をしているのだろうと、ちょっと不思議に思いました。本を借りてから、難波駅まで歩きました。太陽が直接当たる所を歩くと、とても暑いのですが、ビルの日影沿いに歩くと、少し秋が近づいてきているのかなと感じられました。本当は、天王寺駅まで歩くつもりだったのですが、体調が良くないので、難波から地下鉄に乗って家に帰ってしまいました。

 夜になってお風呂に入る前、ペン字の練習をしました。今日は、万年筆にインクを入れて整えてから、練習をしました。もう少し集中して続けると、3級程度から2級に上がることができるかなと自分で判断しています。早くペン文字で、手紙が書けるようになりたいです。昔、学生の頃、筆文字を習っているときは、6級から始まって1級、そして初段から7段まであり、その後、準師範、師範と、レベルがありました。

 

 探路巳234 西長堀(中央図書館)~難波駅 今日は、金曜日なので午後から大阪市立中央図書館まで行きました。一ヶ月半ほど続けていた猛暑の頃の朝散歩はそろそろ終えて、午後からのフィールドワークを、一日の活動のメインにしていこうと思います。母の食事の介助も、時間的に慣れてきたので、午後からのまとまった時間を上手に使うようにしていこうと考えています。

 今日は、西長堀の大阪市立中央図書館から難波駅まで歩きました。出来れば天王寺駅まで歩くつもりだったのですが、やはり直射日光が当たる所は、真夏の温度なので、天王寺駅まで歩くことができませんでした。35度を越える頃と比べると、少しは楽になっているのですが、しかしまだ、フィールドワークで歩くのは危険です。以前にも、「気温が32度を越えると歩くのは止めよう」と決めていました。今年は、夏の3ヶ月ほどが、30度また、35度を越えるような猛暑が続き、フィールドウォーカーにとってはつらい日々となりました。今日は、少ししんどかったので、植物の写真も殆ど撮ることが出来ませんでした。

図書館では次の本を借りました。

①吉村昇洋『禅に学ぶくらしの整え方』オレンジページ2016

②横山煌平『春は俳句で年賀状』二玄社2009

③勝間和代『勝間式超スローライフ』KADOKAWA2020

植物は、ムクゲの写真を撮りました。

 

 仮想研1049 玄関の日よけを取る 陽射しが強い期間、玄関ドアが真西に向いているので、日よけの布を付けていました。秋分が近づき陽射しも柔らかくなってきたので、玄関ドアの外側に付けていた布を外しました。玄関が明るくなりました。二階の書斎も西向きで、前にバルコニーがあるのですが、バルコニーに出るガラス戸の雨戸を閉めなくても、午後から生活が出来るようになってきました。暑さ寒さも彼岸までです。

 

  寒冷前線通過し気温が下がる 2025年9月18日(木)

 

 今日の午後からの気温は32度ぐらいです。今日の夕方、大阪を寒冷前線が北から南へと通過することで、長く覆っていた暖かい空気が、冷たい空気に入れ替わります。最低気温がずっと28度が続いていたのですが、明日の朝からは、25度を下回り少し涼しさを感じることができるようです。夕方、うろこ雲が見えました。夏の間見なかった雲です。上空を前線が通過していることが分かりました。

 今日は、日記の整理をしました。最近、母の食事の世話に追われていて、ついつい日記が書けていませんでした。1週間分をまとめて書くと、時間がかかります。毎日、この悠遊探路をA4で一枚分を書いていて、また、手帳にもしっかり行動記録を整理しているので、日記を書くことは困りませんが、まとめ書きは時間がかなりかかります。はやり、一週間ためないで、水曜日と日曜日の、週に2回、日記の整理をしていく方がよいなと思いました。

 日記は、10年日記です。今、4年目を書いています。毎年の今日、どんな行動をしていて、何を考えていたのかがよく分かります。4年間遡って、今日と同じ日の行動について、手帳を見比べることはありません。また、この悠遊探路は、かなり詳しく毎日の行動を書いているのですが、これも、昨年の今頃どうしていたのか、見ることはめったにありません。10年日記は、手帳の記録と、悠遊探路の記録を合わせて、凝縮した記録になっています。自然の生き物の変化も書いています。

 10年日記、毎日の手帳記録、悠遊探路と、3通りの記録をしていて、それぞれ必要なのでやめられません。また、悠遊探路は、ブログにアップしていて、言葉検索ができるので、とても重宝しています。手帳は、日々の生活リズムが崩れないように、スケジュール管理用です。10年日記は、毎年の生活や気候の変化を見つめることができます。どれも、大切な記録なので続けています。

