☆ 松井塚古墳 石棺
河内国石川郡
大阪府南河内郡太子町太子2150
(「太子和みの広場」内、大型P有り)
「太子和みの広場」という、聖徳太子所縁の叡福寺に隣接して設けられた広場(公園)内に移設された古墳石室。
推古天皇陵の北300mほどの民家の井戸掘削中に石室石棺を発見、石棺のみを移転したようです。墳丘は既に失われているとのこと。
周辺の古墳を含めて「磯長谷古墳群」と称されます。
石棺は二上山凝灰岩製の刳抜式家形石棺。築造時期は7世紀後半頃に推定。
7世紀後半が正しいとするなら、孝徳天皇による「大化の薄葬令」(大化二年・646年)以後のものであるにもかかわらず、「王以上」の規模。
「大化の薄葬令」では、「王以上」「上臣」「下臣」「大仁・小仁」「大礼~小智」「庶民」と階級に応じて、古墳や埋葬施設の規模、役夫人数と工事日数、殯の期間などに至るまで細かく規定されました。
そして当古墳の埋葬施設の大きさが「王以上」に当たるとのこと。つまり皇族が葬られたということに。
実際は孝徳天皇の墓これに準じておらず、いつから適用されたのかは不明。