主体性こそ集大成-Beyond the Borders- -21ページ目

懸け橋としての日本語【Ochukaresama desu Takano-san^ ^】


高野です。


僕には、インドネシアに来る前から決めていたことがある。それは、インドネシアで「押し付けはしない」ということだ。よくインドネシア人に言葉が通じなくていら立っている日本人を見るがありえない。いら立っても、それはインドネシア人のせいではない。自分が悪いのだ。インドネシア語ペラペラならまだしもだ。猛省して勉強するしかない。


昨年2月ジャカルタに到着してすぐに、スピードを最優先するため、語学研修とかどこかの大企業で存在すると言われる制度をもちろんすっとばし、日本語ができるインドネシア人を会社設立前に3人採用し、ガンガン営業やコネクション作りを会社登記前からしまくった。それからその社員の紹介であったり、デザイナーやプログラマーなどの技術者であったり、私のわずかばかりの語学力向上で、日本語の重要性が相対的に下がり、今では従業員の半分以上は日本語が話せない。
それでぜんぜん良い。ここはインドネシアである。私の方から歩み寄る。もうちょっと待っててほしい。

ただ、日本人が3人もいることもあり、その人間や日本語人材と話すときは日本語寄りになってしまう。それもあってか、プログラマーが多いせいもあるが、日本語が話せない人材を中心に、オフィス内で、ヘッドフォンで音楽を聴くようになっている。これは私は許容範囲なのだが、集中できず、会話がなくなる面もあるので注視している。(また私以外の社員は皆だいたい会話せずメッセンジャーばかりやるのも気になっている。) これは机を並べて座っている私の存在のせいか、オフィスが狭いのか、はたまたもしかしたら、理解できない日本語が飛び交う環境が非常につらいのではないかと考えるようになった。

と、思っていたら、今まで日本語どころか日本人に接したことのない社員が突然「Ochukaresama desu Takano-san」「Ohayo gozaimasu Takano-san」と話しかけてきてくれて、ものすごいうれしかったのを覚えている。そして先日会議室を覗いたら、日本語ができる新卒社員が立って話している。ありえない風景だ。中に入ってみると...
彼が先生になって日本語の勉強をしているではないか。非常に驚いた。彼らからも、僕に歩みよってきてくれたのだ。あまりにうれしかったので、週末書店にいって日本語学習者教材を探してまわった。次の日教材をほしい人の人数を聞いたところ、日本語初学者全員がうれしそうに手を上げた。さらに先週の日本語学力テストに3人が受験した。そこで彼らに先生になってもらい、他の社員に教えてもらうことにした。ものすごい重かったけど、買ってきましたよ。10冊も!


昔どこかの国が、アジア、特に、東アジア、東南アジアを侵略しようとして、現地の人々の言葉を奪い、日本語を押し付けた。俺はそんなのやらん。彼らが望まないことはやらん。でも、もし彼らも私のことを、私の祖国を理解しようとしてくれて、そしてそのために懸け橋としての日本語学習を望んでくれるなら、喜んで手助けをしたい。ともに歩みより、ともに理解し合うことができる。そして大きな大きな輪を作る。それは、「国を超える」。いや、国と国をつなぎ、結びつけ、もっともっと大きなまとまりを生み出す。


大きなものを描き、小さなことからコツコツいこう。
必ずうまくいくはず。


Ayo belajar bahasa Jepang!(一緒に日本語勉強しましょう!)


高野勇斗$主体性こそ集大成-Beyond the Borders-

社内新規事業成功のポイント

①中規模以下の会社では「社長直属」で始めること。
→社長が直属にしたくないって言っても逃がさない。報告ラインは誰かに集約してもいいが、意思決定ラインに関わるところが重要でパイプは維持する。

以前にブログで少し書きました。

トップだけができる人事「抜擢人事」について


ただし社長とのパイプとは何もYESマンになったり、プライベートで仲良くすることではない。常に社内ではなく「社会」を向く。

既存事業とオフィスや組織図上の事業部を別にする。
→まずは多勢に無勢のため、大砲が届く距離より当分離れる。

新規事業責任者は「起業家」を任命する。
→起業家は、初めは資産がゼロで守るものがないので、権限と責任を集中させ、とにかく休まずせめてシェアを奪う。必ずはじめは「赤字」のため、既存事業と現状を比較されると完全に不利なので、責任者はビジョンをありありと示し、ポテンシャルや理念や人間力でその党の「党首」となって差別化する。競争に加え、協調も大事。

