鷺栖神社
(さぎすじんじゃ)


大和国高市郡
奈良県橿原市四分町305-2
(境内に駐車可)

■延喜式神名帳
鷺栖神社 靫 の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
天児屋根命
誉田別命
天照皇大神


「飛鳥川」の畔、「藤原京」の南西隅近くに鎮座する式内比定社。当社については二つの観点から着目されます。
◎一つ目は、記に記される本牟智和気命(ホムチワケノミコト)についての神話に登場する、「鷺栖池」の舞台となった社であるということ。
本牟智和気命は垂仁天皇と沙本毘売命との間に生まれましたが、大人になっても口が聞けなかったとされています(沙本毘古命との兄妹近親相姦により生まれ、アルビノ症であったという説も)。あらゆる策を講じる中で、垂仁天皇の夢に神託があり出雲大社(記事未作成)に向かうこととなります。その際に誓約(うけひ)が行われ、「鷺栖池」に棲む鷺に命令通りに落ちたり飛んだりできれば、その神託が正しいと。結果、その通りになったので出雲へと向かったわけですが、それが当社境内にあったとされています。あくまでも神話であり、紀には記されない説話ですが社名由来となっています。但馬国の久々比神社など、日本海側にいくつかの伝承地はあります。
◎もう一つは、藤原氏(中臣氏)が原郷となる地に天児屋根命を祀った社ではないかというもの。
「和州五郡神社神名帳大略注解」(室町時代)に「鳥形山山尾」にあったと記されています。「鳥形山」の所在については、現在の飛鳥坐神社が鎮座する山のことであるとするのが有力。その南東麓に「鎌足 生誕地」、東麓には「鎌足 産湯の井戸」といった伝承地もあります。ところが「大和志」(1734年)には「四部村」に、「式内調査報告」(1982年)には藤原宮の南方辺りにあったとしています。そして飛鳥川はたびたび洪水が起こり、当社も流されたという伝承があること。
これらを総括しつつ想像を逞しくするなら、以下のように考えます。「鳥形山」近辺にあった「鷺栖池」で垂仁天皇の御代に祭祀が行われていた、そこに藤原氏の氏神として被さり天児屋根命が祀られた。これを藤原京造営の際に真南に遷座させた(「藤原京」の守護神という意味合いもあったか)。ところが洪水で流され現社地にて再興させたと。
その「藤原京」のほぼ真南の上飛騨町内に、八幡神社が鎮座します。この場所は「朱雀大路」の終点の場所。当社も「鷺栖八幡神社」と称されていた時代があったようです。この八幡神社が往時の名残ではないでしょうか。この社も式内社 鷺栖神社の論社として挙げられています。

※写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。


この手前は「飛鳥川」。