大名持神社


大和国吉野郡
奈良県吉野郡吉野町河原屋86
(境内西側にP有)

■延喜式神名帳
大名持神社 名神大 月次相嘗新嘗 の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
大名持御魂神
少名彦命


「紀伊山地」のほぼ中心点、「吉野川」の広い河原を社前に控え鎮座する社。
◎2~3kmほど上流には「吉野宮」が営まれ、また縄文・弥生人たちも生活していた「宮瀧遺跡」があります。遺跡の辺りで大きく蛇行を繰り返しており、当社前辺りは比較的緩やかな流れに。かつての神聖な禊場は今やBBQスポットと化しています。
◎ほとんど名の知れない社ながら、式内名神大社。また貞観元年(859年)に神階は正一位の極位に。これは極めて早期のもので、往時の由緒の高さが窺えます。
これは別格の伊勢神宮と宇佐八幡神宮(いずれも記事未作成)、そして賀茂別雷神社(記事未作成)と賀茂御祖神社、鹿島神宮と香取神宮(いずれも未参拝)、春日大社に次ぐもの。
◎創建時期は不明。「吉野宮」との関連を考えるのであれば、飛鳥時代には創建されていたかと思われます。
万葉集には「大穴道 少御神の 作らしし 妹背の山を 見らく良よしも」とあり、この時既に創祀はなされていたもよう。「大穴道」は大名持神であり、「少御神」とは少名彦神のこと。
◎背後に控えるのは「妹山」。別名は「忌山(いみやま)」であり、こちらが本来の意味かと。現在に至っても一切手を入れないようです。これは御神体そのものであり、もちろん禁足地。山頂には池があると伝わっています。
対岸や河原からは美麗な三角錐に見えるらしく、典型的な神奈備山であるようです(未確認)。人工美林の吉野の山々の中で、交通の便が良いにもかかわらず原始林的樹叢を残していると記す書も。
◎当社に関して、「大汝詣り」というのが知られます。これは十市郡(桜井市から橿原市)にかけての村々で、祭礼の前に当屋が当社へ参詣し社前の「潮生淵(しおぶち)」で禊後に河原の小石を持ち帰るというもの。「潮生淵」というのは、文字通り潮が沸くという伝承があったようです。