上矢作神社 (関市洞戸菅谷)
(かみやはぎじんじゃ)


美濃国牟義郡
岐阜県関市洞戸菅谷1386
(社前に停め置きました)

■旧社格
村社

■祭神


関市の北西郊外、深い山々の谷地集落「洞戸菅谷(ほらどすがだに)」に鎮座する社。「長良川」の支流で、清流で知られる「板取川」のそのまた小さな支流が、参道を横切り流れています。
◎創建由緒については社頭案内板に以下のように示されています。
━━藤原高光公が洞戸村高賀山中へ妖魔退治に御下向の際、或る夜の夢に服部ヶ岳へ降臨された神々が現れた。神々は曰く「砥石河原」の近くに白羽の社がある。そこで矢を作り妖魔に向かえば妖魔は速やかに退治できようということであった。藤原高光公はさっそく砥石河原の辺りをおとずれると、そこに白い鳥の羽と箭(やがら)があったのである。高光公はこれで矢をつくり、妖魔にむかい無事妖魔を討伐することができた。
藤原高光公は神々から矢をいただいたところとして経津主神、八幡大神、級長彦神級長媛神火産日火神天水分神を御本神として建立し矢作神社とした。矢作神社は二社に分建されたが、この上矢作神社は高賀山の正面に位置する小山の据に建立されている。宝物として妖魔の牙の他、備前長船祐定作の太刀一口、獅子頭、鏡があり、現地も関係施設に保管されているが公開されていない━━
◎三十六歌仙の一人、歌人として知られる藤原高光公ですが、「洞戸村」の「さるとらへび」という妖魔退治でも名を馳せます。頭が猿、胴体は虎、尾は蛇という伝説の魔物。北東5kmほどの「高賀」の山中に棲んでいたとされ、そこは「瓢ヶ岳(ふくべがたけ、服部ヶ岳)」であると。
退治したという地には高賀神社(未参拝)が鎮座。そしてそちらを含む六社「高賀六社」が周辺に創建されました(瀧神社のみ参拝、後ほど記事UPします)。
◎当社は退治する際に作り用いたという鳥の羽と、「矢」の「やがら(先端の鏃と矢羽を除いた幹の部分)」があったと伝わる地。社頭には示されていませんが他資料によると、退治した矢も神宝として保管されているようです。
◎原始のご祭神は案内の六柱だったのでしょうか。現在は風神二柱のみに。ここで製鉄採鉱が行われていたのかもしれません。
二社に分建されたとありますが、2km足らず下流に矢作神社が鎮座しています(未参拝)。



長閑な農村地に鎮座します。



「砥石河原」というのがここから先のことかと思われます。