主体性こそ集大成-Beyond the Borders- -22ページ目

わたしのすべて―なぜ死ぬか、いかに死ぬかー


「なぜ生きるか、いかに生きるか」からちょうど半年の月日が経ち、少しでも君たちがこれからを考える上で助けになれば幸いと思いここに記します。



あれは小学校高学年の頃だったろうか。



僕はとてつもなく「死」というものを恐れる日が続いた。



生きている限り、誰にでもいつか必ず来る「死」を恐れた。



ただ一人の肉親である母親が心臓の病気で、助かる確率が50%とか言われていた時、孤児になると思ったからだろうか。


戦争の悲惨さを訴えた映画や物語、自衛隊のPKO派遣問題で周りが騒いでいたからだろうか。

そのどれか、いやそのすべてが原因かもしれないと思った。



僕はとてつもなく「死」を恐れた。



ただ、なぜかははっきりとわからなかった。



それから10年以上の歳月が経ち、



大学を卒業し社会人になった。



それから数年が経ち、



今の自分はどうだろうか?




最近は「生き長らえる」ことを恐れるようになった。



それは、「ただ、この世であてもなくさまよう」ことだ。

「ただ、流されるままに生きる」ことだ。


自分の考えもなく、やりたいこともなく、そして与えることもなくぶらぶらと。


そして「生き長らえる」のを恐れるようになって、



初めて「死」の意味がわかった気がする。



なぜ人は「死ぬ」のか。




なぜ生には「限り」があるのか。




それは、「何かを成し遂げる」ためであると思う。



限りがなければ、そんな気は起こるまい。



いつやってもいいなら、それを「今」やる必然性はないからだ。



「死」がなければ、人は輝こうとはするまい。



まさに「死」のその瞬間に、過去を振り返り、自分はどれだけのことを成し遂げることができたか、どれだけ輝くことができたか、



そこに「生」の意味があるのではないだろうか。




あれは小学校高学年の頃だったろうか。




僕は、「死」を恐れた。




とてつもなく「死」を恐れた。



しかしそれは、



「生に執着する」がゆえであると



今わかった。





今の僕は、





まさに「死」の瞬間に執着するがゆえ、






「生」の充実を強く願うのである。







2011年1月30日

わたしのすべて―なぜ生きるか、いかに生きるかー

8月は僕にとって最も重要な月なのでここで綴っておきます。 毎回断片的に話しているので、初めて文章にします。

あまり関係ないですが、1日が僕の誕生日で28歳になりました。祝っていただきありがとうございました。あっという間に30歳まで残り2年となりました。

さて、 特に西日本事業部にいるみなさんなら考えることを避けて通ることはできないと思いますが、

8月は、広島と長崎に世界で初めて、そして世界で唯一原子爆弾が落とされ、日本の敗戦という形で戦争が終結した月です。

僕は、毎年この月は、自分の人生を深く考えるようしています。

毎日の仕事に忙殺されると、いくら意識しても緊急性の高い、短期で結果が見える目の前の仕事、その周辺のことにとらわれ、より高い視点で物事を捉えることを忘れがちになるのです。


ビジネス、プライベート問わずです。

だから、この月は良いのです。僕の人生の原点はこの原爆、戦争にあるのです。

17歳の時に修学旅行で、広島の原爆資料館に行き、ある写真の前で、足が止まりました。
気づいた時には、かなりの時間が経っており担任にもどるように呼ばれたのを今でも覚えています。


その時は、僕は2つの問いに、YESと答えられませんでした。


①「自分が65年前の昭和19年、20年の日本にもどれたら、原爆投下をとめることができただろうか。」-NO。


②「では、自分が65年前の日本にもどれたらせめて、たった一人でも 戦争に反対という意思を表明することができただろうか。」-NO。




僕は、その瞬間自分のあまりの無力さ、ちっぽけさを思い知らされ、意識がとんでしまうほどでした。


その時、人生の目標を 

「戦時中のあのような状況でも、自分の意思を恐れることなく、表明できる人間になる。」


と決めたのです。 



自分の意思が、間違った方向ではダメなので、常に

「社会の発展に寄与する価値判断を身につけるようたゆまぬを努力する」

と規定しました。


ここまで詳細に決めることができたのは入社した後です。 皆さんひいてはアドウェイズのおかげです。

これが僕のすべて行動を規定するものです。 

自分に甘くなることも、道がそれることもしばしばあるので、そのたびに、この気持ちを常に確かめるようにしています。


そして、未熟な僕からいうのも気がひけますが、みなさんに、意識してほしいことがあります。

それは「すべてのことに対して、責任を持つ。」いうことなのです。 関心ではなく、責任です。


自分は、アドウェイズの社員ですが、どこかの地方自治体に属しており、 つまり選挙権、投票権を持つ都民府民県民であり、市民でありますし、もっと広げれば 日本国民であり、地球で生きる人類、世界市民でもあります。

