今回は高田波蘇伎神社(たかだはそぎじんじゃ)。一宮市高田南屋敷116
訪問日:2009年12月18日

     556句は次の通りである。
      椋の木に椋鳥とまる不思議かな        (桐山芳夫)
   当社は前回取り上げた若栗神社から数百メートルしか離れていない、いわば、木曽川沿いの神社密集地帯の真ん中に位置する。古来、日本の村落は、村、郷、郡、藩(県)という形で成立していた。若栗神社は旧県社の格付けだったのに対し、当社は村社。が、当社は旧県社に負けない風格を備えた神社だった。

     557句は次の通りである。
      第三の鳥居くぐりて冬の空           (桐山芳夫)
  昨今の神社はほとんど参道がない。鳥居をくぐると、すぐ境内。目前に本殿があって、合掌して終了である。第二の鳥居があるのも少ないが、高田波蘇伎神社は第一、第二、そして第三の鳥居をくぐらないと、本殿にたどりつけない。村社がこうであるのだから、式内社当時の神社の多くが当社のようだったのだろうか。少なくとも、現在の当社は本格的な神社の様相を示している。

     558句は次の通りである。
      本殿は質素にして冬雀             (桐山芳夫)
 三つの鳥居をくぐって長い参道を歩み、たどりついた本殿は意外に質素でひそやかな印象を受けた。祭神は第十五代応神天皇で、全国各地に数多く存在する武運長久を祈願する神様である。小さな冬の雀が遊んでいた。

     559句は次の通りである。
      ひそやかに冬の村社のたたずまい        (桐山芳夫)
 参拝に訪れる人影は見られなかったが、社碑には明治42年(1901年)と刻んであった。村社でありながら、郷社や旧県社に負けないたたずまいを見せる神社。ひっそりと
村社のたたずまいに沈んでいた。

     560句は次の通りである。
      灯籠の並ぶ渡り殿冬ぞらに           (桐山芳夫)
 本殿全体を側面から眺めることが出来る。拝殿から渡り殿を通して本殿に至る全体像を見ていると、古来の神社はこんな造りであったろう、と思わせられる。灯籠が並んでいて、地元の人々の神社を大切にしている思いが伝わってくる。

                  (2022年4月26日)