赦しと癒し | 神さんの言うとおり

神さんの言うとおり

救われてる?

最近は特に、何かといえばカウンセリング、カウンセリング

って、みんな気安く言うけども、

 

私は先月人生初のカウンセリングを受けて、

その時、忘れてたことがまた沸々と蘇ってきたり、

それと同時にその時の感情とか、色んなことが溢れて、

あの後、しばらく大変やった不安

 

でも、落ち着いた今言えるのは、

早い話、カウンセリングって、外科手術の精神的バージョンで、

だから、お医者さんを選ぶように、よく考えてカウンセラーを選ぶこと、

何よりも、ちゃんと霊的なことを分かってる人に頼むことが大事やと思う。

 

それでも、カウンセリングの後は、

色々と癒えて落ち着くまで、しばらく時間がかかるのは仕方ないと今は思える。

手術と同じやから。


 

 

というわけで、

 

遅ればせながら、

ようやく傷口が癒えてきて、

私が初のカウンセリングを受けた牧師先生は、

ほんまに的確な質問とアドバイスで見事に導いてくださったなぁと

改めて思う。

 

 

今、思い出してみると、

私が過去の話をするのを聞きながらも、

「そこに神さんの御手が見えるか?」

って、要所要所で必ず確認が入って、

 

その度に、私は

「もちろん!」

って、神さんの御業の証を話して、

そしたら、牧師さんも一緒にハレルヤキラキラって感動してくれて。

 

 

まあ、それでも、あの後、他にも色々あって

精神的に回復して落ち着くまでに

かなりかかってしまったけども。悲しい

 

 

ただ、言えるのは、

 

 

人に傷つけられて、その傷がまだ痛むとか、

何度も何度も自分を裏切った人を

もう信頼できないとか、

 

そういうことを、

しつこいとか、

執念深いとか、

ウジウジしてるとか、

「赦せ」という神様の御言葉が守れてないとか、

 

色んなことを言う人が多いけども、

 

確かに、復讐は神さんがすると言うてくれてるんやし、

自分で復讐してやろう、

と思ってるなら、それは赦せてないということかも知れん。

 

でも、赦しって、

形として心から取り出して実際に見せることは出来ひんもので、

 

それと同じくらい、心の傷も、

形として人に見せることは出来ひん。

 

だから、トラウマや何か、過去の傷に反射的に反応したり、

何度も何度も自分を傷つけてきた相手が、

目の前でまた同じことをしたり、言うたりしてたら、

反射的に自己防衛するのは、

赦せてないんじゃなくて、

本能やと思う。

 

相手を赦すということは、

全てを無かったことにするのとは違う。

 

相手が真の意味で悔い改めて、

新しく生まれた者としてやり直すことを誓ったとしても、

全く何もなかった状態に戻ることはない。

 

 

で・も

 

相手が変わろうが、変わる気がなかろうが、

そのトラウマとなった出来事や経験の中に、

神さんの御手が見えた時、

本当の意味で癒しが始まるんじゃないかな。

 

そして、その時、辛い経験がパワフルな証となるんやと思う。

 

 

ちょっと前に紹介した歌、

「THROUGH IT All」

でお父ちゃんが歌ってるように、

 

 

あんなこと、こんなこと、

全てを通して、神さんにより頼むことを学んだ、

神さんの御言葉により頼むことを覚えた、

って言えるようになるんじゃないかな。

 

 

過去の辛い経験も、

今、直面してる辛いことも、

全部、人間の罪から来るものであって、

天罰ではない。

 

それどころか、神さんには、そこから私たちを救うことができる上に、

全てを働かせて益とすることができる。

 

 

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、

神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

ローマ8:28

 

この世に生きてる限り、

ムッカームキーと来ることも、

もうあかんえーんと思うことも、

ほんまにイランわープンプンと思うことも

いっぱいある。

 

それでも、その中に神さんの御手を見て、

むふふニコニコと思えるのは、

イエス・キリストを信頼して救われてる者の特権やね。

 

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