 

 探路巳233 菅池周辺・あびこ駅~昭和町駅  朝散歩は、菅池周辺を歩きました。午後からでも歩ける気温にやっとなってきたので、今日は早速、あびこ駅から昭和町駅の間を歩きました。まだ気温は30度は越えているので、日影の中を歩きました。もうすぐ、寒冷前線通過があるので、北西から吹く風が、いつもよりも冷たく感じました。やっと秋が近くまでやってきたなと感じることができました。

植物は、カクレミノ、ノウゼンカズラ、ケチョウセンアサガオ、コバノランタナ、トレニア、ルリマツリ、などの写真を撮りました。

 

 仮想研1048 伊勢大神楽 伊勢大神楽の案内が、地域の掲示板に貼られていました。自分が子どもの頃にも、獅子舞が地域に来ていたことを思い出しました。ネットで情報を調べてみました。

「伊勢大神楽講社の大神楽師は、一年中を旅の空で過ごします。現存する五つの家元(太夫)は、元旦からそれぞれの檀那場へ赴き一年を掛けて西日本を中心に諸国を巡ります。十二月、伊勢大神楽発祥の地である三重県桑名市増田神社にて行われる祭礼に合わせて旅から戻り、再び大晦日には檀那場へと赴くのです。獅子舞を舞いながら諸国を巡り、かつては伊勢神宮、現在では伊勢大神楽講社の神札を頒布してまわる神楽です。江戸時代、庶民の最高の娯楽は“お伊勢参り”でした。伊勢は天照大御神が鎮座する地でありながら、土産物屋や遊郭がひしめきあい、そこには現代の厳かな姿のお伊勢参りとは全く違う、庶民による娯楽と信仰の世界が広がっていました。神宮の代参人でありながら、娯楽芸能の形を遺した放下芸や萬歳(まんざい)を今に伝える伊勢大神楽講社はその江戸期のお伊勢参りの姿を現代に遺す”歩く重要文化財”と表されます。伊勢大神楽講社には古来より八舞八曲の十六演目の神楽が伝承されています。大神楽師は八つの獅子神楽・八つの放下芸を修得する芸能者でありながら、その根幹は450年以上にわたり家々の竈祓い・神宮の代理参拝人の役を担う旅先の村々で続けられる信仰者としての姿にあります。江戸時代まで伊勢大神楽講社の大神楽師達の身分は神職身分(増田神社社人)でした。」(一般社団法人伊勢大神楽講社)

 

 

  半切の画仙紙で筆文字練習 2025年9月17日(水)

 

 今日は水曜日です。訪問診療の先生が午前中に来てくれる日です。今日も、午後からの気温も高く、朝散歩だけで、午後はどこにもお出掛けができませんでした。

 昨夜、親戚の98歳の方が亡くなりました。すごい長寿です。最近100歳近くまで、長生きできる人が増えてきています。医療も進み、介護も進んできているからなのでしょう。9月15日の敬老の日のニュースでは、「厚生労働省は9月16日までに、全国の100歳以上の高齢者が9万9763人になったと発表した。過去最多で55年連続の増加、昨年比では4644人増えた。全体のうち女性が約88%の8万7784人で、男性は1万1979人。人口10万人当たりで最も多い都道府県は島根県の168.69人で、13年連続を記録した。」と、伝えていました。

 今日は、午後から、筆文字練習をしました。半切の画仙紙で3枚臨書をしました。筆文字の練習は、半紙のときと、半切のときがあります。半紙の場合は、一文字ずつの形、線質を高めるように気を付けます。半切の場合は、文字のつながり、線の勢いに気を付けるように練習をします。半切の画仙紙で書く方が、最近は好きになっています。半紙での練習は、細かい所まで神経を行き渡らせて、文字を丁寧に書くことができるようになるので、基本練習は、やはり半紙でしっかり書き込むことが大切です。また、仮名や手紙文の練習は、今のところ、筆ペンを活用しています。3種類の筆ペンを使い分けています。小筆は管理が難しいので、ついつい筆ペンで練習をしてしまっています。

 画仙紙は、まだまだストックがたくさんあります。今のペースで書いていると、10年間は買わなくても大丈夫です。

 

