あの時の誓い-平等に生きる権利- | 主体性こそ集大成-Beyond the Borders-

あの時の誓い-平等に生きる権利-

ご無沙汰しておりました。申し訳ございません。Facebookにて書きましたが、体調は万全です。
多数の温かい言葉をいただき、誠にありがとうございました。これからはいつもどおりの僕にまたもどります!


さて、Facebookにて、ポストしようと思いましたが、やはり忘れられない記憶であるし、時期も時期なので、しっかり書き留めておきたいと思います。


過去に話しているとおり、僕は北海道函館生まれ、3歳まで東京にいて、その後函館にもどって、18歳の時、上京した。入社後、支社立ち上げのため、大阪に住み始めたが、僕にとって、それは初めての「大阪」であった。もちろん大阪に愛着などない。(なぜならもちろん、「大阪について何も知らないのだから」。知らないものに対し、愛着を持つ、執着することなどない。逆にいえば愛着を持ってもらうためには、その人に知ってもらう行為、活動、努力が必要不可欠である。)大阪出身の地元愛の強い人、何かしら大阪で過ごした期間がある人と大阪オフィスを立ち上げた。
(子供の頃の大阪に対するイメージと言えば、「ダウンタウン」しかない。僕はものすごい「ダウンタウン」好きで、周りに知られていた。書籍はおろかビデオは当時レンタル7泊400円ぐらい借りまくっていて、母親と口論になったことがある。それは、東京から来たよそ者の僕、兄弟がいない僕、特技が何もない僕が、徐々に輪の中に溶け込む唯一の手段となった。函館では、「笑い」なんていうカテゴリはなかった。今でもないから、たまに地元に帰ると非常に新鮮である。東日本になくて、関西にあるもの、それは「ツッコミ」「ボケを拾う」などの二次発生的行為である。東日本でいまだに一度も経験したことない。誰もボケを「拾った」り、「生かそ」うとしない。そのボケに対して、返って来るのは、「笑う」か「笑わない」かという二者択一の反応である。つまり、関西人が文化の相違点だけチューニングしさえすれば、確実に「笑い」ひいては「コミュニケーション」の分野では圧勝であるし、もうすでにそれに気づいている輩がいて、飲み会などで一発芸などを楽勝で上回る「ズルい」行為が横行している(笑)それはそこにツッコむ、展開する、かぶせるという行為である。こっちの笑いの方が、ノーリスクな上(スベッてもかぶせられた側がスベッたことにできる)、笑いが倍増しているのである。天性でなければ、訓練が必要であるが、身に着けてしまえば何も準備する必要がない。あぁ、もっと早く大阪に行くべきであった...GLAY好きの祖母が大阪出身やのにー笑 ばあちゃんなんで一度も連れて行かなかったん?笑 そんな話をしたかったのではない。話をもどそう。)


私が愛して止まない書物(文書)がある。それは『日本国憲法』である。

その中に平等に生きる権利(平等権)というのがある。入社してある時以来、ある一文が頭から離れない。

14条一項「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」


いつも何かを発言する際に、特に人事戦略など語る際は、頭にこれが浮かんでいる。
過去に何か投げ出しそうになった時、欲におぼれそうになった時、最近では、休みの日、どこかに旅行に行く時、DVDを見ようとタイトルを選ぶ時、本を買う時、不意にこの一文が現れる。

高校の時も学んだ。大学でも学んだ。他に似たような文章をアメリカの歴史やフランスの歴史など学んだ。福沢諭吉が言ってたなどいろいろ頭にある人はいるだろう。
僕もこの文章を知っていた。少なくとも高校の頃には。でもこの文章をまったく「知らなかった」。大阪に来るまでは。字面は知っていても、中身を知らなかった。


平等を知るには、不平等を知らなければならない。不平等がなければ、この項目は不必要である。

差別する側の人間は気づかないが、差別される側の人間は常に理解している。相手の気持ちになってみる。


大阪オフィスで立ち上げを4人で行ったのだが、他の3人と比べて、大きなハンデがあった。文化を知らないのはまだいいが、僕には、土地勘がなかった。営業訪問先に行くには、地図が必要で、最寄駅を見つけて、そこから歩く必要がある。1日平均3アポ×365日である。土地勘がない場合は、訪問先までの所要時間がわからないから、余裕を持っていく必要がある。夏の暑い日であったと思う。ある訪問先に行くアポがあった時、市内ではなかったし、駅からだいぶ離れていたので、かなり早く訪問先に向かったら、1時間ぐらい前についた。かなり中心街から離れていたので、店もあまりなかったので、訪問先(住宅街)の周りを1時間ブラブラ、汗ダラダラで歩くことにした。