予算を握る管理部に、スピード重視であることや間接部門に割くリソースがないことを説明したり、リスクをなぜとるかなどの意義を根気強く説く。
→管理部との交渉がもっとも時間がかかるところ。管理部は、現時点の規模での制度や規則から発想するため、スタートアップの現状を知らせるのは難しく、ある一定の段階で内製化する。

⑤できれば子会社化する。
→事業部長と社長の苦しみや喜びの差は、ここでは書ききれない。


下記、記事を参考、引用しました。

「社長が率先垂範し、反対を押し切り、実績を出せば、周囲の見る目が少しずつ変わってきます。ある時点を超えると、本当に雰囲気がガラッと変わってくると思います。」

「日本の大企業が再び輝きを取り戻すには」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20121112/239314/?P=5

スラムダンクの「桜木」や「流川」のような新入社員求む

最近実行的で挑戦心に満ち溢れ、だいたい発言が”生意気な”大学生がたくさん東南アジアに来ている。わくわくさせてくれる。他の誰に会うよりも刺激になる。


紋切り型のトークは、僕もある程度本を読んでセミナーも出てだいたい知ってるからいい。若い学生にもっともっと会いたい。彼らにはまだ「型」がないから、会って楽しい。働きたいっていうなら大学通さず来てほしい。明日から空いてるとこ座りなよ。だって若い若い言われてる自分より若く、年齢的にキャッチアップされて追い抜かれることがもう目に見えてるじゃないか(笑)そんな学生を敵にしたらまずいじゃないか(笑)今のうちに囲っとく。いや囲わせてくれ!頼む!


そういう学生は、入社したら、「桜木」か「流川」になる。


実績があるか、実績がないか、大学がどこかはどうでもいい。


ただ、圧倒的自信と実力と才能、そしてその”生意気さ”で、先輩社員や上司をおびやかし、一瞬で追い抜いてほしい。


入社して間もないのに、周りの目なんて気にすんなよ。そりゃ絶対「出る杭は打たれる。」必ずやられる。妬みやひがみは、組織の大小を問わない。人に帰属するからさ。出る杭になれば、誰しも通る道である。いいじゃないか。休まず攻めて、3倍返ししてほしい。時間が少し経てばそんなやつ誰もいなくなる。全員、君の力を認め、君も周りを尊重し、全員同じ方向を向いて突っ走っているさ。じゃないとより大きな相手と戦えないから。社内で争ってる場合じゃない。
そうつまり、ベンチャーでは、それは歓迎されるべきものであるのさ。



俺と一緒に、アジアというインターハイに出て、優勝しよう。


待ってる。

あの時の誓い-平等に生きる権利-

ご無沙汰しておりました。申し訳ございません。Facebookにて書きましたが、体調は万全です。
多数の温かい言葉をいただき、誠にありがとうございました。これからはいつもどおりの僕にまたもどります!


さて、Facebookにて、ポストしようと思いましたが、やはり忘れられない記憶であるし、時期も時期なので、しっかり書き留めておきたいと思います。


過去に話しているとおり、僕は北海道函館生まれ、3歳まで東京にいて、その後函館にもどって、18歳の時、上京した。入社後、支社立ち上げのため、大阪に住み始めたが、僕にとって、それは初めての「大阪」であった。もちろん大阪に愛着などない。(なぜならもちろん、「大阪について何も知らないのだから」。知らないものに対し、愛着を持つ、執着することなどない。逆にいえば愛着を持ってもらうためには、その人に知ってもらう行為、活動、努力が必要不可欠である。)大阪出身の地元愛の強い人、何かしら大阪で過ごした期間がある人と大阪オフィスを立ち上げた。
(子供の頃の大阪に対するイメージと言えば、「ダウンタウン」しかない。僕はものすごい「ダウンタウン」好きで、周りに知られていた。書籍はおろかビデオは当時レンタル7泊400円ぐらい借りまくっていて、母親と口論になったことがある。それは、東京から来たよそ者の僕、兄弟がいない僕、特技が何もない僕が、徐々に輪の中に溶け込む唯一の手段となった。函館では、「笑い」なんていうカテゴリはなかった。今でもないから、たまに地元に帰ると非常に新鮮である。東日本になくて、関西にあるもの、それは「ツッコミ」「ボケを拾う」などの二次発生的行為である。東日本でいまだに一度も経験したことない。誰もボケを「拾った」り、「生かそ」うとしない。そのボケに対して、返って来るのは、「笑う」か「笑わない」かという二者択一の反応である。つまり、関西人が文化の相違点だけチューニングしさえすれば、確実に「笑い」ひいては「コミュニケーション」の分野では圧勝であるし、もうすでにそれに気づいている輩がいて、飲み会などで一発芸などを楽勝で上回る「ズルい」行為が横行している(笑)それはそこにツッコむ、展開する、かぶせるという行為である。こっちの笑いの方が、ノーリスクな上(スベッてもかぶせられた側がスベッたことにできる)、笑いが倍増しているのである。天性でなければ、訓練が必要であるが、身に着けてしまえば何も準備する必要がない。あぁ、もっと早く大阪に行くべきであった...GLAY好きの祖母が大阪出身やのにー笑 ばあちゃんなんで一度も連れて行かなかったん?笑 そんな話をしたかったのではない。話をもどそう。)