つまり、世界市民であるから、この世で起きていることは、すべて自分に関係があることなのです。僕は、世界で戦争が起きるのも、難民がうまれるのも、環境が破壊されるのも、近所で幼児が虐待されるのも、リーマンショックも、デフレも、円高ドル安も、過去に起きたことも未来に起きることも全部とはいいませんが、すこしは自分の責任である、関わりがあると思っています。



これは非常に難しいことではありますが、主体性を持つとすべてのことに関心を持ち、そして胸が痛み、だからこそ解決するために勉強し、主体的に行動できるようになると考えているのです。


そう考えているともっともっといろいろなことが見えてきます。


現在の日本は自由で幸せな国です。

餓死することもなければ、生まれた瞬間に自分の身分が決まっているわけでもなければ、 たとえ、貧しくても周りより多くの努力さえすれば、自分が望む職業につくことができ、 仮に社会を批判しても、いきなり警察が来て収容所に連行されることもない。


自由で幸せな国です。だからこそ考えるのです。

その幸せを世界の貧しい国に分け与える方法を。

あなたは幸せで自由で能力もある。だからこそ考えるのです。 周りの人も幸せになることができる方法を。


若い頃はこんなことも理解することができず、それどころか、募金も、寄付も、エコも、「アフリカの恵まれない~」のCMも気持ち悪っ!とかサブっとか!ダサイっ!と思うことすらあったかもしれない。

なぜなのだろうか。

めんどくさかったのだろうか。

エゴなのだろうか。

怖かったからなのだろうか。

大勢で群れてた方が楽だからだろうか。


今ならはっきり言える。


今の俺ならわかる。


そのはじまりが、11年前の



あつい8月なのである。



Promote your Dreams All over the World



そう、



世界のインターネット商社へ




メンバー一丸となって



ガンガンいくぞ!




2010年8月7日
高野勇斗$主体性こそ集大成-Beyond the Borders-

「出世する」の意味

「出世する」という言葉は、


「世に出る」という意味であると考える。


では、「世」とは何か?


それは、顧客、市場ひいては社会である。


「出世する」とは、つまり社会からご支持を得ることである。


社会に対し貢献することに集中すれば、自ずと君への支持は集まる。


それを「出世する」という。


役職がなんちゃらとか、昇進がなんちゃらというのと、出世は関係ない。


「出世」は今すぐにでもできるものである。


間違っても「内」だけを見て動いてはいけない。打算的になってはいけない。


2012年2月6日
高野勇斗

トップだけができる人事「抜擢人事」について

今うちの入社間もないスタッフから1通の長いメールをもらった。


その内容が僕のお願いした事柄に対し、3時間後に、過不足ない内容の回答で、そしてプラスアルファで、今の会社の弱点と、それを踏まえたチームビルディングのアドバイスも含まれていた。(お願いとは、「○○を作りたいが、あなたがトップだったら、どのようにしてそれを完成させられるか考えてほしい。いや、頼む!助けてくれ!」である。) またそのチームの上長にも巻き込むように、一度報告済みと来た。社長である僕と直接やり取りする前に、直属の上司を刺激することがないようにしたということか。
しかも、こんな読みやすい英語は1週間ぶり。1週間前にもらったメールもこのスタッフから来たメール。内容は、個人的に10月から1年間講師として、毎週土日にプレゼンを行うが、アドウェイズをPRしていいか。だった。止めるというかぜひぜひお願いします!である。
この人はすごい。本当にすごい。経験ではカバーできない才能を感じる。こういう人に出会えて、仲間として一緒に働くことができ、自分も成長できるから、それだから、それだからこそ、人材採用はヤメラレナイ。新陳代謝、活性化しなくなったら組織は終わりである。

次の日、さっそくその話を直接聞いてみたが、短時間でよーく予算も含め練られていた。市場を先読みし、長期視点であった。会社の強みと弱みを分析し、弱みを消し、組織をもって強みだけを発揮せしむ内容であった。やはりすごい。