 探路巳232菅池周辺 今日も、朝散歩は菅池周辺を歩きました。東の山並みが少し赤くなってきたぐらいの、まだ暗い夜道を歩き始めます。池まで歩く時間帯では、周囲が暗く、植物の写真を撮ることができません。今日は少し体調が良くないので、長池一周を歩くのをやめて、菅池周辺だけを歩くだけにして、家に戻りました。金星、木星を見ることができました。

植物は、イネ、キョウチクトウ、オヒシバ、などの写真を撮りました。

鳥は、カルガモ、の写真を撮りました。

 

 仮想研1047 明け方の星空 明け方の夜空には、今はどんな星、星座が見られるのか、調べてみました。

 「夜明け前の東天に輝く明けの明星の金星。1日ごろにプレセペ星団と大接近、20日ごろに1等星レグルスと大接近する。早起きして、見晴らしの良い場所で眺めよう。中旬になると金星は「かに座」から「しし座」へと移動し、ライオンの胸に輝く1等星レグルスへと近づいていきます。最接近する20日には、満月の見かけサイズほどの間隔になります。ライオンのハートが、普段よりも明るく、しかも2つも輝く光景が楽しめるでしょう。ちょうどこの20日は細い月が金星とレグルスの下にあり、3天体の豪華な共演が暁天を飾ります。早起きして観察したいですね。地上風景を含めて撮影もしてみたい現象です。

 夜明け前4時頃の星座は、天頂には「ぎょしゃ座」「オリオン座」、東の空には「ふたご座」「かに座」「しし座」など、冬から春の星座たちが見られます。」(ニコン、など)

 

  一日中いろいろ活動をする 2025年9月16日(火)

 

 今週の末ぐらいから、気温が下がってくると天気予想が出ています。木曜日ぐらいに、寒冷前線が通過して、その後、大陸の高気圧に覆われ、太平洋高気圧の範囲から解放されるということです。今日は、35度を越える猛暑日だったので、車で行動する用事を一気に進める事にしました。

 まず午前中は、道の駅しらとりへ、野菜を買いに行きました。ついでに、コスモス、キバナコスモスを買ってきました。ぎりぎり12時前に家に戻ってきたので、すぐに母宅へ昼食の準備に行きました。12時30分からヘルパーさんがこられるので、12時30分までに昼食を終えるようにしなければいけません。最近少し慣れてきたので、準備が早くなりました。

 12時30分までに昼食を終えて、ヘルパーさんに、母の世話を引き継いで家に帰りました。道の駅しらとりで買ってきたパンを少し食べて、午後からは、郵便局に行くことにしました。母はかんぽ生命保険に入っていて、入院費がその保険から出ることが分かったので申請をします。丁度2ヶ月入院していたので、一日あたり2400円分の経費が支払いされるということでした。かんぽ生命の証明書、病院で支払った領収書と、代理で申請に行っている本人証明、などの書類だけで申請ができました。いろいろ書類を書くのかなと思っていたのですが、殆ど書く書類はありませんでした。ホッとしました。

 郵便局からの帰りに、パセリの苗を大井農園に買いに行きました。10株買って帰り、プランター3つに植えました。ついでに、しらとりで買ってきたコスモスも植えました。今日は35度を越えているので、庭での作業でもとても疲れました。その後、母の夕食の食材を買いに、ライフへ行きました。今日は、カツオのたたきを買って持って行きました。

 午後から、郵便局、大井農園、パセリとコスモス植え、ライフへの買い物などをしていると、母の夕食準備の17時になりました。夕食の食材と、キバナコスモスを持って、母宅へ行きました。夕食の準備をして食べて貰い、その後、母宅の花壇にキバナコスモスを植えました。17時30分にヘルパーさんが来られたので、お世話を引き継いで、家に帰ることができました。その後、公園の花に水やりをして、今日の一日の活動を終えました。全く忙しい一日でした。

 

 探路巳231 長池周辺 今日も午後から猛暑日になりました。菅池周辺の朝散歩(5000歩)だけのウォーキングになりました。しかし、その後の母宅へ3回歩き、ライフに行ったり、公園の花の世話をしたりと、行動的に活動をしたので、13000歩にもなっていました。

植物は、オオシロカラカサダケ、キクイモ、の写真を撮りました。

 