私が愛して止まない書物(文書)がある。それは『日本国憲法』である。

その中に平等に生きる権利(平等権)というのがある。入社してある時以来、ある一文が頭から離れない。

14条一項「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」


いつも何かを発言する際に、特に人事戦略など語る際は、頭にこれが浮かんでいる。
過去に何か投げ出しそうになった時、欲におぼれそうになった時、最近では、休みの日、どこかに旅行に行く時、DVDを見ようとタイトルを選ぶ時、本を買う時、不意にこの一文が現れる。

高校の時も学んだ。大学でも学んだ。他に似たような文章をアメリカの歴史やフランスの歴史など学んだ。福沢諭吉が言ってたなどいろいろ頭にある人はいるだろう。
僕もこの文章を知っていた。少なくとも高校の頃には。でもこの文章をまったく「知らなかった」。大阪に来るまでは。字面は知っていても、中身を知らなかった。


平等を知るには、不平等を知らなければならない。不平等がなければ、この項目は不必要である。

差別する側の人間は気づかないが、差別される側の人間は常に理解している。相手の気持ちになってみる。


大阪オフィスで立ち上げを4人で行ったのだが、他の3人と比べて、大きなハンデがあった。文化を知らないのはまだいいが、僕には、土地勘がなかった。営業訪問先に行くには、地図が必要で、最寄駅を見つけて、そこから歩く必要がある。1日平均3アポ×365日である。土地勘がない場合は、訪問先までの所要時間がわからないから、余裕を持っていく必要がある。夏の暑い日であったと思う。ある訪問先に行くアポがあった時、市内ではなかったし、駅からだいぶ離れていたので、かなり早く訪問先に向かったら、1時間ぐらい前についた。かなり中心街から離れていたので、店もあまりなかったので、訪問先(住宅街)の周りを1時間ブラブラ、汗ダラダラで歩くことにした。

30分経った時であろうか、閑静な住宅街を抜けて、林を少し抜けたあたりに、想像もつかないほどの、荒れ果てた1階立ての民家郡が僕の目の前に飛び込んできた。僕は言葉を失った。「人が生活してるのか?」。その集合した民家を僕は1つ、1つまわった。午後1時半あたりである。人が生活してそうな家もあったが人は見つからなかった。壁や屋根、窓は壊れてたり、引き戸は開けっぱなしであったりとどうも異様な雰囲気であった。

その後、アポ先に向かった。

のちのち、うちのメンバーに話したが、その時は話さなかった。理由は、読者はおわかりかと思うが、僕が唯一のよそ者であったからである。つまり彼らも気づかぬか気づいてか知らないがそれを認識している可能性があったからである。

あの光景が頭から離れず、毎週末、東梅田のジュンク堂や西大橋にある中央図書館に通って、分厚い地域史、民俗史など調べまくった。「闇」が存在していたのだ。それは地域ではない。すべての人々に潜むものである。

その後、大阪の責任者に正式になってからある程度経った時、大阪市役所から電話と手紙が送られてきた。企業への調査でアンケート式であった。内容は、「あなたの会社では、下記のような差別がありますか?」選択形式の質問にすべて答えた上に、感想の欄にはみ出すほど字数分を書いて、明確な上に明確を重ね、返送した。僕が組織を自分の問題ととられるように完全になった瞬間であった。それ以降、僕は変わり、社内でも周りと目標は同じでも誰もが気づくほど、スタンスが違うようになった。今でも僕を育ててくれた環境に感謝している。


私は、西日本事業マネージャーを今年の9月いっぱいで辞任し、立ち上げ時からずっと一緒にやってきており、席もあえてずっととなりに座ってもらっていた浴に譲ったのだが、事業部の経営目標は「西日本一のインターネット商社である」、そしておのおの人材が目指す目標は「主体性を持ち、ありとあらゆる意味で『おもしろい』人間になる」

