キリスト教の普及に懸念を示していた坂本龍馬  海援隊「閑愁録」から | キビコジのブログ

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日蓮宗本門佛立宗の長松清潤師の著「仏教徒 坂本龍馬」を目にした。

その著の中で長松師の5代前の幕末明治の僧であり学者でもあった長松清風師と坂本龍馬、海援隊に関する記事が目に留まった。

坂本龍馬の海援隊文司の長岡兼吉が残した文書では、「船中八策」が有名だがほかに「藩論」と「閑愁録」という書が残されている。龍馬が組織した海援隊で龍馬や隊士たちが語った内容が記されている。

その中で「閑愁録」には当時長崎で流行っていたキリスト教の布教に懸念を示し、1000年の仏教がその使命を果たしていないことを憂え、見識と慈悲にあふれた仏法の教えを説く人物の登場を願っている。

幕末から明治にかけて生きた本門佛立宗の開祖長松清風師はこの海援隊による「閑愁録」を手に入れている。「閑愁録」は明治新政府の禁制で発行禁止になった書物であった。当時の新政府の宗教政策は神祇官によるキリスト教の禁教と神仏分離令による廃仏毀釈が進められた時代であり。仏教の興隆を主張する「閑愁録」はその趣旨に合わなかったものと考えられる。

以下閑愁録」の内容を紹介してみよう。

最近開港された港ではキリスト教が教会堂を建てて民衆を誘惑している。特に長崎では多くの民や穢多が3千人も宗徒となっている。その教えを信ずれば貧しきものは富み、愚かなものは知恵を得、賤しきものは貴く、病のものは癒され、未来永劫福を得ると教える。
これを信じて自分の生死をも顧みなくなり、貧しい人たちが相互扶助ということで扇動していることは恐ろしいことである。
キリスト自ら十字架にかかることを通して万民の罪を贖い天の神の赦しを乞うということから信徒は極刑になることを栄誉とする。甚だしくは自ら十字架にかかろうとする者もいる。その教えは詭うく人々の心に染み入り、因果応報、天道地獄の教えに似て非なるもので、まさに狐に騙されるかの如く惑わされる。普通の道理や法、刑罰で禁止しても効果が無い。
元亀・天正の頃にその教えを信ずるものを捉え処刑したもの30万人になるが根絶やしにすることはできなかった。8,9年前に踏み絵の取り締まりを緩めて、三港を開いてのちふたたび盛んになって撲滅できるような状態ではなくなった。
長崎でこういう状況であるが、大阪堺の開港で大阪や京もそのようになるのは時間の問題である。憂慮すべきことである。これは政府だけの責任ではない。
空海、弘法大師は天地垂迹の説をたて、法然上人は他律往生の教えを説いた。実に活眼卓識というべきであった。再びこの両高僧のような人物が世に現れれば一つの人情やこの時代の風情にあった救いを果たしてくれるであろう。
私が今日までに見てきた僧徒を見ると、天下の遊民となって囲碁や詩歌挿花酒女に耽溺し、時には戒律を守る清い僧侶もいるが彼らも世の中のことには関係が無いと政教一致のことに関心が無い。たとえこれを知っていても政治や法律に縛られて手腕を発揮できずにいることは嘆かわしい。
孔子孟子中庸などは社会の上層の人々にだけ通用する教えである。仏教は鳥獣草木に至るまで救済する。あらゆる衆生が救われることは言うまでもない。
仏教は日本に伝わって以来、天皇家を保持して今日まで至っていてその功勲は輝かしいものである。
だから仏教の教えは天竺の仏教とのみ言うのでなく皇国の仏教なのである。
今日西洋の教えが広まり仏教が衰退しているのは勢いの違いである。勢いを止めるのは人であり手立てである。
故に法を説くものはことごとく四句の誓願を心に刻み心に鞭打ち身命財産もなげうち、天下の形成を洞察し、すべての人々の根気を熟知し、諸宗が相計って王法、仏法を保持していかなければならない。
仏法護持の方法は人にある。このことを否定し彼らのことを肯定するものは仏敵国敵である。その罪は天地に相いれない。
ああ、どのようにしたらいいのか。仏法の滅亡や没落は皇道の衰運にかかわることである。これは誰の罪だろうか。ここに意見を呈して明識高徳の指示を待とう。願わくば天下と万霊のために慈悲の法と教えを垂れてほしい。
                   土佐出碕 海援隊文司筆記 慶応三年初秋

その当時のキリスト教の急速な普及とそのことに対して仏教の衰退を憂え、そのことを国家存亡の問題としてとらえ、空海や法然に比する宗教指導者の登場を願っていることがわかる。

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