 仮想研1046 オオシロカラカサダケ オオシロカラカサダケが見られました。毒キノコです。

 「オオシロカラカサダケは、夏から秋にかけて公園の芝生や庭、校庭など、人工的な環境の草地に発生する大型のキノコです。食用キノコのカラカサタケに似ています。傘の直径は20cm近くなるものもあります。傘の表面には茶色の薄皮が付きますが、これがとれてしまって真っ白に見えることもしばしばあります。成熟したものでは傘の下のひだが暗緑色を帯びるのが特徴です。誤って食べた場合、悪寒、頭痛、嘔吐や下痢、時に血便などのはげしい胃腸系の症状を呈します。」(大阪市)

 

  自治会からお赤飯の配布があった 2025年9月15日(月)

 

 今日は、月曜・祝日です。敬老の日です。自治会から、お赤飯が配布されます。

 自分が自治会会長を担当しているとき、手配をするのに苦労をしたことを覚えています。まず10時頃、会長宅に業者より搬入されて、それを班ごとに分けて、班長宅へと車で配布します。かつては、会長宅まで班長さんに受け取りに来てもらっていたのですが、自分が会長をしているときの2年目から、車で班長宅まで配布することにしました。その後、班長さんが、各班の65歳以上の方に配布しました。今日は、我が家にも、11時頃、班長さんが持ってきて下さいました。今日の母の昼食は、その赤飯を持って行くことにしました。

 今日は筆文字練習をしました。臨書練習を1時間ほどしてから、寒露、鴻雁来、菊花開、蟋蟀在戸、霜降、霜始降、霎時施、楓蔦黄、神無月、霜月、などの書作品を書きました。昨年も、24候72節季を一年間書いていたのですが、たぶん昨年より今年の方が、少し上手くなっていると思います。最近の書作品は、この24候72節季、源氏物語の帖の名称、植物の漢字名などを書いています。さらに、つい最近、奥の細道の俳句(50首)を、書き始めました。

 

 探路巳230 菅池周辺 今日は月曜日。菅池長池周辺に朝散歩に行きました。長池のゴルフ練習場が、5時過ぎなのに、電灯が明るくついていました。今日は祝日だと分かりました。敬老の日でした。今日は長池のゴルフ場には近づかないで、菅池周辺を歩くだけにしました。午前中は、自治会からのお赤飯の配布があるので、お出掛けができません。午前中は、筆文字練習をして過ごしました。午後からは歩きに出られたのですが、34.3度まで気温が上がっていたので、クーラーを入れた部屋で、本を読んで過ごしました。早く、午後からサッと、歩きに出かける気温になってほしいものです。

植物は、ヨメナ、ブーゲンビリア、マンデビラ、などの写真を撮りました。

 

 仮想研1045 ツバメの渡り これまで夏の間、朝の田んぼを、ツバメが飛んでいるのを見かけていたのですが、最近見なくなってきました。そろそろ、ツバメ達は、南の地へと移動を始めているのでしょう。ネットで、ツバメの渡りについて情報を調べてみました。

 「ツバメの生態について、公益財団法人日本野鳥の会理事の葉山政治さんに解説して頂きました。ツバメは春にやってきて巣を作ってヒナを育て、秋には飛び去ってしまうというイメージの鳥ですが、どのような生態と特徴をもっているのでしょうか。「ツバメはスズメ目ツバメ科の渡り鳥で、全長は17~18cm。世界に約80種類の仲間がいて、このうち日本にはツバメ、イワツバメ、コシアカツバメ、ショウドウツバメ、リュウキュウツバメの5種類が生息しています。3月上旬頃に東南アジアなどから日本各地に飛来し始め、4月頃の繁殖期を経て9〜10月頃まで暮らし、戻っていきます。「主食はハエやアブ、トンボやハアリなどの飛ぶ昆虫類です」(葉山さん) 

 ツバメはどのような一生を送るのでしょうか。「日本にやってきたツバメは4月から6月にかけて卵を産み、メスが卵を抱く抱卵(ほうらん)の期間は2週間ほどです。孵(かえ)ったヒナは3週間ほどで親と同じくらいの大きさに成長し、飛べるようになります。しばらくは親鳥と過ごし、その間に親から飛び方やえさの獲り方などを学びます。巣立った若い鳥は集団でヨシ原などに“ねぐら”をとり、夏の終わりから秋にかけて南下していくようになります。ツバメは生まれた翌年から繁殖し、寿命は1年から2年未満です」(葉山さん)