インターネット商社になるとは、なにも今ある自社サービスとか広告を売ることだけではない。そんなの不完全はなはだしい。西日本に潜むあらゆる社会問題を知り、それを解決しようとし、社会の発展に資することである。そしてその答えを常に探す努力をしようとすることである。(2007年より)そのために、おもしろい人間にならなければならない。

「おもしろい」という日本語には、4つの英訳がある。これを1年ごとに1つずつ公開していった。

①Funny-おもろい(2007年、新卒時はこの能力だけでサービスを買ってくれるお客がいるであろう)
②Interesting-興味的におもしろい、意思がある、好奇心がある(2008年、ベテランとしては、おもろいだけではダメだ。)
③Intelligence-知的におもしろい。知識知恵がある、教養がある(2009年、経営者の立場としてサービスを知っているだけではダメだ、政治家であり、経済人でもあれ。)
④International-世界中どこでも国を超えておもしろい(2010年、日本だけじゃダメだ)


もっと見えない問題を見ようとしよう。いろいろなところ行く前にその土地、土地のことを知ろうとし、あるべき将来像を描き、それに思いをはせてほしい。同じ日本でも違う風景が見えてくる。「それをして、何になるんだ。それを勉強して、選挙に投票しに行って、広島長崎に行って、売上が一円でも上がるのか?」など言う、矮小な人間に耳を貸さなくていい。(まぁ実は、上がるのだけど、与えることなしに、受け取ることなどありえない。知って頂く行為なしに、支持を得られることなどありえない。)
君は、まず君を取り巻く社会の歴史、政治、経済を知り、そして未来を創るのだ。

という思いでやってきました。
今いるメンバー、当時いて、今インドネシアにいるメンバーもいますが、少しでも上記の内容を頭に入れて行動していただきたいと思います。必ず成功すると思います


もちろん僕もこの気持ちで、インドネシア、ひいては東南アジアでもやっていきます。

今後ともよろしくお願いいたします。

高野勇斗

【海外人事戦略】7月インドネシア駐在開始時に小倉に伝えた3つのミッション

高野です。
 

今年7月9日に駐在開始した小倉ですが、長期休みを除いて、3ヶ月ほど経ちました。


小倉は、社内では、自分で「ネット業界の金本」と称しているほど(笑)、遅刻もおろか休むこともなく、努力を怠らず、規則規律正しく、責任感があり、貫徹心があり、ハードワーカーで知られております。また、業務上の連絡、悪いこと(クレームなど)の迅速な報告、また私がもっとも大事にしている「共有」もすばらしいです。私は、報告、相談は、変化を求めるベンチャーにおいては、(役職に優劣がないにもかかわらず)優劣を生み、する側とされる側両方の主体性を抑制する行為であると考え、その代わり「主体的な共有」をもっとも大事にしております。必要なら自ら主体的に取りに行く精神を大事にしております。

そういう面から、西日本事業部から海外事業部に異動してもらったのですが、同期であることやもう長く共に仕事しているのもあり、業務的なことは何も心配していないので、そこの注文はなく、その代わり海外駐在員として、3つのことを守ってもらいました。


本社採用とローカル採用など、そんなものはいっさい存在しない。人種で差別はおろか区別さえもしてはならない。そんな見方、行動も許されない。日本人だから信じて、その他の人種は信じないとか言語同断、信頼するかしないかは人種ではなく「人」で選ぶ。

助けてくれている、なおかつ年上のメイドさん、ドライバーさんにも敬う気持ちを忘れるな。担当部署以外の年上の人に対しては、敬称を付けるように。

※アドウェイズインドネシアでは、日本人優位という思想が1ミクロンたりとももありません。また、日本人だからという理由だけで、駐在費用(住宅とドライバー)以外の特権を与えておりません。現在、私しかいない取締役も、現地社員の努力、結果、職責を全うする覚悟がある人間は抜擢(本社へ推薦、登用)いたします。近いうちに現れるでしょう。


休まず攻めろ、そうすれば自分と接する人も触発され、休むことができないので、組織としてさらにスピーディーに成長できるだろう。

最初が肝心。人の印象は、その組織に入って数ヶ月で決まり、固定してしまうと永遠にその組織では印象を変えることができない。前回出張時に、うちのスタッフから小倉が人としてすばらしく、真面目でぜひ一緒に働きたいという声が(ドライバーも含め)多数私に寄せられた。そのメンバーから得た信頼を真のものとするため、遅刻せず来て、一番最後に帰れ。言われなくてもやると思うが、先行投資と信頼獲得のため、土日も休まず攻めろ。おまえが変われば、周りが変わり、組織が変わり、社会が変わる。

