☆ 孝徳天皇 大阪磯長陵
(おおさかのしながのみささぎ)



河内国石川郡
大阪府南河内郡太子町大字山田
(アクセスは下部写真参照)
(駐車場は閉じられ利用不可、道の駅「近つ飛鳥の里・太子町」等利用)



第36代孝徳天皇の治定墓。
推古天皇二十一年に敷設された日本最初の官道「竹内街道(大道)」沿いに築かれています。

この辺りは「近つ飛鳥」と称され、「難波宮」から近い方の「飛鳥」という意味。

この地は「磯長谷(しながだに)」とも称され、「飛鳥川」沿いに形成される谷地。一帯はさらに「王陵の谷」とも称され、敏達・用明・推古・孝徳の各天皇陵と聖徳太子の御廟がひしめいています。

孝徳天皇の御代に起こった「乙巳の変」。中大兄皇子と藤原鎌足に操られた政権であったとも。

変後すぐに「難波宮」に遷都されますが、その後皇子は大和へ遷都。そろそろ蘇我氏を滅ぼした罪が水に流されるとでも思ったのでしょうか。それに反対した天皇はそのまま難波に残ります。そこで寂しく薨去したとか。

形状は32mの円墳とされます。「大化の改新」の「薄葬令」により小さめのものとなっています。

他に太子町春日の太平塚古墳を宛てる説もあるようです。

清少納言は「枕草子」で「みささぎは うぐひすののみささぎ…」と歌っていますが、「河内名所図会」では当墓としていますも。


道の駅「近つ飛鳥の里・太子町」等から「竹内街道」を歩きます。

10~15分で到着。

真ん中左の小丘の頂にあります。

5分足らず坂道を登らねばなりません。