須勢理毘賣命の生誕地と伝わる出雲国の岩坪明神。近くには那売佐神社が鎮座。
*画像はGoogleビューよりスクショ



■表記
紀 … (登場無し)
記 … 須勢理毘賣命
「先代旧事本紀」 … 須勢理姫命・須勢理命・須世理姫 等
「出雲国風土記」 … 和加須世理比売命


■概要
須佐之男命の娘で、大国主命の嫡妻。記では大国主命の国作り神話の中で登場します。登場シーンは2箇所。紀には登場せず。「出雲国風土記」には1箇所のみ登場します。

◎記の記述(一つ目)
八十神からの迫害を免れようと「根堅洲国」にやって来た大穴牟遅神(大国主命)が出会ったのは、須佐之男神と娘の須勢理毘賣命。その須勢理毘賣命は大穴牟遅神に一目惚れし、直ぐに結婚。父に紹介したところ、大穴牟遅神はさまざまな試練を与えられます。その都度、須勢理毘賣命はアイテムと策を与え、何とかすべてクリア。須佐之男神は「大国主命」という名を与えて国作りを行い、須勢理毘賣命を正妻として立派な宮殿を建てるよう告げました。

◎記の記述(二つ目)
先に妻としていた八上比売は須勢理毘賣命を畏れ、子の木俣神を木の枝の間に挟み置き、稲羽(因幡)へと帰りました。
また高志国の沼河比売を妻としますが、須勢理毘賣命の嫉妬が激しく、出雲から倭(大和)へ移ろうとします。それを歌にしたところ、須勢理毘賣命は返歌にて和解を示しました。

◎記においては「激情家」「嫉妬深い」として描かれています。これは大穴牟遅神に一目惚れで結婚を迫ったこと、八上比売から畏れられたことや、直接的に「甚だ嫉妬深い」という表記があることから。

◎「出雲国風土記」の「神門郡滑狭郷(なめさごう)」の条に、わずかな記述があります。
━━須佐能袁命の御子、和加須世理比売が坐す社(那売佐神社)がありました。所造天下大神(大国主命)が娶りて通うとき、その社の前に盤石がありました。その上がとても滑らかだったので「滑岩石だ」と詔しました。故に「南佐(なめさ)」と云うのです。[神亀三年に字を滑狭と改む]━━

◎神名の「須勢理(スセリ)」は「自ら進む」といった意味を持つことが考えられます。これは火闌降命(ホスソリノミコト・ホスセリノミコト、火酢芹命・火進命)と共通する神名。自ら進んで大穴牟遅神に結婚を迫ったり、試練に対して積極的に援助をしたりと、神名にそぐう行動が記されます。

◎また「進む」という意味から「すさぶ」という意味に発展させる考えも。そうすると父、須佐之男神の「須佐(スサ)」とも通じ、父の威厳を継承したとも捉えることも可能かと。

◎須勢理毘賣命を巫女(シャーマン)と捉える見方もできようかと考えます。須佐之男神から繰り出される試練に対して、呉公(ムカデ)や蜂を払う「比禮(領巾)」を授けていますが、これは邪を払う呪術用具ともみてとれます。

◎大国主命の妻は記紀において六柱、「出雲国風土記」においては別に三柱、「播磨国風土記」には別に二柱が見えます。その中でなぜ須勢理毘賣命が正妻となったのか、理由は示されていません。

これについてはセオリー通りに考えるのなら、国津神の盟主、須佐之男神の娘であることからになるかと思います。
また須佐之男神は「異界の王」であり、国土開拓に異界の霊力を用いようとしたという説もあるようです。

さらに須佐之男神から与えられる「課題」を克服する上で、須勢理毘賣命の助けを得て乗り越え、また正妻とすることで「真の大国主」に成り得たという考えもできるかと思います。

◎一説に「延喜式」の「六月十二月晦日大祓」の祝詞に、「根国 底国に坐す速佐須良比咩といふ神(祓戸四神の一柱)…」とありますが、須勢理毘賣命と同神と捉えるものもあるようです。また母とされる佐美良比売命(八坂神社による)とする説も。


■系譜
父 … 須佐之男神
母 … 佐美良比売命(八坂神社による)
兄 … 大屋毘古命
子 … (記述無し)


■祀られる神社(参拝済み社のみ)
[丹後国與謝郡] 須代神社
[山城国愛宕郡] 八坂神社 東御座同座
[大和国宇陀郡] 白岩神社(榛原赤埴)

[大和国吉野郡] 大名持神社
[河内国石川郡] 美具久留御魂神社 右殿

[備中国] 備中国総社宮

*配祀・合祀、境内社、その他関連社等
[美濃国] 真木倉神社
[大和国添上郡] 夫婦大國社(春日大社 末社)
[大和国城上郡] 須勢理社(穴師坐兵主神社 境内社)
[大和国宇陀郡] 味坂比賣命神社
[紀伊国牟婁郡] 御戸開神社(大斎原 摂末社合祀別社)
[出雲国] 御向社・大神大后神社(出雲大社 摂社)



杵築大社(出雲大社) 瑞垣内に鎮座、真ん中の棟が須勢理毘賣命を祀る大神大后社(御向社)
*画像はWikiより
*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。