沖縄の旅・ひめゆりの塔

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とうとう来ました!ひめゆりの塔

「ひめゆりの塔」のことを知ったのは映画ですが、やっと現地にこれました! 

 
             ひめゆりの塔の記
 
石碑には沖縄戦での「ひめゆり学徒隊」の様子が刻まれています。
読んで衝撃をうけました。衝撃
 



  

最初に建てられた「ひめゆりの塔」は、高さ1メートルもない小さな石塔でした。かなしい
養護要員として戦場に動員されて亡くなった「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔です。

だんだん整備され、塔の背後にあるのは、昭和32年((1957)に建てられ、
平成21年(2009)に改修された慰霊碑です。

白壁には戦後64年間に判明した学徒戦没者の名前を追加して刻み、
ユリのレリーフがたむけられています。
塔の奥には納骨堂があります。 静かに手をあわせました(黙祷)


 
                献花台
    訪れた人たちが、次々と献花されていました。
        (お花は入場門の脇で1束200円で買いました)

献花台の前にあるのは、犠牲者の名を刻んだ古い石碑です。





 沖縄陸軍病院第三外科壕跡
  

慰霊塔の前の穴が開いてる洞窟(ガマ)が沖縄陸軍病院第三外科壕跡。

 

  

洞窟や壕のことを沖縄の方言では、ガマというそうです。


添乗員さんの説明を聞いている最中にも
足の震えが止まりませんでした。
ガス弾攻撃を受け、大勢の人々が亡くなられた場所に立って・・・



 
               いわまくら碑


学徒引率教師だった仲宗根政善先生が、昭和21(1946)年4月7日 
第1回ひめゆりの塔慰霊祭で戦死した教え子悼み、霊前にうたを捧げられ、
真和志村民一同によって歌碑も建立されました。


「いはまくら かたくもあらん やすらかに 
  ねむれぞといのる まなびのともは」

固い岩場で亡くなったのは、さぞ無念で辛かったでしょう。
こころやすらかに眠って欲しいと学友たちは願っているという哀悼の歌

                                    (案内板より)




 
             新「いわまくら碑」


石碑が泣いているように見えました。(雨に濡れ文字が見えにくくなっています)


 


  
              ひめゆりの塔に捧げられた千羽鶴



 
           陸軍病院第三外科職員之碑


 
 
           沖縄戦殉職医療人之碑


陸軍病院第三外科職員之碑のとなりには、
沖縄戦で軍に協力し、住民の治療、衛生に尽くし最後まで闘って戦死
された医師、薬剤師、看護婦たち約50余名を合祀している碑が建っています。



 
              ひめゆりの石像







ひめゆりの塔を奥に進むと、生存者の手記や従軍の様子などが
展示された「ひめゆりの平和祈念資料館」があります。



ひめゆり平和祈念資料館

 

資料館内は6つの展示室に分かれています。
第1展示室 ひめゆりの青春     第2展示室 ひめゆりの戦場
第3展示室 解散命令と死の  第4展示室 鎮魂
第5展示室 回想            第6展示室 平和への広場


 

第3展示室では、「解散命令」が出た後の指導者もいない環境で、どう行動していいのか分からない生徒たちの心の葛藤・・・展示された当時の写真など観ていて、たまらなく心が痛みました。

 
ひめゆり学徒隊の犠牲者の遺影や遺品、生存者の証言集、ガマの実物大模型などが展示され、戦争の悲惨さを実感しました。



資料館は、訪れる人の悲しみを誘い、平和の大切さを教えてくれる
平和を学ぶ場になっています。修学旅行生の一行と一緒になりました。


資料館を出ると引率の先生が待っていました。
生徒さんに声をかけ楽しそうにシャターを押される姿をみて、沖縄戦の
当時の先生と生徒たちにもこんな場面があったのだろうかと想ってしまいました。






 
        沖縄県女子師範学校の校歌の碑
 


入口(出口)にある石碑の裏に、校歌が刻まれていました。
表面には、何が刻まれていたのだろう。
入場したときは傘の花で気が付きませんでした。





 
                顕彰碑

案内文には、次のように記されています。


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    ハーリー・シンイチ・ギマ(1917~1986)

 このひめゆりの塔の聖域二千坪は1951年読谷村
出身
ハワイ二世儀間真一氏により寄贈されたものです。
 生涯この篤行を誇ることのなかった氏の高潔な仁徳を偲び
深甚なる感謝の意をこめこの碑を建立します。1992年3月

        財団法人沖縄県女子教師・一高女
                    ひめゆり同窓会

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次の目的地に移動するバスの中で、平和へのメッセージが
繰り返し頭の中を駆け巡っていました。

「太陽の下で大手を振って歩きたい」
「水が飲みたい、水、水」
「お母さん、お母さん」
学友の声が聞こえます

私たちは
真相を知らずに
戦場に出て行きました

戦争は、
命あるあらゆるものを殺す
 
むごいものです

私たちは
一人ひとりの体験をとおして知った
戦争の実態を語り続けます 
              
展示室でインパクトある【未来へのメッセージ】より



美しい海に囲まれた沖縄で悲惨な戦争があったという事実、
戦争を知らない世代にも語り続けて欲しい未来へのメッセージです。

平和の大切さを再認識してほしいと痛感しました。