一般論だが、こういう人のすごさに、トップである自分だけが気づいて、周りは気づいていない場合が多々あると思う。ただ、この人のすごさを周りが知り、わかり、かつその後、認めるまで、同時期入社で競争があり、そこで人は強くもなるが、疲弊し、足の引っ張りや、出る杭を打ちにくる人間を逆に打ち返すのに、なんやかんやで、20人ぐらいの組織でも階層からして、1年ぐらいかかってしまう。100人以上で2年ぐらいかかると想定される。人間関係でしくじると、悩んで辞める可能性もあり、そこを勘案し、いや解放するため、抜擢人事を行う必要性が出てくる。

思い切った人事は、結局トップしかできず、周りとの合意の上だと、引きずられ、可もなく不可もない人事になる場合があり、それが大体、年功上列が無難に落ち着く。数千人規模ぐらいだと自分と一番近い階層しか把握していないので、そこのみ抜擢人事適用可能。その次の階層以上で抜擢しても、業績に与える影響が小さいので、あえてする必要がないとも大企業では言える。

抜擢は、周りに納得いく回答が用意できず、つまり現状より未知である未来を見据えて行うか、ポストに対し適当だと決め付けておこなうもので、あまりやりすぎると独裁などと言われたり、一人よがりの勘違いにその人事が結果的になることも多分にあり、反発を招く可能性があり、何度も繰り出すことはできない。タイミングを見計らって、一気に大きく踏み出す。

そう考えると、採用する前、採用した直後、採用してからと、人材採用には、算段(三段)活用があり、よくよく周りを見て、決断しなければならない。



本日モ晴天ナリ!でも明日は晴天とは限らない!だから気を引き締めて、もっともっと周りを見てないフリをしつつじっくり見て、勉強させていただこう。Let's Go!!!!!

笑顔集め

子どもの頃、


おもちゃがほしい
ゲームセンターでゲームを好きなだけしてみたい
ビックリマンシールが全部ほしい
ガンダムのプラモデルが全部ほしい
手縫いのサッカーボールがほしい
プーマのジャージがほしい
すしを好きなだけ食べてみたい
ステーキをナイフとフォークで食べてみたい
スーパーファミコンがほしい
ゲームボーイがほしい
塾に行ってみたい
英会話教室に通ってみたい
一軒家に住んでみたい...



大人になったら、働いて絶対全部買って集めてやろうとあの時は思っていた。




そして、いざ、ほしいものがすべて買えるようになった時には、




すべてほしくなくなっていた。




お金で買えるものは、すべて目に見えるもの。




「目に見えないもの」がほしいものになっていた。




感動、喜び、興奮、平和、愛情、友情...




目に見えないものこそがほしいものになっていた。




恐怖からの解放、不安の解消、搾取からの解放、貧困の撲滅、戦争の廃止、テロの根絶...




大人になるにつれ、


「笑顔」という言葉がいつのまにか大好きになっていた。




人を笑わせたとき



人を感動させたとき



人に納得してもらったとき



時には人を興奮熱狂させたとき



そんな時に見ることができる



「笑顔」




子どもの頃、ほしくて集めたくてしょうがなかった多くもの。





その代わりに、これからは



「笑顔」を集める




これからは、「笑顔」のコレクターになる




ワインでもびんのふたでも切手でもプラモデルでもカードでもミニカーでもなく




「笑顔」を集める





「笑顔」を集めるために




お金はいらないだろ




だから、先進国でも新興国でも世界中どこにいるかは関係ない




「笑顔」を集めるために、まずすべきこと




それは




自分が、自分自身がまず「笑顔」になることである





「笑顔」になるためには、




楽しむことである。




おもしろいと感じることである。




おもろいものを主体的に見つけることである。




他の誰でもなく、自分自身で。




爪に火を灯し、心に火を灯す経営

高野です。


日本では三連休とのことですが、インドネシアでは今夜はいつもと変わりのない日曜日の夜です。


タイトルにある「爪に火を灯す」ですが、辞書では「倹約して貧しい。質素な生活。ひどくけちなこと。」と書かれております。あまり長くは、語りませんが、自分の少年時代が思い出されます。例を上げればキリがありませんが、小学5年生でMサイズの服を着ていました(笑)すぐデカくなるからといって、140cmの小学生にMサイズ着せてどうするねんと当時母親をひどく恨んだものです。買い物は、母親が仕事をしていたというのもありますが、週末でスーパーは必ず閉店間際のディスカウントを狙って行ってましたし、回転寿司では、必ず「100円の皿」しか食べてはならず、スーパーで安く買える「デザートが乗ってる皿」も食べてはなりませんでした。食べ放題のバイキング形式では、家で食べられる「白飯」を食べることは禁止されていました。まさに松本人志作詞の『チキンライス』の内容と一緒です。歯磨き粉やマヨネーズの使い方などあげれば枚挙に暇がないのでやめておきますが、とにかく「爪に火を灯す」生活をしておりました。(物心ついた時から、父親がいないので、つまりベンチマーク、アドバイスする人がいなく、母親はすべておまえが決めろ、塾など頼らずやってみろ、と小さい時から教えられ、進路はすべて自分で決定しておりました。大学生までネクタイの締め方がわからず、塾のアルバイトの初日に笑われたことがあります。)

