◆ 火吹く人たちの神 ~29






入手したい書があり、
楽天ブックスで購入したのですが…

あともう一冊買えば送料無料になる…

そこで選んだのが
真弓常忠氏の「古代の鉄と神々」。

(もう一冊、桐村英一郎氏の書も追加した)

15~6年ぶりくらいかな?
懐かしいな…と。

(購入したのは2018年の新版本)



さて…

買ぅたはええけど…どないすんねん(笑)
思いっきし「鉄」かぶりやんか。

この連載記事が終わったら
真弓常忠氏の連載始める?

…2年後かな?



*記事内に現在は差別用語となる言葉を含みますが、本書原文を尊重し敢えてそのまま使用します。


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過去記事一覧

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第一部 青銅の神々
第三章 最後のヤマトタケル



 水銀を採取する人びと

冒頭に「ホムツワケは火持別(ホモツワケ)、あるいは火貴別(ホムツワケ)で、火中出生の神であり、そのホムツワケにちなんで品遅部がもうけられたことは先にのべたが…」

いや!聞いてない!
「火中出生の…」以降は確かに聞いたが、「火持別」「火貴別」はいくら前の頁を繰っても現れない。やはり初出。何よりも先ずこれを消化せねばならん!



◎「ホムツワケ」の意味
「ホムツワケ」を分解することから始めてみます。「ホム」は「誉む」、「ツ」は助詞「の」、「ワケ」は尊称。或いは「ホ」は「火」か?「ムツ」を「ムチ」として尊称と捉えることもできるかと。

さらに「ホム」をラテン語「ホムクルス」(=小人)が約まったものという考えもできるかと思います。第17回の記事にて小人と鍛冶について書きました。こちらも可能性はありそうです。

これとは別に「ホムヂ」つまり「本地」と捉えることもできるかと考えます。仏教用語で仏などの本来の姿などという意味とされます。ところが「酒呑童子」などにも記され、これは「本性・本心」などの意味も。そもそも仏教などという宗教者が好んで用いたのが、いつの間にか仏教用語となったのかもしれません。「品遅部(ほむちべ)」がそれに近い意味を有していたのかもしれませんし。

他にもいくつかの捉え方があるでしょうか。言語学者でもないことですし、おそらくここで結論は出そうにもありません。

記紀神話には神名由来として、母である狭穂姫が火の中で生んだからホムツワケという名にしたとあります。

ここでは谷川健一氏のいう、「火持別」「火貴別」の可能性があるということで進めていきます。



[大和国高市郡] 鷺栖神社
鷺(白鳥)を追いかける神話が生まれたとされる「鷺栖池」伝承地が、かつて境内にあったという。



◎「芦田郷」と「品治郷」

諸国の「芦田郷」は「品治郷(ほむちごう)」と隣り合わせにあることが不思議に多いとしています。類例が挙げられています。


*大和国葛下郡「品治郷」

現在の王寺駅南側の市街地。王寺町王寺1~3丁目辺りとされるが、4丁目に「芦田池」がある。


*備後国芦田郡「芦田郷」

品治郡「品治郷」と隣接。




◎「三重」と「品遅部」「水沢」「三沢」

「播磨国風土記」の賀毛郡「三重里」の条に以下の記載があるようです。

━━三重といふ所以は、昔、ひとりの女ありき。筠(たかむな、=タケノコ)を抜きて、布もてつつみ食ふに、三重に居て起立つこと能はざりき(あたはざりき)。故、三重といふ━━


足を三重に折り曲げて座り込み、立つことができないという説話。ヤマトタケルの足が「三重の勾(まがり)の如くして…」とそっくり。また鉱毒にあたったかの如くの描写。この隣りに「品遅部」の村が並んでいるとのこと。


「出雲国風土記」に記載される仁多郡の郡司兼主帳は「品治部」であるとのこと。つまり仁多郡の草稿は「品治部」の某が行ったと記しています。


前回の記事にて、啞であるアジスキタカヒコが最後に仁多郡「三沢」に鎮まったという説話を載せました。


アジスキタカヒコについては、あらためて以下のように記しています。

━━ぴかぴかした金属を思わせる美麗な神であり、「み谷二(ふた)渡らす」と形容された。これは雷神の雷光を想像させもするが、また野だたらの炎が谷の夜空をかがやかす光景とも受けとれる。しかしこの神は鉱毒によって、人びとを啞にするおそるべき神でもあった。こうした神の属性はやがて、アジスキタカヒコ自身が啞の神であるという風に説話の内容が変容していったと思われる━━


「み谷二渡らす」の解釈は古来よりいろいろなされています。ただし国文学の観点からは重要なことであろうとも、歴史の観点からはさほど重要な事柄ではないと。そもそも神話であり、しかも比喩表現であるため。


