◆ 「大神神社史」より ~8
【神体山信仰の考古学的背景 7】






こういった記事はいつも数日かけて作っているのですが…

残り1/3ほどは、「大神神社 秋の講社崇敬会大祭」開始前の待ち時間に書いております。

境内に身を置くと、偉大なる大神の御神威の一端を肌で感じられるような気がします。

たった今、勇壮な和太鼓演奏をわずか1m前で堪能したということもあるのかな。

パイプイスに座っているのに心の高ぶりが止まらず、かつ大神からの大きな圧を感じる…。

私が子供の頃の親しみやすいお社から比べると、年々尊大なるお社へとなっているように感じます。

弥栄!弥栄!


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■過去記事
~1 … 【序】

~2 … 神体山信仰の考古学的背景 1
~3 … 神体山信仰の考古学的背景 2
~4 … 神体山信仰の考古学的背景 3

~5 … 神体山信仰の考古学的背景 4

~6 … 神体山信仰の考古学的背景 5

~7 … 神体山信仰の考古学的背景 6

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第二章 三輪と陶邑
(執筆/佐々木幹雄氏)


 三輪山出土須恵器の意味

前回の記事までで、「三輪山祭祀」と河内の陶邑製「須恵器」とは密接に関連するものであると、十分に確証されたかと思われます。

これを踏まえて、それが何を意味するのかについてごく簡単ながら触れられています。執筆者である佐々木幹雄氏も、本来はもっと深く…という思いに反して紙面上の限度の中で…と述べられています。



◎異類神婚譚

もっともらしい名称がありますが…どうにも名称を付けるのがお好きなようで。
要するに定石通りの神と神との婚姻ではなく、蛇だとか鰐だとか丹塗り矢などの異類と、神とが婚姻したということ。

「三輪山」に関わる婚姻でも、これに含まれるかの如く記されています。果たして「異類神婚譚」に含まれるのかどうかの懸念はありますが、進めていきます。



◎「三輪山」の神婚譚

図1、図2、図3と大仰に示されています。逆に図を用いたのなら、説明文などは不要かと…。夫(神)は大物主神、父(首長)は陶津耳命、妻(巫女)は活玉依姫、子(神の子)は大田田根子。そしてその子孫は三輪君となっていくと。



なお大物主神を奉斎した集団については、「三輪山麓集団」と甚だ抽象的なものに留まっています。本書が発行された昭和五十年であると、このようにならざるを得ないかと。

既に我々は大物主神を奉斎した集団が、どのような集団であったのかを探る大きな手懸かりを得ています。

昭和五十二年から唐古・鍵遺跡の発掘調査が再開されたのです。他にも各地で多くの発掘成果が上がりました。
これらの成果と、記紀を中心とした各種文献等を組み合わせていくと自ずから答えが見えます。「磯城県主」です。

「磯城県主」は神武東征に於いての活躍が記される、弟磯城(オトシキ)を祖とする氏族。この「弟磯城」は長髄彦(=建御名方命)またはその近親者と言えるでしょう。そして大物主神の正体は事代主神でしょう。

これまで当ブログ内では確信めいた裏付けが取れなかったため、沈黙を貫いてきました。

ここで一気に開放することにしました。

「三輪山」の大物主神は事代主神。



◎三輪の神と酒

三輪の神と言えばとかく酒。今でも大神神社には多くの御酒が供えられています。私も今西酒造さんの「三諸杉」を何度も供えてきました。

崇神紀の八年四月条に、高橋邑の活日(イクヒ)が大神の掌酒(さかひと)となったことが記されます。また同年十二月条に、大田田根子が三輪の神を祀ったことが記された後に続き、以下の歌が記載されています。

━━此の神酒(みき)は 我が神酒ならず 倭成す 大物主の 醸みし神酒 幾久 幾久━━

━━味酒(うまざけ) 三輪の殿の 朝門(あさと)にも 出でて行かな 三輪の殿門(とのと)を━━

━━味酒(うまざけ) 三輪の殿の 朝門(あさと)にも 押し開かね 三輪の殿門(とのと)を━━

これら三首の歌は単なる歓酒歌ではなく、「三輪の神を言寿ぐ(ことほぐ)歌」と言えよう、としています。

2つ目、3つ目の歌では「味酒」が「三輪」の枕詞として使われています。そして1つ目の歌で三輪の神に酒造的属性のあることが明確であると。ま…解説せずとも分かることですが。
この三首の歌そのものを考えておきたいところですが、本題から逸れるため置いておきましょう。



文献上では三輪の神が酒と関わるのは、これが最も古いもの。編纂開始から成立時を考えると、遡られるのは7~8世紀頃まで。


大正七年に「三輪町大字馬場山の神」にて、山の神遺跡が発見されました。「三輪山」裾に近いところ、狹井坐大神荒魂神社から北東200mほど。


そちらでは巨大な磐座とともに土製模造品が出土。本格調査開始が長引く間にほとんど持ち去られたようですが、幾分かは残ったとのこと。


出土品のうち「堅臼・堅杵・匏(ひさご)・案(つくえ)・杓・箕」が、「延喜神祇式」に記される四時祭等の祭、神祇官から奉られる醸酒用具と一致します。
この祭祀遺跡が5世紀代後半末頃まで遡りうるとされることから、それ以前から三輪の酒造神的性格があったことが窺えます。