質素、倹約に努めよ

インドネシアに来て、所得差や物価の差や歴史から来る国民性から得られるある種の「優越感」「富」に、浸るな、慢心するな。勘違いするな。それはすぐに自分を「貧しく」させる。
俺の部屋でソファに寝てくれ、出張時のホテルでも誰よりも安い部屋に俺と泊まってくれ。
それで得た余剰を、自分への投資にまわしてくれ。



小倉は、3ヶ月間しっかり上記を守ってくれて、それどころかその期待を上回り、今のところ最高の結果を出してくれています。非常に感謝しております。
仕事はできる人にいったん集中するものなので、つぶれないようにお願いします。

ということを踏まえて、同棲を解消します(笑)僕が出ていきます。やっと小倉がベットで寝られます。


ただしかし、
7月前に強くは言い忘れてしまったのですが、小倉は、いまだまったく日本語以外の語学ができません(汗)毎週水曜日のEnglish dayはオフィスから逃げます。文書を外国語で書くことはおろかいまだに話せません。つまり弊社スタッフの60%とまったくコミュニケーションができていません。そこを改善してほしいと思います。僕もぜんぜんなので、もっともっと努力します!

ということで、

【発表】来年2013年1月1日より、私のFBでのつぶやきの長文以外と小倉のつぶやきがすべて英語に変わります!!


おぐへ、

今後、インドネシア、シンガポール、東南アジア、アジア、世界と広げる戦略をもう策定しているが、実行することが何より大事なので、共に進めていけるようもっともっとがんばっていきましょう。おまえはまだまだこんなもんじゃない。


おまえの成功が俺の成功!!


いけるところまでどこまでいこう!!!


Let's go!!!!!


高野


P.S.
海外人事制度について→『エクセレントスタッフ』
※性善説、差別区別のない経営、郷にいったら郷に従え、グローバルヘッドクオーター構想

海外事業戦略について→『エクセレントグローバルストラテジー』
※越境性、連結性と流動性、グローバルとドメスティックプロダクト、グローバルとは何か、グローバルは誰が決めているのか、共同体の動きに注目する

自分なりの考えを示し、まとめていきたい...あと2000ページぐらい。ブログでコツコツがんばろう。
$主体性こそ集大成-Beyond the Borders--小倉です。

輝く未来に胸を踊らせ、今を生きる

昨日とてつもなく腹立たしいことがあった。そういう時は未来について誰かと語りたい。もう一度未来から「今」を意味づけるのだ。そうすれば、私が腹を立てていることなど、非常にちっぽけなことに思えてくる。地方、国、世界の未来に自分なりの意見を持ち、だからこそ現状から目を背けず、責任ある行動をしようとする人。

岡坂じゃかるた新聞記者がそういう人である。

昨日は3時間ほどバーで語ったが、「政治体制が変わる原因(首謀者)」が共通のテーマになっていたのだと今思う。北アフリカ、中東の民主化、インドネシアの民主化、ドイツのワイマールからナチスへの独裁化など。他に、メディアの変容、あり方。領土問題、そして沖縄問題。沖縄問題は、いったい「何が」問題なのかという本質論まで行ったが、最後は歴史と切り離せず、堂々巡りになるため、未来に向けて、沖縄が国がどうしていくかのという議論のところで、店には店員すらいなくなっていることに気づき、解散した。午前3時だった。

同い年のやすおちゃんまた飲もう。


2つの後悔 in インドネシア

積み重なる問題、無理難題、ちょっと前に空っぽにしたと思ったら、今朝目覚めたらもう満杯になっている...

うちが攻勢だからか?それとも守勢なのか?どちらが原因だ?

うちのメンバーに言っておくが、「やった後悔」と「やらなかった後悔」。後者が圧倒的にデカイんだからまずはやってみること。やらない理由はすぐ思い付くので、うちらは逆をついて今まで勝ってきた。やってみて、ダメでもたいしたダメージではない。速攻、改善すればいい。

その問題は、損害賠償やブランド失墜、うちが倒産するレベルのことはないではないか。目先のことではなく、もっともっと先を見据えて今を主体的に生き抜こう。目の前の責任は俺がとります。あといかにやるかだけです。今週も残り3日。

後半もガンガンいくぞ!来週までに形成逆転させる。

ミッションステイトメント in インドネシア

われわれは、周りが、やりたがらないこと、意味や価値のないと思っている仕事、勝手にできない、無理、不可能、ハードルが高いと思い込んでいる仕事。そういった仕事にこそチャンスがあると考え、敢えて積極的に取り組みます。

