☆景行天皇 纏向日代宮伝承地


大和国城上郡
奈良県桜井市穴師475
(相撲神社より徒歩3分ほど)


第12代景行天皇の宮伝承地。

案内板にもあるように
この辺り(纏向)は初期大和王権の史跡密集地。

枚挙にいとまがないので触れませんが。

こちらの伝承地の史跡とは別に
50mほど西にも石碑が建てられ、内容の異なる案内板があります(さらに西には石碑のみのものもあります)。

もっとも詳しく、もっとも無難に案内されているのがこちらの史跡。

もう一つの方は穴師坐兵主神社の見解によるものであり、「秀真伝(ホツマツタヱ)」に触れているので掲載しません。


さて本題。

常識的には「どんな建物であったのか?」というのが、まず興味の湧くところ。

残念ながら私自身は建物というものに
ほとんど興味を示さないためノーマークでした。

記事を書く今の段階になって初めて
そういえば…と呑気な状態。
またあらためて勉強し直して記事の補足に挑みます。


さしあたり「信仰」と「思想」について。

「日代」という宮名から
「太陽祭祀(日祀り)」を連想せずにはいられません。

とにかく大和の国は
生活すべての根底に「太陽の運行」が関わっていたと考えています。

殊に纏向は第11代崇神天皇以降、大和のいわゆる首都であり、「太陽祭祀」のメッカ。
それを明確にしたのが小川光三氏ですが。

当地の真東に穴師坐兵主神社が鎮座します。
この社は三社が合わさってできた社で、元々当地に鎮座していたのは「穴師大兵主神社」とされています。

この穴師坐兵主神社も「太陽祭祀」に大きく関わっている社。

また真南には檜原神社が鎮座。

そうすると「山の神遺跡」の磐座も真南にあたるかと思われます。

「大和の原像」や「古代ヤマト祭祀の謎」が発行された時分はまだ、纏向遺跡の発掘が今ほど進んでいませんでした。

ぜひとも「日代宮」を含めた
氏の新しい「古代ヤマト祭祀」を見てみたいものです。