 ツバメは具体的にどの国や地域から渡ってくるのでしょうか。「日本で足環を着けたツバメがどこで見つかっているかという調査結果によると、例数が多いのはフィリピンです。そのほかタイやインドネシアでも見つかっていますので、東南アジア地域から渡ってきて帰るということになります」(葉山さん)東南アジア地域から日本までの移動距離は、どのくらいになるのでしょうか。「足環を着けたツバメで移動距離も判断できるのですが、いちばん長いのはインドネシアの約6500kmです」(葉山さん)

 それだけの距離だと、途中で休んだりもするのでしょうか。「日本で足環を着けたツバメが台湾で観察され、またいなくなってしまったということもありました。沖縄や伊豆諸島などでも渡りの時期にツバメがやってきて、また飛んで行ったという例も報告されています。ツバメは海上を一気に飛びますが、途中の島など、あちらこちらの陸地で休みながら行き来していると考えられます」(葉山さん)さらにツバメは「半球睡眠」と呼ばれる、脳が半分眠りながら空を飛び続けることが可能な先天的能力を持っているともいわれています。

 方角は地磁気で把握?東南アジアから日本までの数千キロに及ぶ長距離移動で、ツバメはどうやって目的地や方角を把握しているのでしょうか。「最近の論文などによると、ツバメは地磁気を感じることができるようです。その身体機能を使えば、自分が進むべき方角、方向は間違えずにわかるというわけです。ただ、目的地をどうやって確認しているのかはよくわかっていないのですが、最初の渡りの時に、ツバメは自分の頭の中に『地図』を作っているのではないかという説があります。その年に巣立ったツバメは頭の中に『地図』を持っていないので、長距離の渡りをするというのは、極めてリスクの高い行動です。しかし、いったん頭の中に『地図』を作ってしまえば、日本の巣立った場所へ翌年の春に帰り、秋に東南アジアの同じ場所へ戻ってくることが可能になります。ただし、この説は確かめられたものではありません」(葉山さん)」(ウエザーニュース)

 

久しぶりに600㎜望遠を使う 2025年9月14日(日)

 

 今日は、日曜日。手帳のウイークリーページが終わります。月曜日から日曜日までの毎日を振り返り、日々のイベントに、ピンクのマーカーペンで○を付けてみました。月曜日はリビングに新しいテーブルと椅子が搬入、火曜日は道の駅しらとりへ買い物に行く、水曜日は母のベッドのマットレスの入れ替え、木曜日は寝たきりの母がお風呂業者にお風呂に入れてもらう、金曜日は長居植物園と堺北図書館へ行く、土曜日は奥の細道の俳句50首を書き始める、日曜日は自治会の館掃除に参加と堺自然ふれあいの森へ行く、など、先週より少し行動的に動けました。

 8月の末から、訪問介護の方と、ヘルパーさんの力を借りながら、母の3食のお世話を続けています。2週間が過ぎて、ようやく生活リズムが分かってきました。少し、活動的に行動が出来るようになってきました。朝5時から8時までの3時間は、朝散歩、ブログアップ、悠遊探路を書きをします。母の8時の朝食から昼食までは3時間あり、その3時間は、掃除や花の世話や買い物ができます。昼食後から夕食までの午後の4時間ほどは、お出掛けが出来るチャンスです。母の介護のお世話だけになってしまわないように、行動的に活動することは大切です。

 

 探路巳229 菅池周辺・堺自然ふれあいの森 朝はいつものように、5時から菅池周辺に朝散歩をしました。50分ほどの朝散歩から戻ってから少しストレッチ運動をするようにしました。腰回りの筋肉が固まってしまわないように、ストレッチ運動をすると、スムーズに動くようになってきています。歩くだけでは、筋肉が硬くなってしまいます。午後から、今日は車で「堺自然ふれあいの森」へ、虫の写真を撮りに行きました。600㎜望遠を3ヶ月ぶりに持って行き、使いました。ムラサキシジミがいて、綺麗に撮影ができました。しばらく使っていなかったので、使い勝手がよくありません。ピントも直ぐに合ってくれません。これからまた、使い込んでいき、虫や鳥の写真を撮っていきたいなと思いました。今日の午後は、気温が34度近くまで上がっていたので、堺自然ふれあいの森では1時間ほどで疲れてしまいました。早々に車に乗って、帰りました。汗で、カメラが傷んでしまいそうでした。

植物は、アメリカアサガオ、クズ、クリ、コマツヨイグサ、ソバ、チャノキ、ヌスビトハギ、フヨウ、などの写真を撮りました。

虫は、ムラサキシジミ、ヤマトシジミ、アミガサハゴロモ、ウスバキトンボ、オオチャバネセセリ、クロウリハムシ、シオカラトンボ、ショウリョウバッタ、ツチイナゴ幼虫、ヒカゲチョウ、ヒメウラナミジャノメ、マダラバッタ、などの写真を撮りました。

