☆ 尼ヶ谷古墳
(あまんたにこふん)



河内国石川郡
大阪府南河内郡太子町太子2150
(「太子和みの広場」内、大型P有り)



「太子和みの広場」という、聖徳太子所縁の叡福寺に隣接して設けられた広場(公園)内に移設された古墳石室。

平成十二年の道路敷設工事で発見され、その横穴式石室が移転されたもの。ほとんど削平済みで、石室の基底部のみが残っていたとのこと。

大量の組合式家形石棺片が出土。いずれの資料を管見しても石棺材の産地は記されておらず不明。大量に出土しているので、判明しているように思うのですが。

当地は「王陵の谷」と称され、敏達天皇陵用明天皇陵推古天皇陵孝徳天皇陵、さらに聖徳太子御廟と王陵が密集する地。

「二上山」と「岩橋山」との間の谷筋を縫うように走る「竹内街道」沿い。周辺の古墳を含めて「磯長谷古墳群」と称されます。


同古墳群内には見られない石室形状であり、5基の御陵等に先行して築かれた、6世紀後半の古墳と考えられています。


被葬者は探りようもないですが、この地で…となると、先ずは蘇我氏が浮かびます。

蘇我氏が台頭してきたのは、稲目が活躍した6世紀中頃から。果たしてその時期に蘇我氏が当地に関わっていたのかどうか。本貫地または出身地を大和国高市郡曽我村(氏神は宗我坐宗我都比古神社)、或いは河内国石川郡(氏神は壹須何神社)とみるのかで変わると思います。


薄紅色の丸印が、古墳のあったと思われるおおよその場所。




*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。