前回(71回)を発表したのが7月8日。それから一ヶ月近く記事のないまま。その間読者の数は毎日60~120人のお目通しがあり、大変感謝しています。
 今回は名古屋市守山区と瀬戸市の境界にある東谷山の山頂に位置する尾張戸神社。第95句に私は尾張戸神社について「秋一望尾張平野や東谷山」という一句を発表している。

     第346句は次の通りである。
           古墳の上に鎮座まします秋の風            (桐山芳夫)
 尾張戸神社は東谷山(とうごくさん)の山頂に鎮座している。東谷山は名古屋市最高峰の山。その古墳上に作られている。むろん式内社で、熱田神宮の奥の院と呼ばれ、尾張氏の祖先を祀ると言われている。「古墳の上に」は「こふんのへに」と呼んでもらうつもり。

     第347句は次の通りである。
           太古なる時ゆ尾張氏秋支配               (桐山芳夫)
 尾張氏といえば、古いも古い、かの有名な伝説の英雄日本武尊(やまとたけるのみこと)よりも古く、その妃となった宮簀媛命(みやずひめのみこと)以前に尾張平野を席巻していたと見られる氏族だからである。

     第348句は次の通りである。
           参道の先にとまりし赤とんぼ               (桐山芳夫)
 長い参道の先に古墳の頂上部があり、神社の本殿が築造されている。その途中に環状になった列石が配置され、尾張氏一族の古さが偲ばれる。

     第349句は次の通りである。
           柿かじり見れば古代の文字のあり             (桐山芳夫)
 前句に述べた環状列石には、なにやら文字らしきものが刻まれ、きっと何かの意味がこめられていることだろう。象形文字の一種なのだろうか。尾張平野の最高部の東谷山に古代文字らしきものが刻まれているとすれば、極めて興味が湧く。

     第350句は次の通りである。
           四世紀既に方墓柿美味し                 (桐山芳夫)
 日本の王墓の形式の一つに前方後円墳というのがある。大和地方の纏向(まきむく)(奈良県桜井市)に最古の前方後円墳とされる古墳がある。これが三世紀中ごろの事とされる。それから一世紀の間に東谷山に前方後円墳が出現。古代氏族尾張氏の隆盛を示している。

                  (2021年8月1日)