主体性こそ集大成-Beyond the Borders- -18ページ目

なぜそうなりたいのか、なぜそうなりたかったのか(マス戦略の罠)

昨日朝からある知識人の方とやりとりさせていただいて、その後民主党の反省大会を見て思った。備忘録に加え、考えもまとめる。

政治家も芸能人も結局は「人」。確固たる、目に見える、人に説明できる技術があるわけではなく結局「人」。「人」がつく言葉を分析すると、人気、人望、人脈、人格、人心掌握といろいろ出る。要はこういうもの。

ちょっと人前に出るのが得意、またはそういう人から見出された人であれば、一気に露出してしまい、お茶の間の話題を獲得できる。有名になることができる。好きならいいが、仮に嫌いという反応の方であっても、無関心よりぜんぜんいいので、また知名度が拡大される。たとえば、討論番組であれば各党出たほうがいいので、人数が少ない党の方が自分が出る番が多い。知名度があれば、確率の問題で支持も多くなり、当選しやすくなる。実は、政治でも芸能でもたまにビジネスでも、人気商売であれば、ハマリがちになるが、これは長く続かない場合が多い。実力がともなってない場合が多く、また実力があっても追いつかない場合も多く、さらに結局は「人」である生ぐさい世界では、これまた押す力と同時に引っ張り落とす力も強いからである。これが相当クリティカルにはたらく場合が多い。また広く薄く獲得した知名度は、一過性で移ろいやすい。金帰火来で地元に帰る、朝立ちも非常に大事。

かれこれ12年ぐらい好きなアーティストがいる。HIP HOPというカテゴリに属する。ソロになって、結婚して、子供がいても人気が衰えない。万人受けする曲が出たと思ったら、一気にコアなメロや歌詞の曲を出したりする。目立つと叩く人と支持する人と同時に、コピーする人も出て、そっちが売れちゃったりするが、彼を真似たグループも長く続かない。どんどん深いところに降りてきた時にバレてしまう。

やはり軸をぶらさず、ヘッズ達の心をはなさないようにしつつ、どんどん枠を広げていかなければならない。

浮き足立ってはダメだ。地に足つけて一歩一歩じっくり進んでいかなければ。


まとまりない文章になってしまったので、やはり最後は引用しよう。

「なんのためにそうなりたいか」をはっきりさせないまま、なんとなくそうなるとのちのち苦労します。なんとなく(あれよあれよと)そうなってしまって、その後、職業のために(生活のために)なってしまって苦労している人がたくさんいます。

①なんのためにそうなりたいか

②そうなるためにはどうするか

両方が大事。


Management, of the Indonesian people by the ...

「Takano-san、受注しました!」

「Takano-san、私も受注しましたよー」

「Takano-san、受注しそうです!」

「Takano-san、トラブル発生です!」

「Takano-san,支払いがなされていません!」

「Takano-san,ネットが使えません!」

「Takano-san,ただいま完成してローンチできそうです!」


報告をお願いしたことはないのだが、僕がジャカルタにいてもいなくても「主体的に共有」してくれてものすごいうれしい。チャンスの時も、ピンチの時も俺にできることはなんでもする。

最近の受注ラッシュは、半端ない。自分は、その子たちの手をつかんで、みんなの前で「彼が、彼女が受注したぞ!拍手!!Yeah!!!」ぐらいしかしてあげられないけど、思い切り活躍できる環境を絶えず提供できるよう休まず努力する。

今、僕やマネージャーのロビン、小倉の力を借りなくてもぜんぜん一人で電話して営業して、資料つくって、仕様書書いて、デザインしてできるようになっている。
それでいい。それでいいんだよ。それに対して嫉妬なんかするなよ。それに対して叩こうとするなよ。芽を摘もうとするなよ。仕事を取るなよ。もっともっと成長してもらえ。「おまえの成功こそが俺の成功!」と思って。そして負担が軽くなったら、どんどんおまえも新しいことに挑戦しろ。立ち止まんなよ。開拓をあきらめるなよ。


インドネシア人の、インドネシア人による、インドネシアのための経営を。

Management of the Indonesian people by the Indonesian people for the Indonesian people




いけるところまでもどこまでもいこう!

やりたい仕事などない




やりたいことなどない。好きなこともない。だからそれを仕事になどできない。



なりたい自分、そして成し遂げたいことがあるだけだ。



その自分に近づけるように、日々目の前のことすべてを「やるべき」ことだと思ってわくわくしながらやっているのである。楽しい。



やりたい仕事、好きな仕事



そんなものはない。一度も考えたことがない。



やるべきこと、やる必要があると思ってやっているのである。


好きな仕事もなければ、仕事が好きなわけでもない。今やっていることが「仕事」かそうでないかわからないのだから。「仕事に行ってくる」と言ったこともない。境目がない。


あえていうなら、仲間の、相手の、好きなこと、やりたいことを実現できるように助けたいとは思う。自分の「すべき」ことであると思う。



それに着々と近づいている自分



そうなる自分



そして



それを成し遂げる自分



その日を夢みて。

それは「強さ」である

インドネシアに来て、非常に学ばせていただく量が膨大になった。28歳でこちらに来て2年間、これほど多くのことを短期間で学べたことに感謝している。2年間とは、MBAと同じ期間であるが、どちらとも選べたとしても僕はまずこちらを必ず選ぶ。