ただ、その甲斐あってか、母親は自分の貯金(MAXの月収13万円ぐらいだったらしい)で高3の時には、見晴らしの良い高台に土地を買い、デザインして一軒家を構え、車3台ぐらい買い替え、マックとデスクトップ二台使いで、42型の液晶テレビの前で今日も悠々自適の生活を送っているのが目に浮かびます(笑)今、ヤフオクの転売は飽きて、ブラジルのレアルを運用しているらしいです(笑)あと僕の口座やマイルなど、全部管理しております。仕送りだけで食べてると思います。なんでやねん!笑 とにかく贅沢した記憶がなく、今になって思いますが本当に尊敬というより、感心するほどのコスト管理能力でした。



さて、前置きが長くなりましたが、そんな話を書くつもりではなく、ちょっと意識が過去にすぅっとタイムスリップしてしまいました(笑)



今回のタイトルは実は『成長中のベンチャーでは、赤字は善で、黒字は普通。』または『赤字事業と黒字事業』のどちらかにしようとしました。(先週の続きは、来週にアップいたします。)



内容ですが、多くのベンチャー企業や大企業でも、必ず黒字の事業と赤字の事業が存在します


カネボウさんの「ペンタゴン経営」が有名ですが、繊維・化粧品・食品・薬品・日用品へと事業の多角化を行いましたが、化粧品事業以外はすべて赤字で、他の事業はまったく収益化できず、最終的には主の化粧品事業をひっぱり、倒産の憂き目に逢います。


多くの企業では、黒字で利益を大きく上げる花形の部署があり、赤字の部署があります。それは、環境が大きく変わるドメインに身をおく会社では、交代したりします。


赤字の部署には、事業をはじめてから長く経つのに、売上も横ばいで収益化できない部署と、新規事業として始めた事業があります。
(弊社で言えば、2003年より、中国事業、2007年より国内地域事業(大阪、名古屋、福岡)、2011年より海外事業があります。その他、ゲーム事業、メディア事業などがあります。)


私が入社して、国内拠点、現在海外拠点を担当しているのもあり、よく聞く話なのですが、「国内の部署が上げていただいた利益で事業をやらせていただいている、いつも新拠点、新規事業はいつ潰されてもおかしくない、だから、お金はあまり使ってはいけない。早く赤字から脱してなければならない」などよく聞きます。


ちょっと考えこんでしまいます。与えられている予算や事業計画などにもよりますし、また、選択した事業ドメインの将来性にも、新規事業のリスクなども勘案する必要があるかと思いますが、個人的には考えが逆なような気がしてなりません。


一部署として考えれば、常に新しいことをやれば、最初は赤字です。必ず赤字です。いやそれはそれは赤字です。不安もひとしおです。批判の的になることもあります。



ただ、会社全体で見れば、「成長が見込める分野に投資する」のが定石です。



新規事業、新拠点というのは、カネボウさんの時代や事業はわかりませんが、おしなべて成長分野であるかと思います。もっと言えば、今後、その会社の命運がかかった、絶対死守しなければならない分野、地域であるはずです。


そこへの投資を、「黒字の部署に申し訳ないから、抑制する」というのはどういうことでしょうか。



私が担当する部署には、会社のお金(経費)の使い方と言っても2種類あると5年前より規定しています。


1つは、「消費」、もう1つは、「投資」です。よく混同されます。


「消費」というのは、お金をたくさん使ったからといってリターンがないか、またはリターンが少ないものです。私の担当部署では、交通費、出張費(交通機関、滞在ホテル)、備品のうちいくつかの項目、会食のうちいくつかの条件を満たさないものなどがあります。これは、ホテルをスウィートルームにしたからといって、めちゃめちゃ売上が上がるかというとそうでもないので、消費は究極に抑制します。もっといってしまいますと、『成長に最も必要な栄養は、「苦難、苦境、苦悩」である』という言葉を作ったのですが、これに照らし合わせ、むしろより条件の悪いものを選択したりしています。(断っておきますが、西日本事業すべてと東南アジア事業の過半だけです。その他の部署では実施していません。アドウェイズって半端ねぇ!ケチ!とか思わないでください。社内でクレームが来てしまいます(笑)夜行バス、マンガ喫茶、ホテルや寮の床になるのは、うちの部署だけです。)