生じる結果に優劣はありますが、仕事内容、業務内容に優劣はありません。役職にも優劣はありません。一生懸命取り組みます。好き嫌いで仕事決めず、すべきかすべきでないかで決めます。

「私以外にこれをこれほどできる人が、どこにいる?」ほどのレベルまで高め、誇りをもって取り組みます。

海外事業戦略で差別化すべき3つのキーポイント

ご無沙汰してます。高野です。

海外拠点の現地法人の社長になって以来、劇的環境や立場の変化に対し、
自分の体の使い方がわからず、かなり体を酷使してしまい、健康診断結果が恐ろしい、いやおぞましい結果となりました(°´д`°)今月末、精密検査で帰国します...

汚い油を使った料理、酒、運動不足、寝不足、休暇不足に気を使います。

しかし、それとこれとは別で、これからもガンガン休まず攻めますよ!!!


表題の件、日本から海(国境)を越えて、インドネシア、シンガポールに来て1年半以上経過して、見えてきたもの、考えたものを、社内にも社外にも同時に公開いたします。
ちなみに、私のブログには、「ゲーム」「スマホ」「アプリ」「ネットサービス」など具体的な事業の話は出てきません。ですので、自動車業界、商社、製薬業界、鉄鋼、石油、紙、パルプなど資源業界、広告業界、IT業界から政府官公庁の方などでもぜひぜひお付き合いいただければ幸いです。


なぜ拠点をたくさんつくるの?

→経営目標「世界のインターネット商社」を目指すため

どのように?

①国を超える性質(=越境性と命名)があるものとないものを本質的に理解し、精査し、前者はグローバル戦略へ、後者マルチドメスティック戦略(国内はサービスが複数あってよい)へ。

(越境性があるものとないものは、自分で1つ1つ分析し、収集する必要があります。私は、この夏、ポーランドのアウシュビッツ収容所に3日間、移民の国スウェーデンに行き、初めてその全貌わずかばかり理解することができました。民族、言語、人種、宗教、文化、風習、通貨etc 来年公開します。)

拠点がある理由は、ドメスティック戦略により各国でシェアを築いておき、その拠点の総和で勝負するため。また、国によってスケールする時期が絶対に違うのでそれに備えるため。グローバル戦略も、各国ごとにカスタマイズする必要(すべてのサービスの要素が国を超える性質で構成されることがないため)があるので、その際に拠点があり、ある程度のリソースを確保していることが後々死活的に重要になる。

【付記】
グローバル戦略では、各国で共通しているものに着目する(相違点はその国の中に入り込み、社会をよくよく見なければわからない)ので、まず展開するプロダクトは1つに絞る。またブランド名、ブランドが築く価値は、その価値ごと越境できるので、ブランドも統一する方が良いと考える。またドメスティックの場合は、プロダクトは、その国内のターゲットを絞り展開し客数を増やすか、顧客単価を上げるため、サービスを追加し横展開していく。国内に拠点を構える強みを生かし、より顧客に密着していく方法を取るため、プロダクトを複数持ち、1顧客あたりの満足度を最大化させる戦略をとる方がよいと考える。ここでは、グローバルプロダクトとドメスティックプロダクトのターゲットとなる顧客は、順番はどちらが先にしても、もちろん一緒であることが肝。(またドメスティックプロダクトもできるならグローバルプロダクトになる可能性を頭に入れておいた方が良い。)

グローバルプロダクトを広めやすい、一気に展開しやすい環境をつくっておくのが各拠点のミッションの1つである。そのためにある程度、BtoBの場合はターゲットとなる顧客との取引をドメスティックプロダクトでしておく。BtoBやBtoC共通で、自社名を広く認知させたり、グローバルプロダクトを包括する事業を行っていることを国内で広く認知させておく、人的リソースの確保などが重要。

またグローバルプロダクトはその後、その国ごとにカスタマイズを行う必要が必ず出てきて、理由は、グローバルのそのグローバルという基準を作っているのは先進国で、徐々に新興国が伸びてきて、グローバル基準が変容してきて、どころか成り立たなくなってきて...ちょっと前はロシアの基準がグローバルだ!まずはロシア語マスターして、ソ連の文化を取り入れて、グローバル化しようと思ったら、崩壊して、英語が基準になって...というポーランドのタクシードライバーの話を思い出す。キリないですね...


なぜ本社の社長や役員が、現地法人の社長どころか役員も兼務していないの?


