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ここでは谷川健一氏のいう、「火持別」「火貴別」の可能性があるということで進めていきます。
◎「芦田郷」と「品治郷」
諸国の「芦田郷」は「品治郷(ほむちごう)」と隣り合わせにあることが不思議に多いとしています。類例が挙げられています。
*大和国葛下郡「品治郷」
現在の王寺駅南側の市街地。王寺町王寺1~3丁目辺りとされるが、4丁目に「芦田池」がある。
*備後国芦田郡「芦田郷」
品治郡「品治郷」と隣接。
◎「三重」と「品遅部」「水沢」「三沢」
「播磨国風土記」の賀毛郡「三重里」の条に以下の記載があるようです。
━━三重といふ所以は、昔、ひとりの女ありき。筠(たかむな、=タケノコ)を抜きて、布もてつつみ食ふに、三重に居て起立つこと能はざりき(あたはざりき)。故、三重といふ━━
足を三重に折り曲げて座り込み、立つことができないという説話。ヤマトタケルの足が「三重の勾(まがり)の如くして…」とそっくり。また鉱毒にあたったかの如くの描写。この隣りに「品遅部」の村が並んでいるとのこと。
「出雲国風土記」に記載される仁多郡の郡司兼主帳は「品治部」であるとのこと。つまり仁多郡の草稿は「品治部」の某が行ったと記しています。
前回の記事にて、啞であるアジスキタカヒコが最後に仁多郡「三沢」に鎮まったという説話を載せました。
アジスキタカヒコについては、あらためて以下のように記しています。
━━ぴかぴかした金属を思わせる美麗な神であり、「み谷二(ふた)渡らす」と形容された。これは雷神の雷光を想像させもするが、また野だたらの炎が谷の夜空をかがやかす光景とも受けとれる。しかしこの神は鉱毒によって、人びとを啞にするおそるべき神でもあった。こうした神の属性はやがて、アジスキタカヒコ自身が啞の神であるという風に説話の内容が変容していったと思われる━━
「み谷二渡らす」の解釈は古来よりいろいろなされています。ただし国文学の観点からは重要なことであろうとも、歴史の観点からはさほど重要な事柄ではないと。そもそも神話であり、しかも比喩表現であるため。
もし焦点があるとすればただ一点のみ。本当に雷光なのか、野だたらの炎を表現したものなのか。ここは谷川健一氏の鮮やかなる名答としておきましょうか。
この出雲国仁多郡「三沢」と伊勢国三重郡「水沢(すいざわ)」との関連に言及しています。
出雲の「三沢」がかつて「水沢(みさわ)」で、伊勢の「水沢」がかつて「水沢(みさわ)」だったのではないかと。両地名が出てきた時点で察しはつくのですが。
「水」と「鉄」との関わりについては、多くの事象や事項から関連を想定しています。
灼熱の鉄を一気に冷やす「鍛冶水」というものがあり、職人は御神水が如く扱うようです。
これだけに留まらず、弥生時代には湖沼の葦等の根に溜まるものが、鉄の原料として使われていたとするのが、プロローグでも登場して頂いた真弓常忠氏。個人的には勝手に「湖沼鉄」と呼んでおり、時々記事内にうっかり使ってしまっているものもありますが。早いうちに読み直さねばならないですね。
何かと「水」と関わるのが産鉄氏族である息長氏。息長水依姫という神名の日子坐王の妃(子は丹波道主命)もいたりします。
「森」「水」「鉄」を祀る社。息長水依姫の子、丹波道主命の創建と伝わる。
◎伊勢の品遅部の祖 曙立王
どういった神なのか不勉強ながらも、「鍛冶製鉄神」というイメージしか持ち得ていないのは、谷川健一氏のせいでしょうか。
曙立王(アケタツノオオキミ)と言えば伊勢国多気郡の佐那神社。
他にもどこかの神社で登場したという記憶はあるものの、はて…どこの神社やったかな?といった具合。伊勢国?伊賀国?近江国?おそらくその辺りの神社かと…。本気で探せば見つかるでしょうし、「品遅部」の広がりの一つとして記事に添えられるのでしょうが…。
記の開化天皇の条に、「曙立王は伊勢の品遅部の君、伊勢の佐那造の祖」と記されます。「サナ」と言えば「銅鐸」でしょう!
「古語拾遺」の記述が引用されています。
━━天目一箇神をして、くさぐさの刀・斧、および鉄鐸 [古語、佐那伎] を作らしむ━━
つまり「鉄鐸」は古くは「さなぎ」と呼んでいたことが分かりますが、これは既に「銅鐸」が何なのか忘れ去られた時代のこと。「さなぎ」を「鉄鐸」の意に解したと思われるが、もともと「銅鐸」も「さなぎ」と呼んでいたのであろうとしています。
伊賀の「佐那具」、三河の「猿投(さなげ)」、大和の「散𠮷(さぬき)」、遠江の「佐鳴湖(さなきこ)」からも銅鐸が出土している事例を挙げています。
この伊勢国多気郡「佐那」の地。南東に隣接するのは度会郡「外城田(ときだ)」。そちらは五百木部浄人の家があったという場所。第8回の記事にて記しました。もちろん伊福部氏と有縁の地。
また北西2kmほどには穴師神社跡があり、旧穴師寺(現在は金剛座寺)という仏教施設の境内。
西方には飯高郡の丹生神社が鎮座。大仏造立の際に必要な「丹砂(水銀)」を、当地からほとんど賄ったとされることで知られます。
ところで…本書からは少々外れて佐那神社についてを。
主祭神は天手力男神と曙立王の二柱が祀られています。天手力男神は紀伊国造家(大伴氏・久米氏と同族、忌部氏と同祖)が奉斎した神。先ずはこのことを念頭に置いておき別の話題へ。
古代を探る上で欠かせない氏族の一つに、船木氏があります。主な活躍場面は倭姫命巡幸、神功皇后の様々な活躍、継体天皇との関連といった具合。いずれも船木氏が有した造船技術が無ければ為し得ないことでした。
船木氏の拠点は近江国坂田郡とも、伊勢国多気郡~度会郡、朝明郡とも。
おそらく当初は近江国坂田郡に居て、倭姫命が巡幸した際に出会い、伊勢国へ向かう際に下支えをしたのではないかと考えています。ただし出会ったのは伊賀国、或いはもう少し遡り大和の宇陀の可能性もあるかと。それまで深い山中を巡っていた倭姫命が、伊賀国から急に河川沿いの平地へとフィールドを移しているから。
その後、宗家の拠点は朝明郡や、美濃国へ、そして最後には播磨国へと移ったのではないかと考えます。
造船には「朱塗り」が施され、多量の「丹砂」が必要とされました。紀伊国造家と親密となるのは当然の流れ。
一方で資料に乏しく謎の氏族ながらも、紀伊国造家との繋がりの深いとみられる山直氏。山林を管理していたものとみられますが、船木氏の拠点と山直氏の拠点が多くの地域で重なります。造船を職掌としていた船木氏が深い山中にも拠点を有したのは、山直氏との接点があったからかもしれません。
本書では船木氏が取り上げられることが多くはないものの、「丹砂」(水銀)を採鉱する重要な一氏族としてみておかねばなるまいと思っています。
*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。