神さんの言うとおり -8ページ目

神さんの言うとおり

救われてる?

最近は、ブログで書かんでも皆知ってると思って、

ビホールド・イスラエルの動画をアップする度に

紹介したり報告することもしてなかったけど、

知らない人がいるかも知れないから、

昨日の中東アップデートをここに貼っておくよ。

まだ見てない人は、チェックして、

そしてイスラエルやイスラエルの人たち、ユダヤ人のためにお祈りを。

 

 

 

で、ここから本題。

今回は、Be Watchfulシリーズの第4弾

「注意すべき行動や態度を見極める」

 

まずは、犯罪につながる可能性の高い行動パターンを認識して、

できる限りそれを避けるとか、

不意を襲われることのないように、対処方法を覚えておく、

というもの。

 

例えば、威圧的とか、

あるいは、しつこく説き伏せようとする人とか。

そして、親しみやすい雰囲気やったり、

馴れ馴れしく近づいてくるとか。

以下はほんの例の一部で、

 

丸レッド仲間意識を利用する

  • 私たちも同じ立場よ!
  • 親同士、一緒に戦いましょう!
  • 私たちが一緒になってやれば、対処できるはず!
  • etc
丸レッド一方的に約束を押し付けてくる
  • すぐに終わるから
  • 1分だけちょうだい
  • etc
丸レッドやたらと詳細を伝えてくる
 

丸レッドしつこい

  • 断っても断っても納得しない
  • 「助けてあげる」としつこく手を出したがる
  • etc
丸レッド個人の距離感を尊重しない
  • 距離感が近い
  • 馴れ馴れしい
  • etc

 

こういう状況に捕まったら、

とにかく逃げる。

 

相手の気分を害したらアカン、とか、

失礼の無いように、とか、

 

そんな事は考える必要もないし、

 

「今、ちょっと急いでるから」

とか、理由を説明する必要もなくて、

 

とにかく相手にせずに逃げるのみ走る人走る人走る人走る人走る人

 

 

 

たまに宗教の勧誘でこういう人がいるよね。

どっちにしても要注意。

 

何よりも、祈ることやね。

 

主を恐れることは知恵の初め、

聖なる方を知ることは悟りである。

箴言9:10

 

救われてる?

 

 

 

 

先々月、半ば強引に子育てを終え、

時間的にも精神的にもちょっと余裕ができたから、

 

今まで参加できなかった

チャーチのミニストリーやイベントに参加したり、

新しいことを始めた。

 

 

そしたら奥さん、

これがもう、楽しくて大変照れ

 

 

ということで

新しく始めたことの一つが、

 

 

釣りうお座うお座うお座

 

 

元々せっかちな私は、

スポーツ観戦とか、興味のない映画とか、

ただジッと座ってることが大っ嫌い、

もちろん、釣りなんか論外で、

 

だから今までは、チャーチで釣りを通して弟子訓練や伝道をするミニストリーの

リーダーを務める私の友達から、これに誘われるたびに、

釣りなんか拷問やわ〜不安

と思ってた。

 

 

せやのに、

 

 

 

先週、ひょんなことから、これに参加することになって、

しかも、いきなり、

来月はカタリーナ島の方まで船で行って釣りをする。

 

ここに至った経緯もびっくりやったけど、

それ以上に、これを楽しみにしてる自分に一番びっくりよニヤリ

 

 

ということで、

昨日は、近所の公園で初心者のための釣り講座。

 

 

 

 



私たちの長所も短所も全部を知った上で、

初めから終わりまで、

良いことも悪いことも、

全てを働かせて益としてくださる神さん。

 

思い通りに行かんことがいっぱいで、

理想とはほど遠いのが人生やけど、

それでも、主と共に歩く人生は素晴らしい。

 

神のなさることは、全て時にかなって美しい。

 

救われてるはてなマーク

 

 

天の下では、何事にも定まった時期があり、

すべての営みには時がある。

 

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。

植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

殺すのに時があり、いやすのに時がある。

くずすのに時があり、建てるのに時がある。

 

泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。

嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

 

石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。

抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。

 

捜すのに時があり、失うのに時がある。

保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。

 

黙っているのに時があり、話をするのに時がある。

愛するのに時があり、憎むのに時がある。

戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

 

働く者は労苦して何の益を得よう。

私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。

 

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。

神はまた、人の心に永遠を与えられた。

しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

 

私は知った。

人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。

伝道者の書3:1-12

 

 

 

 

 

 