「三輪山」の山の神遺跡




◎三輪の神の酒造的性格

表題に関わることが「万葉集」に歌われています。

━━哭澤之(なきさはの) 神社尓三輪須恵(もりにみはすゑ) 雖禱祈(いのれども) 我王者(わがおほきみは) 高日所知奴(たかひしらしぬ)━━(巻二第二〇二番)

━━五十串立(いぐしたて) 神酒座奉(みはすゑまつる) 神主部之(はふりべが) 雲聚玉蔭(うずのたまかげ) 見者乏文(みればともしも)━━(巻十三第二三三九番)

この二首に歌われる「三輪須恵」「神酒座」はともに「ミハスヱ(ミワスエ)」と読まれます。この解釈については古来より2通り。

一つ目は「液体物の酒を指す」という解釈。酒の古語は「ミワ」とされます。
二つ目は「酒を入れる器物(壺)を指す」という解釈。「スエ」を「据え」と解して地面に酒の入った壺を据えるということ。

始めは液体物の酒を指した言葉が、後にそれを入れる容器へも転用されるに至ったものではないかと。

酒造には「甕」が必要、貯蔵・供膳には「壺」が必要。従来の土師器は水はけが良すぎてこれらには向かない、一方で須恵器は器面の緻密さから格好の容器であったということを既に記しました。

ところで、大物主神の正式名は「大物主櫛甕玉
命」。この「甕(みか)」は「かめ」とも読みます。この神名は酒に関わることを由来していると考えています。他にこういった説を出されているのを聞いたことはないのですが…。

大神神社の祈祷殿の軒下に吊るされる「杉玉」。江戸時代にこの慣習が全国の酒造会社へ伝わったとされます。




◎三輪山麓集団と陶邑集団

本書に於いてはこのように分けられ、陶邑集団が須恵器を、三輪山麓集団へ積極的に提出、供給したと書かれています。

ところが上述のように、唐古・鍵遺跡の考古学分野の成果から是正を施さねばなりません。

先ず三輪山麓集団と陶邑集団とを分ける必要はなく、まったくの同族であるということ。

次いでその主体は長髄彦神を祖とする磯城県主であり、真西に位置する唐古・鍵遺跡を中心にして「三輪山」を祭祀する氏族であったということ。その「三輪山」には長髄彦神の父または兄と考えられる事代主神が鎮まったということ。

さらに崇神天皇から始まる「三輪王朝」により滅ぼされ、追い出され四散していたということ。その結果、怒った大物主神(事代主神)が崇神天皇を祟り、畏れた崇神天皇が慌てて四散し行方不明となっていた嫡流の大田田根子を探し出して、「三輪山」の斎主としたということ。これで何とか大物主神の祟りは収まりました。

なお磯城県主は欠史八代と言われる各天皇に、次々と后妃を出した最高級の氏族。

以上がこれまで沈黙を貫いてきた私自身の結論です。以降はこの考えを解放し、順次過去の記事に於いても改定していきます。

四散していた事代主神、長髄彦神の末裔の一部、おそらく本宗家は、河内の陶邑でひっそりとかつしたたかに須恵器製作に励んでいたことでしょう。
大田田根子が「三輪山」の斎主となって以降、ヤマト王権内では「三輪君」として活躍。他の子孫たちも各国の国造となり活躍しています。


◎長髄彦神の出自

本書に於いては陶邑集団を渡来系集団としています。紀の雄略天皇十四年の記事が上げられています。
━━三月、臣連に命じて呉の使者を迎え、檜隈野(現在の奈良県高市郡明日香村栗原)に安置した。よって地名を栗原という。衣縫兄媛(キヌヌイノエヒメ)を大三輪神に奉った━━(大意)

これは呉から渡来した技術者集団を衣縫部とし、娘を大物主神に奉ったということ。これを以て渡来技術と三輪に関わりを見出し、また渡来技術者集団である陶邑集団による三輪の神祭祀としています。

また紀の皇極天皇二年に、百済太子余豊が蜜蜂房4枚を「三輪山」に放ったという記事も見えます。これも渡来系技術集団と「三輪山」とを結び付ける傍証の一つに。

ところが長髄彦神は大和の在地豪族であり、渡来系ではない。事代主神にしても長髄彦神にしても、元は出雲から移遷してきた部族であると考えられます。

長髄彦神は龍蛇神として祀られることが多いのですが、これは出雲の神の特長でも。神名はインド神話に登場する「ナーガ」という蛇神に由来するものでしょう。事代主神も出雲から移遷してきたというのは、記紀神話からも得られます。

長髄彦の後裔である部族の一つは、河内の「陶邑」で渡来系技術集団を使って須恵器を製作していたことと考えます。





今回はここまで。

今回を以て第2章を終え、次回より第3章へと進みます。


*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。