佐保姫神社(天棚織姫神社)・桜七所明神社


大和国添上郡
奈良市川上町
(詳細住所不明、民家「川上町595-10」の東裏)
(アクセスは下部写真参照)
(車通行不可、近隣コインP等利用)

■祭神
(不明)


悲劇の皇后、「狹穗姫(狭穂姫)」を祀る社。「佐保川」南岸沿い、「京街道(奈良街道)」の側。「佐保川」に「京街道」の橋が架かる近くの、住宅密集地内に窮屈に鎮座しています。社名は「佐保姫」となっているものの、春の女神とも称される佐保姫とは別神。
◎狹穗姫とは垂仁天皇皇后。実兄である狹穗彦と禁断の愛に目覚め、垂仁天皇殺害を企てるも露呈、「黒髪山」に自身の髪を埋め自害するという物語が記に描かれています(→ 狹穗姫・狹穗彦 禁断ロマンスと「黒髪山」の記事参照)。
◎原初は「多聞山」に鎮座していたとのこと。現在の若草中学校の辺り、当地より西方300mほど。「黒髪山」は当地より北東1km辺り、狹穗姫ゆかりの黒髪山稲荷神社が鎮座します。
◎「奈良曝」という貞享四年(1687年)の書には、「佐保姫神社 西包永町北側西外れ藪の内にあり 此の神 本は眉間寺山の傍らに坐しまして大社なりしを 松永弾正多聞の城をかまへける時此のミヤを打破り棄てしを 町人かく祀ひきぬ」とあります。
◎「西包永町(にしかねながちょう)」とは「多聞山」南麓、ここに「佐保姫神社」という社があったと記されます。「眉間寺山」とは「多聞山」の一角、標高110mほどの山で、松永弾正により「多聞城(平山城)」が築かれたとされる山。「西包永町」のすぐ北側。その推定地とされるのが、現在の佐保川天満宮(未参拝)。
◎以上から推定されるのは、かつて「多聞山」に鎮座していた「佐保姫神社」が「西包永町」の佐保川天満宮の地に遷座。これは多聞城を築くため。さらに遷座されたのが当社であろうと。
◎ところが明治の合祀政策により、手向山八幡宮(後ほど記事UPします)の境内社 松童神社(四社合殿)に、近隣11社とともに合祀されたと伝わります。当社はおそらく神霊が残る当地に再興されたもののように思います。
◎天棚織姫ということに関しては不明。この辺りは歴史ある「奈良晒(さらし)」の産地であり、狹穗姫と結びつけられたのかもしれません。桜七所明神社については一切が不明。「佐保姫」と混同されたことによるものでしょうか。

◎関連史跡・記事



「京街道」(県道754号線)の「今在家」交差点の南20mほどに西側集落に入る路地があります。

50mほど歩くと境内へ。地蔵の覆屋の向こうに奥まっています。