「投資」というのは、リターンが見込めるもので、部署レベルでは、人材採用、セミナー、教育費用、通信費、投資、システム開発、インドネシアやシンガポールでは事業買収などがあります。特に、人材と教育にはめちゃめちゃ投資しております。



最初は必ず赤字なのですが、赤字をこれ以上出すと引け目を感じるからと言って、ここを抑制してしまうということはどうなんでしょうか。


仮に、人材、教育などの投資をせず、事業開始半年後に月100万円の黒字になったとします。



花形部署の黒字がたとえば月1億円上げているとします。



併せて、1億100万円です。ちょっと、吹けば飛びそうな額です。



「そんな黒字いらねぇー」と会社によっては言われるかもしれません。


後に続くであろう、大きなリスクをとってでも新たに新事業をやりたい人、新拠点をやりたい人が出てこなくなるかもしれません。


私も、「黒字化はそろそろ?」「累損解消はいつ?」と社外の人から質問されることがありますが、意図がわからず、お答えすることが難しいです....まだまだ先です。今黒字化したら、投資していないのがバレてしまいます。そういう意味で聞いているのでしょうか。インドネシア事業ですが、日本人は3名、計20人人員がおります。今後毎月5名ずつ採用します。シンガポールも始めます、採用はすでに開始しています、とだけ申して上げておきます。


そして、インドネシア、シンガポール、ひいては東南アジアで、雇用の創出、貢献できるサービスの創出、現地でしっかりと税金を納入することなど、ほかのどこよりも大きな貢献をまずは行い、その後に、事業を支えていただいた他の部署に、大きなお返しを、会社全体に最終的に大きな貢献をもたらすことをできるように考えて、取り組んで参ります。


今後とも、会社のお金を自分のお金として考え、爪に火を灯すような努力を重ね、より多くの「苦難、苦境、苦悩」を若いうちに経験し、それを栄養に、ぐんぐん急成長し、より多くの機会を創出し、貢献して参ります。


書いてるうちに、私の心底にある何かが燃えてまいりました。ブログが心に火を灯してくれました。


明日からも社員一同、気持ちを新たにやる気、テンションMAXで進んでいきます!


今後ともよろしくお願いいたします。



高野勇斗

同じところ目指す仲間の批判はするな

よく自部署、会社の組織の「メンバーや部下をダメだとか使えない」と言っている人がいますが、トップである自分が「自分に教える能力がないんですよ。マネジメント力がダメなんですよ。」と言いふらしているように聞こえます。


教育を半ばあきらめかけている、放棄している、誰か下の人間に、その人を育てる業務を丸投げしていなければまだいいですが。


「うちのメンバーがちょっとまだまだ能力や習熟度が低く、ぜんぜん使えないのですが、今まさに成長中なので、あの手この手でもってなんとかし、私がしっかり責任もって一人前にします。約束します!」と言わないと、トップに責任感がないのかと思われますし、メンバーも含めて自分という法人格を成しているので、部署や会社など組織の信頼が損なわれます。


自分が採用決定していないとか、異動してきた人間とかいろいろ言い訳が浮かぶと思いますが、そう言う人でもしっかり育て上げるのがトップの責任、もっというとトップの「腕の見せ所」なので、むしろわくわくしなければなりません。

そのような人に、主体性が発揮できる仕事を任せたり、その人と同じレベルの人間を採用し、切磋琢磨できる環境を与えるなど無限にやり方はあり、最終的にめちゃめちゃできる人間になり、最後にトップの力のうちいくつかの分野は、その人が上回ります。つまり自分が負けます。

そう考えるとめちゃめちゃうれしいですね。


あと、「こいつはできる!」「こいつは自分が育てた!」と僕も言ってしまうのですが、自分で採用したなら、採用した自分に彗眼がある、先見の明があるいうのは納得できますが、大体そういう人は元から優秀で、誰かに指示されなくても、主体的に行動でき、地頭がよく、誰が上司であっても一緒の結果が得られると思います。だからそういう人には、仕事を任せ、逆に邪魔しない方がいいのです。僕は、いつも「邪魔してすみません!」って一度断りを入れてから邪魔します(笑)