もし焦点があるとすればただ一点のみ。本当に雷光なのか、野だたらの炎を表現したものなのか。ここは谷川健一氏の鮮やかなる名答としておきましょうか。


この出雲国仁多郡「三沢」と伊勢国三重郡「水沢(すいざわ)」との関連に言及しています。

出雲の「三沢」がかつて「水沢(みさわ)」で、伊勢の「水沢」がかつて「水沢(みさわ)」だったのではないかと。両地名が出てきた時点で察しはつくのですが。


「水」と「鉄」との関わりについては、多くの事象や事項から関連を想定しています。


灼熱の鉄を一気に冷やす「鍛冶水」というものがあり、職人は御神水が如く扱うようです。

これだけに留まらず、弥生時代には湖沼の葦等の根に溜まるものが、鉄の原料として使われていたとするのが、プロローグでも登場して頂いた真弓常忠氏。個人的には勝手に「湖沼鉄」と呼んでおり、時々記事内にうっかり使ってしまっているものもありますが。早いうちに読み直さねばならないですね。


何かと「水」と関わるのが産鉄氏族である息長氏。息長水依姫という神名の日子坐王の妃(子は丹波道主命)もいたりします。


[丹後国加佐郡] 彌加宜神社の「杜清水」。

「森」「水」「鉄」を祀る社。息長水依姫の子、丹波道主命の創建と伝わる。




◎伊勢の品遅部の祖 曙立王

どういった神なのか不勉強ながらも、「鍛冶製鉄神」というイメージしか持ち得ていないのは、谷川健一氏のせいでしょうか。


曙立王(アケタツノオオキミ)と言えば伊勢国多気郡の佐那神社

他にもどこかの神社で登場したという記憶はあるものの、はて…どこの神社やったかな?といった具合。伊勢国?伊賀国?近江国?おそらくその辺りの神社かと…。本気で探せば見つかるでしょうし、「品遅部」の広がりの一つとして記事に添えられるのでしょうが…。


記の開化天皇の条に、「曙立王は伊勢の品遅部の君、伊勢の佐那造の祖」と記されます。「サナ」と言えば「銅鐸」でしょう!


「古語拾遺」の記述が引用されています。

━━天目一箇神をして、くさぐさの刀・斧、および鉄鐸 [古語、佐那伎] を作らしむ━━

つまり「鉄鐸」は古くは「さなぎ」と呼んでいたことが分かりますが、これは既に「銅鐸」が何なのか忘れ去られた時代のこと。「さなぎ」を「鉄鐸」の意に解したと思われるが、もともと「銅鐸」も「さなぎ」と呼んでいたのであろうとしています。


伊賀の「佐那具」、三河の「猿投(さなげ)」、大和の「散𠮷(さぬき)」、遠江の「佐鳴湖(さなきこ)」からも銅鐸が出土している事例を挙げています。


この伊勢国多気郡「佐那」の地。南東に隣接するのは度会郡「外城田(ときだ)」。そちらは五百木部浄人の家があったという場所。第8回の記事にて記しました。もちろん伊福部氏と有縁の地。


また北西2kmほどには穴師神社跡があり、旧穴師寺(現在は金剛座寺)という仏教施設の境内。


西方には飯高郡の丹生神社が鎮座。大仏造立の際に必要な「丹砂(水銀)」を、当地からほとんど賄ったとされることで知られます。


[伊勢国飯高郡] 丹生神社




ところで…本書からは少々外れて佐那神社についてを。


主祭神は天手力男神と曙立王の二柱が祀られています。天手力男神は紀伊国造家(大伴氏・久米氏と同族、忌部氏と同祖)が奉斎した神。先ずはこのことを念頭に置いておき別の話題へ。


古代を探る上で欠かせない氏族の一つに、船木氏があります。主な活躍場面は倭姫命巡幸、神功皇后の様々な活躍、継体天皇との関連といった具合。いずれも船木氏が有した造船技術が無ければ為し得ないことでした。


船木氏の拠点は近江国坂田郡とも、伊勢国多気郡~度会郡、朝明郡とも。


おそらく当初は近江国坂田郡に居て、倭姫命が巡幸した際に出会い、伊勢国へ向かう際に下支えをしたのではないかと考えています。ただし出会ったのは伊賀国、或いはもう少し遡り大和の宇陀の可能性もあるかと。それまで深い山中を巡っていた倭姫命が、伊賀国から急に河川沿いの平地へとフィールドを移しているから。


その後、宗家の拠点は朝明郡や、美濃国へ、そして最後には播磨国へと移ったのではないかと考えます。


造船には「朱塗り」が施され、多量の「丹砂」が必要とされました。紀伊国造家と親密となるのは当然の流れ。

一方で資料に乏しく謎の氏族ながらも、紀伊国造家との繋がりの深いとみられる山直氏。山林を管理していたものとみられますが、船木氏の拠点と山直氏の拠点が多くの地域で重なります。造船を職掌としていた船木氏が深い山中にも拠点を有したのは、山直氏との接点があったからかもしれません。


本書では船木氏が取り上げられることが多くはないものの、「丹砂」(水銀)を採鉱する重要な一氏族としてみておかねばなるまいと思っています。



[伊勢国多気郡] 佐那神社




今回はここまで。

少々脱線をして紀氏や船木氏といったところに触れてみました。

ずいぶん長らく「阿蘇ピンク石」製石棺の企画物記事を放置したままなので、ここで少々触れてみた次第。

そちらも再開せねばならないですね…
年内には何とか…。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。