→「任せる社風」による。兼務すると、人が育たない。一番わかってる人がやるべき。それは現場の人間。人を信じている。そして後から、トップが出るべき時に、機を見て、社長自ら一気に出る。その際に、現地法人での役職関係なし。現地のメンバーが現地の社会を見ず、本社を見て仕事をしがちになるのを防ぐ。社内より社会を重視する。現場の意思決定と本社の意思決定の優先順位が異なる。グローバルで単一のプロダクトを展開していくなら、話は別だが、最初に社会をよく知り、人を育てる、急成長させるために、権限委譲が社内向けにも社外向けにも明確に必要。その人間に主体性を持たせ、急成長させるために、権限と責任は1セット。切り離し不可能。


また別の見方をすれば、役職は職能ではなく、職域と職責で分かれている。
役職が高いからといって、海外事業の成功の可能性が高いとは言えない。またベンチャーでは、役職といっても、経験や年齢にたいした差がなく能力も拮抗している場合や社歴などの問題で能力を正しく反映していない場合も多い。

大阪オフィス立ち上げ時、営業を助けるのが得意だった浴が営業管理、営業が得意だった玉置が営業、リーダーシップ系が比較的得意だった私が責任者となり、誰が偉いとか誰ができるとかなかった。当時、組織をして社会に貢献せしむために、弱みをなくし、強みを最大化するために自然とそういうポジションとなった。ただ、職域と職責で分けたのです。
現在、インドネシアでは、職域と職責でCEO職とCTO職で分けております。能力は比較できません。

②性善説でいく。「任せる」という決断は、性善説の上に成り立つ。とにかく日本企業、特に大きな会社は攻めるメリットより攻めるリスク(現状維持するメリット)に着目しがちで、特に変化の早い、スピードが勝負を決める(サービス)業界においては、不利にはたらく。

不信感を醸成させるもの、
日本企業で任せない理由に多く見られる、社歴、年齢、人種、言語、採用地。
他国企業で任せない理由は、能力と実績に関するもの。
年齢、人種、言語が異なる相手を変えることはできないので、自分を変え、近づき理解するように絶えず努力すべし。その努力も怠り、不信感を持ち、自分に顔、形、言葉が近しい人間を重用することを、もし真に経営目標を実現させたいなら、いずれ、いや今から捨てなければならない。



なぜ社長や役員だけでなく、新卒の社員からマネージャー、一事業部の責任者まで自由闊達に発信、発言できるの?(当たり前だが、個人情報や機密事項除く)


ベンチャー企業は、全員が経営者の領域を目指し、最後は自分が経営者、リーダーになるという気概をもっているので。いかに組織の和からはみ出さず、終身雇用され他と比べることによる優越感で、自分を満足させることに重きをおかない。所属グループ(ベンチャー企業)を「卒業」(辞めて)して、ソロ(起業)になっても1位を目指す。

また、変化が早く、未来を予測することが不可能なので、メンバー全員の知を結集し、議論しながら経営していく必要があるから。

③各拠点からも積極的に発信、発言する。あと、ヒエラルキーの維持のための情報統制をやめる。トップもボトムもすべて公開。そのためにはトップから公開。人間は動いているものに、目をやってしまう性質があり、積極的、アグレッシブな行動から、目を背けることができない。どうしても気になってしまうため。よって常に休まず攻めること。休まず攻めていれば、周りも目で追ってしまうため休むことができない。間違った方向に向かってはいけないので、常に社会を理解し、貢献するという気持ちを忘れない。

メンバーからマネージャーまで経営者を目指す。時間単位、プロジェクト単位で仕事をすることから脱却させる。すべて貢献に基づく。就業時間やプロジェクトに終わりはあるが、貢献にだけは終わりはない。果てがないので、休まず攻めなければならない。休んでるうちに、他の誰かは必ず攻めている。



ちなみに私は、かねてより売上や粗利という言葉は使わず、

売上→貢献
粗利→付加価値貢献

と言い換えています。

売上、粗利という言葉を社内で使うと、内向き、利益追求の行為が横行します。粗利を維持しろ。こちらの非を認めて補填はするな。月の売上達成のために、次月以降の売上を先食いしろなどです。貢献とは到底言えません。


この3つで究極に差別化し、貢献度シェアを高めてゆければと思います。

よろしくお願いいたします。


高野

なぜ君はインドネシアに集中しないのか

東南アジア各位


お疲れ様です。
久しぶりに書きましたので、よろしければ最後までお付き合いいただければ幸いです。

さて、私は(フィリピンに出張した際に)実は他の出張者より1日遅れて日曜日の深夜にジャカルタにもどる便を予約していました。どうしても1人で行かなければならないところがあり、そこに行くためです。