Be Watchfulシリーズ その3

今回からは、肉体的に身を守る術について。

 

第一番目は直感

神さんが直感という賜物を与えてくださってるんやから、

それを信じて行動すること。

 

直感的に、

この人オカシイとか、

この場所、なんかヤバいとか、

なんか嫌な予感がするとか、

 

説明できひんけど、

何か直感が働くことってあるよね。

 

そういう時は、


たぶん気のせいとか、

そんなん言うたら相手に失礼とか、

今、動いたら変なヤツと思われるとか、

他の人に迷惑をかけるとか、

ここで騒いだらアカンとか、

 

身を守るより先に、

アレコレと周りの事を考えがちやけど、

 

直感を軽く見ず、

何かがおかしいと思ったら、

まず、その場所なり、その人を避けることが大事。

 

そして、

例えば、女の人なら、

買い物中に、知らん男の人に後をつけられてると思ったら、

生理用品売り場とか、女性の下着売り場に逃げ込んで様子を見るとか、

 

または、

お店の人や警備員に知らせて、安全な場所まで一緒に来てもらうとか、

 

究極は、ためらわずに警察に電話すること。

 

何よりも、

常に祈り、常に周りを見て行動することが大事。

 

そして、普段から、携帯を見ながら歩いたり、

イヤフォンをしながら歩いたりせず、

真っ直ぐに顔を上げて、目的を持って歩く習慣を身につける。

 

 

これがまた、簡単なようで、

慣れた場所ではすぐに気が緩んで意外に難しい。真顔

 

でも、覚えてる?

 

あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、

食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

第一ペテロ5:8

敵は気を緩める事なく、

常に獲物を探してる。

 

でも、

 

子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。

そして彼らに勝ったのです。

あなたがたのうちにおられる方が、

この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。

第一ヨハネ4:4

 

そして、

 

だれが心のうちに知恵を置いたか。

だれが心の奥に悟りを与えたか。

ヨブ38:36

 

だから、

 

では、これらのことからどう言えるでしょう。

神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

ローマ8:31

 

救われてるはてなマーク

 

 

警戒心を持って身を守るための講演

Be Watchfulの前半、霊的に自分を守る話のつづき、

パート2は、『御霊によって歩む

 

結局のところ、御霊によって歩むのは、

神さんに従った結果可能となるもので、

 

神さんに従うというのは、

神さんの御心に適う生き方をすること。

 

神さんの御心に適うよう生きるには、

神さんの御心を知らなあかん。

 

神さんの御心を知るためには、

神さんの御言葉である聖書を知らなあかん。

 

そして、神さんの御言葉を知るためには、

神さんの御言葉である聖書に常に浸ってなあかん。

 

でも、

 

どれだけ聖書に浸ってても、

神さんの聖霊を持ってなかったら、

神さんの御言葉である聖書を理解する事はできひん。

 

御霊を受けるためには、

自分の罪、神さんを否定して自分勝手に生きていた事を認めて悔い改めて、

その罪のために、イエス・キリストが身代わりになって

死んでくださった事を受け入れて、

 

イエス・キリストの十字架での身代わりの死のために、

自分の罪が許された事を信じること。

 

そうすれば、神さんの御霊である聖霊が与えられて、

その聖霊が、私たちを真理へと導いてくれる。

 

今の自分の人生に疑問や不満がある人、

この混沌とした世界の未来が不安な人、

自分は死んだ後、どこへ行くのか確信がない人、

今日、自分勝手な生き方を悔い改めて、

神さんの子供としてもらおう。

 

救われてるはてなマーク

 

 

講演のこのセッションでの聖書の箇所は

次のとおり。

 

ほんまに救われてるはてなマーク

 

もし私たちが御霊によって生きるのなら、

御霊に導かれて、進もうではありませんか。

ガラテヤ人への手紙5:25

 

この世と調子を合わせてはいけません。

いや、むしろ、神のみこころは何か、

すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、

完全であるのかをわきまえ知るために、

心の一新によって自分を変えなさい。

ローマ人への手紙12:2

 

わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。

しかし、世は彼らを憎みました。

わたしがこの世のものでないように、

彼らもこの世のものでないからです。

ヨハネ17:14

 

私は言います。御霊によって歩みなさい。

そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

ガラテヤ人への手紙5:16

 

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、

親切、善意、誠実、柔和、自制です。

このようなものを禁ずる律法はありません。

ガラテヤ人への手紙5:22-23

 

そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、

賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、

機会を十分に生かして用いなさい。

悪い時代だからです。

ですから、愚かにならないで、

主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。

また、酒に酔ってはいけません。

そこには放蕩があるからです。

御霊に満たされなさい。

エペソ人への手紙5:15-18

先週の金曜日、無事、護身のための講演に行ってきた。

講演のタイトルは「Be Watchful」

 

被害者にならんために、

常に周りに目を配って、警戒する術を教えるこの講演、

賛美とお祈りで始まって、

霊的な視点はもちろんのこと、

現実的な話もいっぱいで、

すごく中身の濃い良い時間やった。

 

ということで、

2時間の講演の前半は、

霊的に自分を守ることについて。

 

そのためには、何よりもまず、

神様をよく知ることが大事。

そのためには、神様の御言葉である聖書を常に読んで、

目の前で起こってる状況や、自分が耳にしてる話が

御言葉に沿っているかどうかを、正しく見極める力をつけること。

 

それから、本当の敵を知ること、これも大事。

よく言われるけども、

「あなたの夫は敵じゃない」

これは真理やと思う不安

 

で、まず聖書には敵について、

それから敵の策略について、どう書いてるか。

 

身を慎み、目をさましていなさい。

あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、

食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

第一ペテロ5:8

 

しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、
ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、
信仰から離れるようになります。

それは、うそつきどもの偽善によるものです。
彼らは良心が麻痺しており…
第一テモテ4:1-2

 

というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、

自分につごうの良いことを言ってもらうために、
気ままな願いをもって、次々に教師たちを

自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、

空想話にそれて行くような時代になるからです。

第二テモテ4:3-4

 

つづく

救われてるはてなマーク

昨日、勘違いして1日早く行ってしもうたけども、

本当の講演は今日。

楽しみやわニコニコ

 

 

実は昨日の朝、

銃のことについてブログに書こう

と、なんとなく思っててさ。

 

 

でも、そのまま時間に追われて…

 

 

その上、勘違いして1日早く講演に行って不安

 

 

 

で結局、朝に考えてたことなんかすっかり忘れて

昨日書いたのはこれ。

 

 
 
 
 
 
 
というても、
今日の講演は、空手とか射撃とか、
護身の意味でのセルフディフェンスではなくて、
 
現実を知り、知識を身につけて、
自分や自分の大切な人たちの心身や霊を守るためのもの。
 
 
 
でも、
結局のところ、この体はいつか死ぬわけで、
たましいの救いに繋がる真理を知って受け入れて、
永遠のいのちを持って無いことには、
 
この地上で、どこに居ても、
どれだけ護身術を身につけて身を守れても、
死んだ後には、永遠の地獄が待ってる。
 
そこから救われる道があること知ってるはてなマーク
救われてるはてなマーク
 
イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
ヨハネ14:6 
 

 

女性のための

セルフディフェンスのクラスに参加するため、

夕方の大渋滞を通って、

カルバリーチャペル・チノヒルズに来た。



そしたらなんと、




クラスは





明日😩



救われてるはてなマーク


[箴言 19:2]
 たましいに知識がないことは良くない。
 急ぎ足の者は罪に陥る。





最近、新しい人生の段階に突入したなぁと思う。

子どもたちが成人して、巣立っていく段階というのかな。

 

というとカッコいいけど、

私の場合は、先々月色々ありすぎて、

一人でキレてムキー

 

ほんで反省してショボーン

 

でもって、家事やら家族の世話を全部放棄して照れ

 

先週までは、一人でウジウジしてたけどショボーン

 

 

よく考えてみれば、

 

車も与えられて、

その上、何にも縛られず、

仕事やらミニストリーやら、

自分のしたいことに思いっきり集中できる、

夢のような人生やんか、と思う。

 

と、

そう思えるようになったのは、

先週の土曜日、ふと思い立って、

我がチャーチのホームレスミニストリーに参加したから。

 

というても、私は何も大したことはしてないけども、

どこででも神さんを賛美して、

救いのメッセージをシェアするというのは、

結局のところ、自分が一番祝福されるんやね。

 

 

ああ、私に、生ける者の地で主のいつくしみを見ることが
信じられなかったなら──

待ち望め。主を。
雄々しくあれ。心を強くせよ。
待ち望め。主を。
詩篇27:13-1

 

救われてるはてなマーク

 

 