つまり、マネジメントの腕の見せどころというのは、言われなくても勝手にのびる主体性のある人材の採用とその主体性の最大化に加え、成長中の人間、業務になじめていない人間の力を伸ばし、組織の総合力を最大化させ、同じ方向へ進んでいくようにするところだと考えます。


「夢、志、自信、やさしさ、感謝」の五つを大事にしています。


自戒の念で書きましたが、上記事項を一番できていないのが私自身ではないとかいう気持ちに毎日襲われていますが、引き続き日々向上していく気持ちで精進して参ります。


成長中のベンチャーでは、後に入社して来た人の方が総じて優秀

ベンチャー企業は、草創期より、売上、利益が増え、キャッシュが増え、規模が大きくなり、知名度がアップし、サービスも浸透し、上場するなど、他と差別化できるものが増えるにつれ、人材採用戦略がしっかりしていれば、優秀な人材は集まりやすくなると考えます。

今まで採用できなかった優秀な人材が徐々に集まるということにより、その人が、それ以前からその会社にいた社員より責任ある地位、プロジェクトが任されるということが頻繁におこります。

より優秀な人材を採用するスパイラルをつくるために、会社を成長させているとも言えるので、責任ある地位に、後から入社した人が就くことが「頻繁に起きる」のが健全です。

そうはないということは、人材採用がうまく行っていないのではないでしょうか。「ポジションが空くまで待つ」とかよく理解できません。別にサッカーをやってるわけでもないので。そういう流れの中で、「年功序列禁止」と謳う企業や、「役職や役員の定期的交代」を始める企業が増えてきているのではないかと思います。


本日、某企業(まぁ楽天ですけど)の内定者の学生が、かなり前から入社前に海外を見ようと、自分たちで企画し、自腹で、数ある海外の中でもインドネシアに一団でやってきました。

会ってすぐわかったのですが、自己紹介の内容と、英語ペラペラなので、ある程度自信があり優秀なのはわかったのですが、話を聞く姿勢(ノートテイカーと聞く人を役割分担していた)がすばらしく、気づいたら、1時間以上ノンストップでしゃべってしまったのですが、終始優秀だなと思いました。

こんなこと言うのもあれですが、オフィスに来たのは、4人ともすべて小さくて華奢な女性の内定者だったのに驚きました。さらに、全員、行きの便も帰りの便もバラバラで、インドネシア語しか通じないこの国で、タクシーに定員オーバーの人数で根性で移動したり、一人でタクシーで移動したり、僕は彼女たちのたくましさに驚きました。そこらの大の男の出張者でも、インドネシアというだけで、アテンドさせたり、車をチャーターしたり、短期間で運転手を雇ったりしているにもかかわらず。

先日、一人で来た某国立大学の学生は、海外で働きたい!現地で採用してもらい、給料は5万円でもいい!と言って、その他のハードめの質問に対しても、あまりにしっかりと答えるので、「確実に、日本で一回就職した方がいい」と言って帰ってもらいました(笑)そして、CAベンチャーズの鈴木氏にその場で、電話して「単なる頭のおかしいバックパッカーが来たと思ったが、めちゃめちゃ優秀な学生がいる。今から診察してくれ。」と言って、鈴木氏にアポ先からオフィスにソッコー帰ってきてもらい、すぐに会ってもらいました。その夜、鈴木氏からブラックベリーで「紹介ありがとう!!!彼、優秀だねー」との連絡。鈴木氏、僕より100倍人を見る目が厳しいにもかかわらずですよ。


うちの今年入った新卒でもそうですが、新卒でも、中途でも、急成長中、急拡大中の企業に尋ねに来る人でも、入社する人でもどんどんレベル上がってません? 「給料が高い」から来てるんじゃなくて、「志が高い」から来てるんでしょ?そうですよね?と自分に言い聞かせて日々精進していきます。


絶対に彼らは僕なんかより優秀なので、ウカウカ休んでいられないし、守ることはないというか、守る理由がないのですが、今以上に前に前に攻めて行かねばならないと考えました。


タイトルの通り、そのようなことが起こることが健全なので、もし成長ができない、成長させらない、結果が残せない場合は、私もいつまでもこの地位にはいられないという緊張感を持って取り組みます。今日からより強い緊張感を持ち取り組みます、


「組織のトップにいるものは、他のメンバーの誰よりもリスクのある難しい問題に対し、成功確率が高いトップ自ら、誰よりも早く取り組み、開拓し、そこでの地位を築き、元いた地位、プロジェクトは後任に任せることにより、主体性ある人材をより多くより早く育成しする。

