ということで、
デービットが祈りについて、ボーンアゲインについて伝えた日、
心臓発作で突然死したお父さん。
私たちは、あの夜、お父さんは神さんに祈って救われて、
そして、神さんがそのまま天に召されたんやと信じてる。
実の子供でも、イエス・キリストを信じて救われて、
それでも殺されずに生きてることが奇跡やと思えるような環境で、
今、イエス・キリストを信じて救われたお父さんが、
その後直面する大きな試練を、
神さんはご存知で、そこから守ってくださったんやと思う。
あの日、イスラム教のお葬式の只中で、
ものすごい平安があったのは、
棺に寝てる本人が、実は、天国に行ったからで、
あの場所にも、確かに神さんの臨在があった。
どんな形でお葬式をしようと、残された遺族が何と思っていようと、
救われてしまえば関係ないもんね。
あの日、炎天下で埋葬が終わるのを待ちながら
色んな人の墓石を見てて、
携挙の時には、この中からも、
シュパーっと
先に眠った人たちが飛び出すんやなぁ
なんて考えてた。
早く来てほしいなぁ。
救われてる
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、
ご自身天から下って来られます。
それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに
雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。
第一テサロニケ4:16-17a