学べたのは知識だけではない。昨日、JACインドネシア取締役の小林さんと会食させていただいたが、悩みはやはり一緒で、十人十色、多様性がある人々をどうモチベートし、組織として1つの方向に導いていくかである。ただこれは腕の見せ所でもあるので、もちろん「悩み」と同時に「喜び」でもある。いや「生き甲斐」と言ってもいいすぎではないかもしれない。(小林さん、そうですよね?)

1つ、言葉が思い浮かんだ。それは「寛容性」。それは何も譲歩すること、迎合することではない。
違いを認めること。それを認めた上で、一つの方向に、次の一歩を踏み出すこと。


これほど多様で文化が違うインドネシアで学んだ


寛容性。



それは



強さ



である。



知識と違い、生涯失うことのない



揺るぎない



強さ


である。

我々は誓います。

われわれは、周りが、やりたがらないこと、意味や価値のないと思っている仕事、無意識に「できない、無理、不可能、ハードルが高い」と思い込んでいる仕事。そういった仕事にこそチャンスがあると考え、敢えて積極的に取り組みます。生じる結果に優劣はありますが、仕事内容、業務内容に優劣はありません。役職にも優劣はありません。(役職は職域と職責で決めております。)一所懸命取り組みます。好き嫌いで仕事を決めず、すべきかすべきでないかで決めます。

「私以外にこれをこれほどできる人が、どこにいる?」ほどのレベルまで高め、誇りをもって取り組みます。



積み重なる問題、無理難題、ちょっと前に空っぽにしたと思ったら、今朝目覚めたらもう満杯になっている...うちが攻勢だからか?それとも守勢なのか?どちらが原因だ?
メンバーに言っておくが、「やった後悔」と「やらなかった後悔」後者が圧倒的にデカイんだからまずはやってみること。
やらない理由はすぐ思い付くので、うちらは逆をついて今まで勝ってきた。やってみて、ダメでもたいしたダメージではない。速攻、改善すればいい。その問題は、損害賠償やブランド失墜、うちが倒産するレベルのことはないではないか。目先のことではなく、もっともっと先を見据えて今を主体的に生き抜こう。目の前の責任は俺がとります。あといかにやるかだけです。


2012年10月12日

残りの人生構想戦略ミーティング

もう一度あの頃のようにさ、俺があいつと営業やりまくって、おまえとあいつでそれをうまくさばきまくってさ、足りないとこ人材採用してさ、そしてあいつとあいつで、徐々に内製化し、サービス化する。それをまた営業しまくって、全体を俺が大きく広くPRする。

また再現できるかな?

幸い俺以外、全員20代でもちろん依然絶賛先行投資中じゃん。おまえら3人は28歳で、あいつなんか26歳。日本語しゃべれないけど、それ以外の言語はプログラミング言語でもデザイン言語であってもペラペラだぜ。しかもあいつはまだ24歳だ。まだまだ伸びる。あごひげ以外ももっともっと伸ばしてほしい(笑)俺ら全員未婚だし、嫁どころかおまえら全員恋人もいないじゃん。給料もあの頃と比べて上がったけどさ、いまだにおまえはオフィスで寝泊りして、あいつなんてソファで寝て、死にそうな顔をしてる。他のやつは家賃2、3万円のボロアパートじゃん。高級マンションや高級車なんて興味ないんじゃないの。生活水準を上げなかった理由ってなんだと思う?贅沢を戒めて、消費を抑えてきた理由はなんだと思う?

もう一度あの頃のように、掘っ立て小屋みたいな住居兼事務所に全員寝泊りし、現状の給与関係なく、全員給料10万円になり、閉店間際に半額になったスーパーの弁当だけからスタートしするって言ったら、みんなどうする?フルパワーで戦える?もう年取っちゃった?失うものが多い?ローンが残ってる?笑 

今以上の感動と興奮をもたらす希望が先と確信したらどうする?

その希望を実現する並々ならぬ根拠なき自信があるならどうする?

もう一度、おのおのが大きな枠組みで「なぜ生きるか、いかに生きるか」を考えようぜ。思い出話はちょいとおいといて。現在進行形の「今」を。大きな枠組みで考えられば現状の問題なんてたいした悩むべきことではない。

俺は30代で大きな決断する。

その決断すべてが1つの方向に導かれるように。すべて過去の思い出が、よい思い出に変えられますように。

2012年10月27日

30代は...

