苫米地理論をめぐる状況が、

想像以上の速さで動いています。

認知ホメオスタシス。

TCZ、Shared-TCZ、LUB。
象徴文化生成定理と進化定理。

未来原点認知時間理論。

四法印定理。

これまで言葉や概念として語られてきたことが、
次々と定式化され、証明を伴う定理として暫定公開されています。

だからこそ、

数式を避けるのではなく、

4月末のNDU論文が発表され以降、
Khronosの講座でも繰り返し一緒にみてきました。
なぜなら、
これまで一緒に観てきた世界を、
より高い解像度で理解し、
現実の中で使えるものにしていくためです。



数式が得意な人だけが読むものだと考えたり、

難しいからという理由で、
雰囲気や言葉の印象だけを受け取ったりするのではなく、
まずは、かつて「グラフ」と呼んでいた抽象度から、
式が記述している全体の風景を観ていく。

そのゲシュタルトを持ったうえで、

式に含まれる項や関係を一つずつ確認していくことで、
数式を通した理論の理解を深めていくことができるのだと思います。

本質的に掴みたいのは、
記号の意味を一つずつ暗記することではなく、
それらが一つの全体として描いている構造でした。
それは、
以前の記事でも一緒にみてきた、

認知空間の構造です。

そして、その構造の変化は、

情報空間の低抽象度側に位置する身体や行動にも、
写像として現れるものとして観てきたことでもあります。


 
数式は暗号ではなく、地形と旅の言葉である。登場するすべての式は、 「谷」 「坂」 「合計」 「はしご」 「安全地帯」といった絵に必ず翻訳する。オレンジ色のこの枠が、その翻訳係だ。緑色の枠「証明の心」は、証明の骨組みを一段落で語る。
各定理は、学術版とまったく同じ正典の式と成立条件を掲げる。省くのは長い計算だけであり、主張・仮定・結論は一切ゆるめない。
(苫米地四法印定理 やさしい完全版 — 数式が苦手な読者のための注解・図解つき)

この一連の形式化は、

生成AIにも理解可能なかたちで、

理論を記述していくためのものでもあります。

ただ、
公開された数式を目で追うだけで、

その数式が描いている世界の全体像が、

自動的に立ち上がるとは限りません。

先に掴みたいのは、
その式がどのような風景を記述し、
それぞれの項が、全体の中でどのように関係しているのかという構造です。



そのことを考えるとき、

ケインズが紹介しているニュートンの逸話は、

理解のための補助線になるのかもしれません。


 
それから、彼はすぐれた数学の専門家であったから、説明のためには望むとおりの表現をそれに与えることができたのであるが、しかしすぐれて非凡であったのは、彼の直観であった。──「彼は推測がきわめて巧みであったから、」とド・モルガンはいった、「おそらく彼がどうにかして証明することができた以上のことを知っていたようにおもわれる。」
証明はそれにはそれとしての価値があるとしても、すでに述べたとおり、あとから仕上げられたものであった。
──つまり、それは発見の手段ではなかったのである。彼が天体運動のもっとも基本的な発見の一つをハレーに知らせたときの話がある。「なるほど、」とハレーは答えた、「しかしどうしてそれがわかりますか。あなたはそれを証明したのですか。」ニュートンはびっくりした──「なに、そんなことはもう何年も前からわかっているのです」と彼は答えた、「二、三日待って下されば、きっとその証明を見つけますよ。」──やがて彼はいったとおりにしたのであった。
(J.M.ケインズ『人物評伝 pp.317-318 』岩波書店)

この意味で証明は、

すでに観えていた風景を、

他者も辿れる経路として記述し直す作業なのかもしれません。(大前研一さん逸話も思い出します)

そのように考えると、

この感触はプラトンのいう洞窟の比喩や、

イデアとは脳内に形成されたシナプスである、

という話にも接続されるように感じます。
(アーユルヴェーダのドーシャなども?)