30分経った時であろうか、閑静な住宅街を抜けて、林を少し抜けたあたりに、想像もつかないほどの、荒れ果てた1階立ての民家郡が僕の目の前に飛び込んできた。僕は言葉を失った。「人が生活してるのか?」。その集合した民家を僕は1つ、1つまわった。午後1時半あたりである。人が生活してそうな家もあったが人は見つからなかった。壁や屋根、窓は壊れてたり、引き戸は開けっぱなしであったりとどうも異様な雰囲気であった。

その後、アポ先に向かった。

のちのち、うちのメンバーに話したが、その時は話さなかった。理由は、読者はおわかりかと思うが、僕が唯一のよそ者であったからである。つまり彼らも気づかぬか気づいてか知らないがそれを認識している可能性があったからである。

あの光景が頭から離れず、毎週末、東梅田のジュンク堂や西大橋にある中央図書館に通って、分厚い地域史、民俗史など調べまくった。「闇」が存在していたのだ。それは地域ではない。すべての人々に潜むものである。

その後、大阪の責任者に正式になってからある程度経った時、大阪市役所から電話と手紙が送られてきた。企業への調査でアンケート式であった。内容は、「あなたの会社では、下記のような差別がありますか?」選択形式の質問にすべて答えた上に、感想の欄にはみ出すほど字数分を書いて、明確な上に明確を重ね、返送した。僕が組織を自分の問題ととられるように完全になった瞬間であった。それ以降、僕は変わり、社内でも周りと目標は同じでも誰もが気づくほど、スタンスが違うようになった。今でも僕を育ててくれた環境に感謝している。


私は、西日本事業マネージャーを今年の9月いっぱいで辞任し、立ち上げ時からずっと一緒にやってきており、席もあえてずっととなりに座ってもらっていた浴に譲ったのだが、事業部の経営目標は「西日本一のインターネット商社である」、そしておのおの人材が目指す目標は「主体性を持ち、ありとあらゆる意味で『おもしろい』人間になる」

インターネット商社になるとは、なにも今ある自社サービスとか広告を売ることだけではない。そんなの不完全はなはだしい。西日本に潜むあらゆる社会問題を知り、それを解決しようとし、社会の発展に資することである。そしてその答えを常に探す努力をしようとすることである。(2007年より)そのために、おもしろい人間にならなければならない。

「おもしろい」という日本語には、4つの英訳がある。これを1年ごとに1つずつ公開していった。

①Funny-おもろい(2007年、新卒時はこの能力だけでサービスを買ってくれるお客がいるであろう)
②Interesting-興味的におもしろい、意思がある、好奇心がある(2008年、ベテランとしては、おもろいだけではダメだ。)
③Intelligence-知的におもしろい。知識知恵がある、教養がある(2009年、経営者の立場としてサービスを知っているだけではダメだ、政治家であり、経済人でもあれ。)
④International-世界中どこでも国を超えておもしろい(2010年、日本だけじゃダメだ)


もっと見えない問題を見ようとしよう。いろいろなところ行く前にその土地、土地のことを知ろうとし、あるべき将来像を描き、それに思いをはせてほしい。同じ日本でも違う風景が見えてくる。「それをして、何になるんだ。それを勉強して、選挙に投票しに行って、広島長崎に行って、売上が一円でも上がるのか?」など言う、矮小な人間に耳を貸さなくていい。(まぁ実は、上がるのだけど、与えることなしに、受け取ることなどありえない。知って頂く行為なしに、支持を得られることなどありえない。)
君は、まず君を取り巻く社会の歴史、政治、経済を知り、そして未来を創るのだ。

という思いでやってきました。
今いるメンバー、当時いて、今インドネシアにいるメンバーもいますが、少しでも上記の内容を頭に入れて行動していただきたいと思います。必ず成功すると思います


もちろん僕もこの気持ちで、インドネシア、ひいては東南アジアでもやっていきます。

今後ともよろしくお願いいたします。

高野勇斗