嵐の前の静けさというか、

嵐の後の静けさというか、

嵐の最中の静けさというか…


ただ、神さんのタイミングを待つしかない時期ってあるよね。


必要なものは与えられてる…どころか、

神さんは、私にすごい良くしてくれてるのに、

なんか、心がざわつくというか、

満たされへんというか。


今日は公園でベンチに座って

聖書を読んだ。


でも寒くなって来たから

もう帰るよ真顔


[詩篇 42:11]
 わがたましいよ
 なぜ おまえはうなだれているのか。
 なぜ 私のうちで思い乱れているのか。
 神を待ち望め。
 私はなおも神をほめたたえる。
 私の救い 私の神を。




最近は特に、何かといえばカウンセリング、カウンセリング

って、みんな気安く言うけども、

 

私は先月人生初のカウンセリングを受けて、

その時、忘れてたことがまた沸々と蘇ってきたり、

それと同時にその時の感情とか、色んなことが溢れて、

あの後、しばらく大変やった不安

 

でも、落ち着いた今言えるのは、

早い話、カウンセリングって、外科手術の精神的バージョンで、

だから、お医者さんを選ぶように、よく考えてカウンセラーを選ぶこと、

何よりも、ちゃんと霊的なことを分かってる人に頼むことが大事やと思う。

 

それでも、カウンセリングの後は、

色々と癒えて落ち着くまで、しばらく時間がかかるのは仕方ないと今は思える。

手術と同じやから。


 

 

というわけで、

 

遅ればせながら、

ようやく傷口が癒えてきて、

私が初のカウンセリングを受けた牧師先生は、

ほんまに的確な質問とアドバイスで見事に導いてくださったなぁと

改めて思う。

 

 

今、思い出してみると、

私が過去の話をするのを聞きながらも、

「そこに神さんの御手が見えるか?」

って、要所要所で必ず確認が入って、

 

その度に、私は

「もちろん!」

って、神さんの御業の証を話して、

そしたら、牧師さんも一緒にハレルヤキラキラって感動してくれて。

 

 

まあ、それでも、あの後、他にも色々あって

精神的に回復して落ち着くまでに

かなりかかってしまったけども。悲しい

 

 

ただ、言えるのは、

 

 

人に傷つけられて、その傷がまだ痛むとか、

何度も何度も自分を裏切った人を

もう信頼できないとか、

 

そういうことを、

しつこいとか、

執念深いとか、

ウジウジしてるとか、

「赦せ」という神様の御言葉が守れてないとか、

 

色んなことを言う人が多いけども、

 

確かに、復讐は神さんがすると言うてくれてるんやし、

自分で復讐してやろう、

と思ってるなら、それは赦せてないということかも知れん。

 

でも、赦しって、

形として心から取り出して実際に見せることは出来ひんもので、

 

それと同じくらい、心の傷も、

形として人に見せることは出来ひん。

 

だから、トラウマや何か、過去の傷に反射的に反応したり、

何度も何度も自分を傷つけてきた相手が、

目の前でまた同じことをしたり、言うたりしてたら、

反射的に自己防衛するのは、

赦せてないんじゃなくて、

本能やと思う。

 

相手を赦すということは、

全てを無かったことにするのとは違う。

 

相手が真の意味で悔い改めて、

新しく生まれた者としてやり直すことを誓ったとしても、

全く何もなかった状態に戻ることはない。

 

 

で・も

 

相手が変わろうが、変わる気がなかろうが、

そのトラウマとなった出来事や経験の中に、

神さんの御手が見えた時、

本当の意味で癒しが始まるんじゃないかな。

 

そして、その時、辛い経験がパワフルな証となるんやと思う。

 

 

ちょっと前に紹介した歌、

「THROUGH IT All」

でお父ちゃんが歌ってるように、

 

 

あんなこと、こんなこと、

全てを通して、神さんにより頼むことを学んだ、

神さんの御言葉により頼むことを覚えた、

って言えるようになるんじゃないかな。

 

 

過去の辛い経験も、

今、直面してる辛いことも、

全部、人間の罪から来るものであって、

天罰ではない。

 

それどころか、神さんには、そこから私たちを救うことができる上に、

全てを働かせて益とすることができる。

 

 

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、

神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

ローマ8:28

 

この世に生きてる限り、

ムッカームキーと来ることも、

もうあかんえーんと思うことも、

ほんまにイランわープンプンと思うことも

いっぱいある。

 

それでも、その中に神さんの御手を見て、

むふふニコニコと思えるのは、

イエス・キリストを信頼して救われてる者の特権やね。

 

救われてるはてなマーク