もしそれができない、またはより有能な人材が現れれば、年功序列や入社年次などイッサイガッサイ関係ないので、すみやかにその場所を譲ることを厭わない。まだまだ守るような規模でも時期でもない。」そのような組織するために、絶えず努力していくことを誓います。


そのために、各拠点、事業部の責任者、プロジェクトリーダーは明るく快活なのはもちろんのこと、絶えず心身の修養に努め、より多くの知識知恵を吸収し、より多くの知識知恵を発信し、絶えず自分と組織の活性化を主体的に行っていただきますようよろしくお願いいたします。

逆サザエさん症候群

日曜日の夜ってものすごいテンション上がりますよね。

なぜテンションが上がるかというと、話は2007年までさかのぼります。

僕は、アドウェイズというインターネット広告の会社に2007年に新卒入社し、入社1ヶ月後に大阪オフィスを立ち上げて以来、今まで上司がおりません。先輩が一定期間だけ滞在し、拠点に常駐しているのは、すべて同期か後輩なので、何かで注意されたことも、不条理なことなどで怒られた記憶がありません。


その代わり、これまた、経験者がいなく、すべて未経験者であるため、頼る人が近くにいないので、より多くの「苦難、苦境、苦労、苦悩」を味わうことになりました。

そして結果もすべてが自分達の責任なので、常に「ヤバイ、ヤバイ!」という状態で、心休まる暇がありませんでした。ただ、自分達ですべて経営しているので、主体性が最大化され、他のどんな遊びよりも、仕事がエキサイティングで楽しいものにすぐに変わっていきました。


私が責任者をしているといっても、同僚がすべて同期の新卒ということもあり、常に協力して、同じ寮から同じオフィスに出勤していたので、平日と休日の区別があまりなくやっておりました。

そして、目の前にどんどん降りかかる仕事から開放され、一息つけるのが日曜日の夜でした。


日曜日の夜に、オフィスで読書したり、メンバーに長文のメールを毎週作るのを日課としていたのですが、その際にいろいろ考えると、無限に広がる夢の数々で興奮して眠れなくなり、気づいたら、オフィスで寝ているということも多々ありました。その時使っていたドンキホーテの980円の寝袋は、今も大阪オフィスにあります。


何を言いたいかというと、月曜日が来るのが楽しみなのは、組織の問題を自分の問題として捉え、主体性を発揮して行動していると、月曜日が楽しみなのではないかということなのです。


そして、2011年にインドネシアに来て、現法の社長になり、従業員を雇用し、決定的にわかったことなのですが、「月曜日の遅刻率、欠勤率」が極めて多いということです。その後に、サザエさん症候群(月曜日病)というのを知り、自分の学生時代の夏休みや冬休みの最終日に感じていた気分を思い出しました。


月曜日の欠勤理由が、「寝坊」「交通手段の遅延」「恋人とデート」などならまだいいのですが、「体調不良」だともうこれはこれはまずいということに気づきました。あと、それを見越して週明けにアポを避けるなど。

これは、完全にその人に主体性がないのです。

それは、組織のトップに責任があります。


組織のトップは、週が明けたらすぐ、やりたいことが山ほどあって、それはそれはめちゃめちゃテンションが上がっているはずだし、憂鬱なんてものは、仮にあってもメンバーのそれとは、質がぜんぜん違うし、周りに与える影響がドデカイのも自分で認識しているはずで、月曜日の朝は、いつもよりめちゃめちゃテンションを上げていかなければならないと考えています。


「おざーす!!!!!Good morning!!今週もガンガン行くぞ!!!!How are you?調子どうう?おまえどうした?テンション低いなー!持って上げてくぞ!!」


で、一人一人の席に行って話しかけて、ちょっかいかけるぐらいしないとダメです。
メンバーが、「高野さん、ちょっと仕事の邪魔しないでくださいー。」と言ったら、「あ、すみません。失礼しました。席に戻ります。」と謝ってすぐ去ります...笑 主体的な仕事を邪魔したらいけません。


組織のトップの最も大事な仕事は、上昇志向のある人を採用し、「その人の主体性が発揮できるようにすること」だと考えています。トップの振る舞い次第で、その場の空気がすべて決まるので、皆の主体性を最大限に発揮できるよう、あれこれなんとかして、やる気にさせ、笑顔にさせ、そして自然とそうなる活気ある場を提供しなけばなりません。そのように環境を整え、振る舞えば、皆自分で考えて、主体的に行動してくれます。むしろそうなったら、その後に、トップの口出しなんて邪魔です(笑)いない方がいいかもしれません。黙って、みなさんに行動していただいたらいいのです。


