狭岡神社(狭穂姫の禊場伝承地)





■表記
紀 … 狭穂姫(狹穗姫)
記 … 沙本毘売
他に佐波遅比売


■概要
第11代垂仁天皇の最初の皇后。その垂仁天皇を暗殺しようとしたことでも知られる神。

◎記の垂仁天皇の条に以下の記述があります。年代は記されていません(紀には類似内容が垂仁天皇四~五年にかけて記されます)。

━━沙本毘売が垂仁天皇の皇后となった時、同母兄の沙本毘古王は妹の沙本毘売に、「夫(垂仁天皇)と私とどちらを愛しているか」と尋ねます。妹は「兄を愛しています」と。すると兄は「愛する二人で天下を取ろう!」と言って小刀を渡し、天皇が寝ているところを刺し殺すように伝えます。
ところが沙本毘売は刺すことができず、ただちに沙本毘古王追討軍が差し向けられます。王は「稲城」で抵抗するも間もなく討たれます。その時、毘売は身籠っていました。天皇は毘売を愛していたので生かしたまま連れ戻すように命じるも、毘売は抵抗。毘売は子(ホムチワケ皇子)を産むと「稲城」で自害しました。
その際に自身の後釜として、旦波比古多々須美智宇斯王(丹波道主命)の娘、兄比売と弟比売を推薦します━━


この後にホムチワケ皇子の説話を挟み、
━━美智宇斯王の娘、比婆須比売命、弟比売命、歌凝比売命、円野比売命の四人を妻として迎えました。ところが比婆須比売命、弟比売命は留めたものの、後の二人は容姿が醜く返しました━━と続きます。

比婆須比売命が「兄比売」であることが分かります。そして沙本毘売の後は比婆須比売命が皇后となりました。


◎この説話に関しては、非常によくできたストーリーであるため、創作話とみる向きが多くあります。
通常なら自身を殺めようとし、刃物を向けていたような者を生かしておこうとすることなどあり得るのでしょうか。また生かしておこうとした理由が、まだ愛していたからと…
心理学には疎いですが、ちょっとムリがあるのではないかと思います。

また第10代崇神天皇が政権交代を成立させたものとみて、後を継いだ垂仁天皇の時代に神武天皇時代からの勢力が再び政権奪取に打って出たという考え方も根強くあります。
これはつまり新ヤマト王権と、沙本毘古王を長とする旧ヤマト王権との政権争いであるというもの。

◎沙本毘売が追っ手から人目を避けるために、自身の黒髪を切り埋めたという伝承が、奈良市奈良阪町の「黒髪山」にあります。こちらは沙本毘古王が抵抗した、さらに沙本毘売が自害したという「稲城」の地でも。
(参照 → 黒髪山稲荷神社)

◎墓所は垂仁天皇の先代の崇神天皇や次代の景行天皇が宮を営んだ、城上郡「纏向(まきむく)」に築かれる茅原大墓古墳との伝承あり。また狭穂姫縁の地である添上郡「奈良市法蓮町」の狭岡神社にも、かつては塚が存在し姫のものと伝わっていたようです。


■系譜
配偶者 … 垂仁天皇
父 … 彦坐王

母 … 沙本之大闇見戸売(サホノオオクラミトメ)
兄弟 … 沙本毘古王、袁邪本王(オザホノミコ)、室毘古王



■祀られる神社、関連社等
[近江国伊香郡] 佐波加刀神社

[大和国添上郡] 狭岡神社

[大和国添上郡] 黒髪山稲荷神社
[大和国添上郡] 常陸神社(奈良市法蓮) … 境内社にて祀られる

[大和国城上郡] 茅原大墓古墳(墓所と伝承有り)