☆垂仁天皇 纏向玉城宮伝承地


大和国城上郡
奈良県桜井市穴師1067-1
(P無し)


第11代垂仁天皇の宮跡とされる伝承地。

穴師坐兵主神社を下ったところ(創建時は当地も社地内であったと思われます)、
父の崇神天皇の御陵や、御子の景行天皇の宮跡御陵、箸墓古墳(記事未作成)など、「纏向」の中心地。

御子の景行天皇 纏向日代宮伝承地は麓から奥へ100mほど登ったところ。こちらの史跡の充実した案内に比して、当地は素っ気ないもの。

この差は何なのでしょうか。

垂仁天皇は日子坐王の娘である狭穂姫を皇后とします(「沙穂彦王の反乱」が有名)。大和朝廷と丹後との関係が密接になります。
姫との間に生まれた誉津別命

その反乱で狭穂姫は自害。次に立后したのは丹波道主王の娘である日葉酢媛。
石上神宮の神宝の伝承で知られる五十瓊敷入彦や景行天皇、大中姫命、倭姫命などが生まれています。

他の妃との間に息速別命が生まれたり、「かぐや姫」のモデルとなった迦具夜比売を妃としています。

大和朝廷の早創期でもあり、いろいろな事象がある時代。
中でも最大のものは、倭姫命を初代斎王として天照大神の御霊の「処遇」を託したことでしょうか。

・狭穂彦の反乱
・天日矛神の神宝の献上
・石上神宮へ剣千振を奉納、五十瓊敷入彦に祭祀を委ねたこと
・田道間守を常世国へ派遣し不老不死の薬を探させたこと(【書紀抄録】田道間守の記事参照)
・話すことのできない誉津別皇子の処遇
野見宿禰神と當麻蹶速との日本初の天覧相撲
・野見宿禰神の進言により殉死風習の取り止め
・各地に神戸を定め、屯倉を設置

谷川健一氏によれば、製鉄鍛冶にまつわる事象の多い天皇であったと。

あらためて列記すれば、けっこういろいろとあるものです。
もう少し詳しい案内を施し、メジャーな天皇になって頂きたいものです。


(案内板背後の玉城山古墳群)