 
ネズミにとって外界のランダム性に満ちた事象を、自分が歩けるルートにフォーカスして、脳内に写像しているということです。そしてそれが時間経過とともに観測可能だった、と(利根川先生のチームには)。(略)
イデア界とはニューロンでありシナプスであるということです。(略)

そして魔術と科学が共有しているあの隠れた信念も、、、またイデアであり、シナプスと言えます。宇宙の原理もまたそうです。
 
科学と魔術とは、通常の現実が本当の現実ではない、日常の見かけの後ろにより基本的な何かが潜んでいるという信念を共有しています。どちらも、隠れた秘密の知識の基本的な重要性に関する信頼を共有しています。(チャイティン『知の限界』 p.129)
 
とは言え、人間が勝手に決めたルールではありません。ネズミがその写像を外界に依存するように、シナプスの絵もまた外界に依存します。

その世界の風景は、

適切な解説がない限り観えてこないものなのでしょう。
 
この公開鍵はおそらくは別な秘密鍵が無いと読めない情報はたくさんあるのでしょうが、通常の暗号化の意味での公開鍵とは違い、公開鍵だけでも圧倒的な意味があります。(略)
何が言いたいかと言うと、適切な解説が無いと理解できないことはたくさんあるよね、ということです。もちろん生成AIは役に立つでしょう。ただ、生成AIはしょっちゅう嘘を吐きます。だからこそ、きちんと原典に当たるべきです。LLMというのは専門家だけではなく普通の人が書いた文章から学んでいるわけですから、間違うのは仕方ないのです。そこに抽象度が無いからです(だからモナ・リザだったわけです)。

それは、

顕教の公開鍵と
密教の秘密鍵ということ。



 
密教というのは、跳躍であるというのはT理論の1つです。顕教が比較的にコツコツと積み上げていくのに対して、密教というのは顕教で積み上げた先に跳躍します。ただその跳躍した先が本当に密教的空間なのかは、そこから顕教空間が果たして本当に包摂できるか否かで真価を問われます。

そして、

それは新しい眼差しの獲得でもありました。

新しい情報が付け加えられたというより、
それまでバラバラだったものが結びつき、
同じ世界が、一つの整合的な全体として、
観えるようになったということでもあります。


 
それは──
とても密教的なもので、
表の顕教の世界からは理解することは難しいのかもしれません。

裏の密教からみれば、
表の顕教は整合的にみえる。
けど、表から裏は決してみることができないものであるように。

T理論もそうでした。

情報空間には階層性があり、
その抽象度の階層性において──
(抽象度の階層性は包摂半順序束で解説される水戸納豆のような構造)

上から下は“整合的(オーダー)”に観え、
下から上は“ランダム”に観える。
(ゆえに観えない、存在しないのと同じ)

これは、
新しい眼差しを獲得しない限りは、
目の前にあっても観えず、
観えないために存在しない、
ということに繋がってくることです。

その意味では、

新しい眼差しを獲得するために必要なのは、

必ずしも大量の情報ではなく、

むしろ──
大量の言葉を並べることよりも、

内部の認知構造を組み替えるような、

抽象度の高い少数の情報が重要になることがあります。

それは、
膨大なデータを必要とするLLMに対して、
限られた一次言語データから言語構造を獲得していくことにも重なります。

 
その言語獲得を考える上では、環境からの一次言語データはあまりに足りません。これを「刺激の欠乏(poverty of the stimulus)」と言います。

そういう世界の観え方は、

「隠された真実」の話でもあるのかもしれません。


 
「賛成する人のほとんどいない、大切な真実とは?」この逆説的な質問にそのままズバリと答えるのは難しい。そこで、前提から始めてみよう。誰もが賛成することはなんだろう? 「狂気は個人にあっては稀有なものである。だが集団、党派、国家、時代においては通例である」とニーチェは(狂う前に)書いた。誰もが信じる幻想を見つけたら、その後ろに隠れているものがわかる。それが逆説的な真実だ。
(ピーター・ティール『Zero to One 君はゼロから何を生み出せるか 』)

目の前に公開されていても、


それを観るための認知構造がなければ、

存在していないのと同じになるということ。

反対にいえば、
式が描いている全体の構造が観えるようになれば、
公開鍵として目の前にあった数式が、
立体的なものとして立ち現れてくるのだと思います。



そういう風景が観えるようになったとき、
僕たちが生きている現実もまた、
以前と同じものではなくなるのかもしれません。

 

私は「情報を学ぶ」ことと「知識を身につける」ことの違いを思い知った。生きた人間の解剖は、献体で学ぶ解剖とはまったくの別物だった。事態は完全に私の手に負えない状況になっていたが、いま、この場に頼れる人はいない。なんとか自分で切り抜けるしかなかった。私は単独で手術に臨んでおり、その成否に人ひとりの命がかかっていた。
(ロジャー・ニーボン『EXPERT(エキスパート) 一流はいかにして一流になったのか?』)


ではでは、今回はこの辺で。

また次回の記事でお会いしましょう!

Khronos / The salone|Hiro

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