  
30代は、「読むことより書くこと」に力を入れていこうと思う。


書く方がより難しいので。


人間は、「書く」が難しく、書いたものを読めば、その人がどれほどのものかすぐわかるらしい。 


「読む」より「書く」


「講演を聴く」より「講演する」


これからはより難しいことをしていかなければならない。


それはマジョリティーから抜け出し、マイノリティーになることでもある。



つまり「発信」していこうと思う。


それは「今」と形作り、


未来を創る糧となる。



高野 勇斗

「政治」「政治家」...僕の心を長いこと掴んで話さない言葉

「世論」を刑成しているのは、政治家か、メディアか、はたまた字のごとく国民なのか、その複数かすべてかわからないが、「世論」は一度形成されてしまうとなかなか大きく変わる、人為的に変えられることはない。(大事件などがあれば別だが。)

政治家とは「国のリーダー」であるならば、やはり公約を守るというは非常に大事なんだけども、もっと大事なのは「不測の事態」にしっかり対処する力なんだと思う。未来は予測できぬが、まったく予期もしていないことが起こることは少ない。でも必ずそれは起きてきた。起きてしまった直後のリーダーの態度や行動、考えは事前に準備できない、つまりごまかし、まやかしが効かないため、やはり人々はしっかりそこを見ているのだと思う。

「不測の事態」は起きない時もあるし、起きる時もある。ただ起きないことを願っていては、なにも変わることができない。としっかり心に刻み込んだ。そしてまだまだこれからも僕の心を掴んで離さないし、こちらも離されないようにする。

『プリズンブレイク』できた思い出


最近、僕の最も大好きな海外ドラマ『プリズンブレイク』を英語&英語字幕で毎週見ています。

英語表現ではこうだったのかと知ることができて勉強にもなる。2回目でもまだまだドキドキハラハラするのがこのドラマのすごいところ。

この海外ドラマと出逢ったのは、4年前の入社2年目の大阪時代。

僕は至上最大の失恋をしてしまい毎日仕事に身が入らずボケッとして、食事も9割以上残していたのを見かねた同僚である玉置陽大(現:大阪オフィス責任者)が、

「はやと!どうせ死ぬなら、死ぬ前に1度でいいから、このDVDを借りて見てくれ!」

と言われ、無理やりTSUTAYAに連れていかれ、断るのもアレなので、1本だけ借りようとしたら、玉置が、

「はやと!アカン、1本はアカン!5本ぐらい借りな。どうせすぐ続きが見たなって、またもどってくることになるんやから。一度見たらほんま寝られへんで。ほんまやで。」


と4本も追加され、家で見ることに。そしたら止まらない止まらない。かっぱえびせん以上。結局朝まで見続け、次の日も次の日も借りに行き、シーズン3の最新作まで追いついてしまい、店員に「いつプリズンブレイク返却されるんすか!?はよ見な死んでしまう!」と言うぐらいに。当時もう1人の社員であった浴良介(現:西日本事業部責任者)にも薦めて速攻見てもらいました。


おかげで僕は、自分というプリズンからブレイクできたのです。命の恩人である玉置に感謝。

ようだい、この恩は絶対に返すからな!




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おまえの成功は、俺の成功!

今日深夜にアパートに着くと大変なことに気づいた...家のカギをどこかで落としてしまったようだ。マスターキーがあるだろうと受付に尋ねたが、もはやかなり昔のもので案の定開かない。困った。困った。しょうがないと、となりの棟に住んでる小倉に電話した。出なかったが、その後メッセが来て部屋に入れてくれた。小倉は毎朝英会話に行くため5時50分に起きているので、すぐ寝た。今午前3時だ。ふと部屋の壁に目をやると何か書いてある。さらにトイレにも。(下記写真の通り。)英会話の文とその日本語訳が書いてある。小倉が直面している最大の問題が海外でのコミュニケーションなのだが、それを愚直に克服しようとしていて感心した。


また、先週の講演でのエピソードだが、僕の講演の資料は、小倉が作ってくれている。そんな義務はないのだが、いつもやってくれている。大体作ってくれた資料を自分に合うようにもちろん相当修正する必要が生じるのだが、当日の朝確認するという絶体絶命の状況で、ほぼ修正する箇所はなかった。ボケのところまで修正する必要がなかった。それだけ共有してる時間や考えが半端ないのだ。その講演に小倉が聴講者としていたのだが、僕の時間の配分がまずかったようで講演中に、「巻き」のサインどころか声まで出してきた(笑)講演が終わった時に気づいたのだが、小倉は僕の出番の時だけ写真を撮っていなかった。我が子のピアノの演奏会を見てるようでハラハラして、写真を撮るのを忘れてしまったらしい。なんでやねん!


同期でもあるし、近すぎて面と向かって恥ずかしく言えませんが、いつもありがとう。


俺の成功を自分のことのように喜んでくれるが、お前の成功も俺にとって何よりの成功だから。


この調子で、いけるところまでどこまでもいこう!OK?


俺と一緒に頂点目指すぞ!


P.S.壁に書いてる英文の中に”Did you fart?(おならした?)"ってあるけど、これどこで使うねん!笑

2013年3月

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