瀧神社 (美濃市乙狩)


美濃国牟義郡
岐阜県美濃市乙狩神矢洞
(境内に駐車可)

■祭神
水園象女之尊(ミナキメノミコト)

瀬織津比咩命
八百万神


美濃市の北西端、「乙狩(おとがり)」の山中に鎮座する社。標高は420mほど。すぐ側に「権現の瀧」があります(後ほど記事UPします)。
◎霊峰「高賀山(こうかさん)」(標高1224.2m)を囲んで建てられた「高賀六社」の一社。「長良川」の支流「板取川」のそのまた支流、「乙狩川」沿いに鎮座します。
◎「高賀」の山中に出現したという「さるとらへび」という妖魔。頭が猿、胴体は虎、尾は蛇という伝説の魔物。都から藤原高光公が妖魔退治に派遣されました。山での戦いに不馴れな高光公は高賀山大本神宮大行事神社を再建し、七昼夜にわたり祈願。妖魔を追い乙狩に来ると黒雲に覆われます。そこに「砥石河原」で作った矢(→ 上矢作神社の記事参照)を放つと雲は無くなり滝(「権現の瀧」のこと)へと辿り着きます。この滝近くの洞穴が妖魔の棲み家で、その後「瓢ヶ岳(ふくべがたけ)」で妖魔を討ちます。
◎これは当社に伝わる伝承ですが、高賀神社(高賀山大本神宮大行事神社、未参拝)等に伝わるのもほぼ同内容。ところが社頭案内板には高光公は2回に渡り退治しているとあります。1回目は赤毛の鬼、2回目は鳥の形をした魔物であると。「さるとらへび」とは異なる伝承。
いずれにしても高光公は滝に坐す神々が妖魔を追い払う夢を見たとのこと。そこで滝の畔に創建したのが当社と伝わります。
◎もちろんこのような妖魔が実在したわけではなく、社頭案内板においては「大洪水や大干魃等の異変を起こした…」とあるように、自然災害の原因を妖魔に求めたもの。
◎その社頭案内板にはこの出来事が天暦年間(947~957年)と伝わっていると書かれています。高光公の生誕は天慶二年(939年)、初めて都への昇殿が許されたのは天暦二年(948年)、以降順調に官位を上げています。妖魔退治伝承が史実であるなら、その間に当地へ下向したこととなります。なお高光公は三十六歌仙の一人として知られます。



駐車スペース。鳥居と近くの小さな社を参拝するため、一旦ここに停めました。ここまでの山道は整備がきちんとなされており、通行困難な箇所は無く、路面も美しいものです。

長い石段が続きます(今回は石段を登っていません)。



車で境内まで登りました。




拝殿前から鳥居方面を見下ろした写真。