真木倉神社


美濃国牟義郡
岐阜県美濃市御手洗字森切561
(社前道路向かいにP有り)

■祭神
御手洗姫命
[合祀] 味耜高彦根命 天稚彦命 下照姫命 大国主命 須勢理毘売命


「長良川」支流、清流として知られる「板取川」南岸畔に鎮座する社。
◎ご祭神の御手洗姫命とは天稚彦命の娘神。金のたらいに乗って当地へ降臨、社地は居住地であったという伝承も。
◎天稚彦命は記紀には天孫降臨の2番目の神として地上へ遣わされます。ところが大国主命の娘の下照姫と結ばれ、8年間も復命せず。さらに自分が地上の王になろうとして高天原を裏切ります。そこで高天原司令塔 高皇産霊神は糾問するため雉を遣わしますが、天稚彦はこれを矢で射殺。その矢が高天原に届き、地上に投げ返すとその矢に当たり天稚彦は落命。そして喪屋が築かれ、そこに諮問に訪れた阿遅志貴高彦根命がそっくりであったため、天稚彦が生き返ったと人々は口にします。それに怒った阿遅志貴高彦根命はその喪屋を斬り倒した…と。
◎娘神の御手洗姫命は神名から司祭者、つまり巫女であったと想像されます。母の下照姫命が「棚機つ女」であったとも考えられることから、娘も同様に、この「板取川」畔に機屋を構えて籠っていたのでしょうか。
◎境内には巨石が座しており、それが信仰の拠り所であったと思われます。雑草等に覆われ全容は把握できかねるものの、組み上げられた磐座ではなく、巨大露出岩盤かと思われます。「板取川」流域のこの地を居住地(機屋か)として選定した理由の一つかと思われます。
◎当社より南方2kmほどに聳える「天王山(喪山)」には、父神の大矢田神社が鎮座しています(未参拝)。この「天王山」が天稚彦命の喪屋が築かれたという比定地。その南南東3~4km麓の「長良川」畔に母の下照姫命を祀る上神神社(かさがみじんじゃ、未参拝)が鎮座しています。
またいくつかの古墳群がみられ、後裔一族の拠点であったと思われます。
◎当社ご本殿は南向き。これは「板取川」を拝する格好となっているのでしょうか。神名からこの地が禊場であったことは容易に想像されますが、併せて遥拝所であったとも思われます。遥拝先は「天王山」ということになるのでしょうが、ご本殿の向きは逆。
或いは北方の霊峰「高賀山(こうかさん)」を遥拝していたのでしょうか(→ 瀧神社の記事参照)。「高賀山」から当地を挟み「天王山」まではほぼ一直線。関連付けて考えてみたくなるところでもあります。
◎当社の創建年代は不詳。「美濃国神明帳」(10世紀中頃)には記載があるためそれ以前の創建。同じ頃の「神名帳」に記載が無いのは、天稚彦命の娘神を祀るためでしょうか。
古来より「牧谷(まきだに)」八ヶ村の惣社であったと伝わります。「牧谷」は「板取川」ほぼ全流域を指しており、壮大なスケールの大社であったことが窺えます。また「銀幣社」にも指定(戦後の岐阜県独自の階級付け)
◎ご本殿の向拝には龍、懸魚には鳳凰の華麗な彫刻が施され、脇障子には仙人と松や瀧などが配されており、美濃市指定文化財に。

*2022年7月参拝時はご本殿の大改修工事中、彫刻等は見られません。完成は9月頃の予定。





残念ながらご本殿は改修中でした。

こちらが祭祀場。


全長7~8m程度はありそうですが、全容把握はできていません。

以下境内社を。

祖霊社のようです。


仮本殿。ガラス窓越しの遥拝となりました。


清流「板取川」を当社すぐ横から。近隣には鮎釣りや鮎の塩焼きなどの看板が多く見られます。