トップは、仮に体調が悪くても、気持ちが上がらなくても、テンションMAXに振舞わなければいけません。特に週明けは。

だってみんな緊張してるのだから。長い休み明けはさらにテンションMAXで。

テンションが低いなら、むしろいない方がいいのです。


僕は、経歴のとおり、他の会社ももちろん知らないのですが、まず週明けに、そこの責任者のテンションが低いってのは最悪で、いないとは思いますが、責任者自ら週明けに「病院行く」「体調不良」だ、「病気」だと言って遅刻したり、休みが多いのはもう辞めた方がいいと思います。


僕は、インドネシアに来てから、けっこう新興国特有の病気にかかっているのですが、絶対に月曜日の朝だけは休まず行くようにしています。這ってでもオフィスに向かいます。

このおっさんががんばってるんだから、僕も私もがんばろうと思わせたいのです。


3年前に、全社会議にて発表した時(当時入社二年目の新卒でしたが...)と変わらず、私が担当する組織では、

「現場で働く社員全員に、主体性を発揮できるような仕事を意識的に任せるよう努め、オフィスの環境を常に向上させ、金曜日の夜は、仕事が終わってなんかさみしく、日曜日になると、月曜日が待ち遠しく、その夜は興奮して眠れない」ような組織するために、絶えず努力していくことを誓います。

そのために、各拠点、事業部の責任者、現場のリーダーは明るく快活なのはもちろんのこと、年の初め、週の初め、休み明けには、ここが大一番だと思って、テンションMAXで周りに活気と笑顔を与えるような努力、振る舞いをしていただきますようお願いいたします。」



この文章、初めて文字で起こしたら、さらに興奮して興奮して今夜寝れなさそう...

ということで、日曜日の夜は、月曜日が楽しみで楽しみでしょうがないのです。


さあ、みんな1週間がはじまるよー!!!!

Dear my staff -夜中に書く手紙-

本日新入社員5名の歓迎会をできたことをうれしく思う。

会社設立前から入社し、現在会社の中心となってくれている社員や草創期に入社し、苦しい時期を支えてくれた社員には心から感謝している。

そして、今月入社してくれた社員や今多忙を極めており、その状況で苦しんでいる社員に伝えたい。

まず、この状況が改善されることは当分ない。

いや、ごまかしなくはっきり言っておく。一生ないと思う。

理由は、「常に僕らが休む間もなく攻め続けるから」である。

「今年がチャンス!勝負の分かれ目」と毎年言ってるが、毎年そうなのである。

理由は、常に攻めているからである。

インドネシアに来てから、僕たちは常に「今まで経験したことがない」ことをやっている。だから、顧客に怒られ、パートナーや仲間に怒られる。それでも歯を食いしばってほしい。そしてその頂いたお叱りを謙虚に受け止め、

「すみませんでした。ソッコーで改善します!さーせん、先輩!あざす!」

と大きな声で謝ってソッコーで勉強して、キャッチアップして改善してほしい。もうそれで十分である。相手は鬼ではない。(たまにある不条理な要求に対しては自分がなんとかする。)

あと、「ないものねだり」をしないでほしい。

実績がない、サービスがない、ノウハウがない、リソースがないなどである。

これもどうあがいてもないものはないので、あきらめて、今、あるものに目を向けてほしい。

今から一つ一つ創っていくしかないだから。

コンペで負けても根性で喰らいつき、実績や弱点を補うだけの粘り、アイディア、ノリの良さと君のその主体性で乗り切ってほしい。無理なら無理でいい。徐々に不可能から可能に変わってくる。

そして、最初に楽をしてはならない。

楽をすればするほど、後々その何倍もの代償を支払うことになる。

成長のために大事な栄養、それは「苦難、苦境、苦悩、苦労」である。


我々はここまで他のどの会社よりも遠回りをしてきた。

マジでリアルに「0からはじめた」。「何を売る」の前に、「海外でどのようにやる」いや、その前に、「なぜインドネシアに、なぜ海外に出るのか」の答えをしっかりと明確にしてから、一枚岩となって進めてきたからに他ならない。

これからも多くの「栄養」を吸収して、どんどん成長する。

共に歩んでいこう。

まだまだまいけるところまでどこまでもいこう!

物語ははじまったばかりである。楽しもう!

Warmest regards,
Hayato Takano