鳥は、カルガモ、の写真を撮りました。

 

 仮想研1044 ムラサキシジミ 今日の午後は、堺自然ふれあいの森へ久しぶりに行きました。600㎜望遠を持って行き、虫の写真を撮りました。ムラサキシジミの写真を綺麗に撮ることができました。ムラサキシジミとムラサキツバメがよく似ているようです。今日撮影できたものは、ムラサキシジミでした。ネットで情報を調べてみました。

 「ムラサキツバメとムラサキシジミの主な違いは、後翅にある尾状突起(びじょうとっき)の有無です。ムラサキツバメには後翅の先に尾状突起がありますが、ムラサキシジミにはありません。また、ムラサキツバメはムラサキシジミよりもやや大きく、翅表の紫色がより鮮明で、オスは翅の裏まで紫褐色をしています。ムラサキシジミは、オス・メスともに翅を広げると中心部が青紫色で、より青みがかって見えます。」(グーグルAI)

 

  朝5時は暗いのでライトを持つ 2025年9月13日(土)

 

 今日は、土曜日。朝散歩はいつも通り出かけました。日中はまた暑くなったので、午後からのフィールドワークには出かけられませんでした。今日は、午前中に、筆ペンで仮名の臨書練習をして、その後、奥の細道の俳句、02「行く春や 鳥啼き魚の 目に泪」を書きました。二番目の句も何とか書けたので、もしかしたら50首全部書き進められるかもしれないなと思いました。午後からは、歩きに出かけたかったのですが、33度まで気温が上がったので、家でペン字の練習を進めて過ごしました。やはり30度以上は、歩けば疲れます。無理をして暑い中を歩かないようにしています。あと1週間の我慢です。

 猛暑の夏の間、600㎜望遠を全く使っていません。10月になると、池に鳥たちが戻ってくるので、また使い始めたいなと思います。600㎜望遠はかなり重いので、今の年齢の間に使わないと、10年後では使えなくなりそうです。朝散歩では、接写用のカメラで、遠景も鳥も撮っています。カルガモ、コサギ、アオサギ、ハクセキレイ、メジロなどを撮ったのですが、あまり綺麗な映像ではありません。猛暑が収まってきたら、600㎜望遠を持ち、近くの古墳の堀や、池周辺へ、出かけてみたいと思います。

 

 探路巳228 菅池周辺 毎日4時50分に目覚ましをかけて、朝5時に家を出るのですが、7月、8月ごろと違って、歩き始めは暗い夜道を歩くことになります。今日は、小さなヘッドランプを首から提げて歩きました。うっすらと東の山並みが明るくなってきているところです。夜空で、星がいくつか見えます。5時頃から歩いている人もいて、管池、長池周辺では、毎日、数人とすれ違います。小さな声で、朝の挨拶をします。家には、5時50分ごろ帰るのですが、家に帰る時刻が、ぎりぎり日の出の頃となってきました。あと30分ほど家を出るのを遅らせると、また、管池長池周辺で日の出が見られるのですが、今後、今のまま5時に家を出発するのか、また、5時30分にするのかは、悩む所です。

植物は、ヤナギバルイラソウ、イネ、ヒメムカシヨモギ、などの写真を撮りました。

鳥は、カルガモ、の写真を撮りました。

 

 仮想研1043 ヤナギバルイラソウについて ヤナギバルイラソウは、苗として売っていて、庭や植木鉢で育てている人もいるのですが、とても強烈な雑草の一つです。ネットで、情報を調べてみました。

 「ヤナギバルイラソウ(柳葉るいら草)は、キツネノマゴ科ルイラソウ属の半耐寒性の宿根草ですが、関東以西の温暖地では戸外で冬を越すことができます。大変丈夫な宿根草で、夏になると、ナス科の花のような青紫の花が咲いているところをよく見かけます。特に、花の少ない真夏にもよく咲くので、印象が強いのかもしれません。道路脇に広がってたくさん咲いているほどで、繁殖力が強く野生化しています。ですので、園芸という範疇からは外れてしまった感がします。花が似ているところからムラサキルエリアと間違われることがありますが、ヤナギバルイラソウの方が葉が細長いので見分けが付きます。」(園芸植物小百科)