マカティ市の中心からははずれた場所にあります。

そこの広大な土地には、先の大戦で日本軍と戦って亡くなった米軍(とフィリピン軍)の墓が延々と並んであるのです。写真①


私は見た瞬間に、言葉を失うほどで、その後炎天下の中、キャリーバッグをひきずり、約5時間延々とその中を歩き続けたのです。
十字架の裏に名前、所属、役職、没年月日が書かれておりました。そこには、アメリカ人の遺族が墓参りに来ていました。なぜか日本人である私は彼らと目が合えば、私は目をそらし、そそくさとその場を去るのでした。日本人の戦没者を慰霊すべく、広島や長崎を毎年回っているのですが、米軍墓地を見るのは初めての体験でした。

そして、真ん中には白い記念碑があり、その周りの建物の中の壁には、戦没者と行方不明者の名前と出身地など、刻まれております。写真②


私は、2年前「なぜ生きるか、いかに生きるか」で詳述しました通り、過去に広島の平和記念資料館である写真を見た瞬間には、米軍が憎いという気持ちも湧き上がってきたのですが、やはり多くのもの見つめ、多くのものを感じ、多くのことを考えるにつれ、戦争というものが憎いという結論に達しました。今回もその気持ちに対し、まったく揺らぐことない気持ちでこの場所に立っておりました。


ここはビジネスの場であり、個人の信条を展開する場ではないことは重々承知しておりますが、タイトルの件について、少しだけ私なりの考えを述べさせていただきます。

米軍墓地の記念碑の中には、多くの太平洋戦争攻略のため、地図が書かれております。オキナワ、イオウジマ、ジャパン、ポリネシア、オセアニアなど多数ですが、その中で東南アジアの地図がございます。写真③
赤で囲まれたところがそうですが、70年前には、1度だけ1つの国になったことがございます。
侵略か解放かそのような議論を、私の意見をこの場で抜きにしても、その行為が「その国で暮らす人々にとって、願ったものではなかった」というところがこの地図が描かれた時点動かすことのできない事実でございます。

70年の時を経て東南アジアは大きく変わりました。

それがすべての人が望んだものかと言われれば、それを断定する材料を私は持ち得ないのですが、確実に、東南アジアという国は、今ある固有の文化など良い部分は残しつつも、経済、ゆくゆくは、政治でも1つの共同体を形成しようとしているのです。

では、「東南アジアの人々が望むならば」そしてそれが「東南アジアにとってプラス」そして「日本人で、日系企業であるアドウェイズが強みを生かしそれに寄与できるならば」は、ぜひやるべきという判断が、思考過程の末出された結論です。


インターネット(の国境を越える=『越境性』と命名)を通して、国と国に、虹の橋をかけ、情報をオープンにすることにより情報格差をなくし、人と人、ものとものをつないでいき、東南アジアが経済でも政治でも共同体となるための促進を行う


今後、東南アジアが共同体が設立された際、インドネシアが中心となる可能性が大きく、それを見据えて、インドネシアに最大の人数を配置しているのは、以前NNAの記事にものりましたので、割愛させていただきますが、インドネシアに集中するがゆえにそこからはじめるサービスであっても、東南アジアへそして世界への広がりを考慮に入れております。

それはインドネシアに大いに貢献するものになるからです。それは上記の考えからでございます。


具体的には、東南アジアへ横断するサービス(プラットフォーム)業への参入または、広告事業やゲーム事業でのプラットフォーム事業への参画、東南アジアで展開するアドネットワーク事業への参入しブランドは統一する、越境性があるスマートフォン事業での参入が上記の視点を介していることから初めて考えてられます。

赴任当初から考えていたことでございましたが、初めてメールという形で記録させていただきます。賛否両論あるかと思いますが、2年ほどたった後、重要な議論に対しては私はかならず再送しますので、その時改めて、判断の真価を問うていただければと思います。


そのために我々がやるべきことは、もうすでに書きました。政治信条のところではなく、アドウェイズがやれる部分とやるべき部分のところで、少しでも多くの人に共感していただき協力していただける人が増えれば幸いです。

皆様一丸となって、共に幾多の壁を乗り越えてゆければと思います。

熱が上がりましたので、ここで筆をおかせていただきます。

ご高覧いただきありがとうございました。


2012年3月22日
高野


主体性こそ集大成-Beyond the Borders--②
主体性こそ集大成-Beyond the Borders--③
主体性こそ集大成-Beyond the Borders--①