御前原石立命神社
(みさきはらのいわたつのみことじんじゃ)


大和国添上郡
奈良市古市町294-1
(駐車場代わりとなる数台分スペース有)

■延喜式神名帳
御前社原石立命神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
御前原石立命
(向かって右)崇道天皇 (左)春日明神


奈良市の市街地東部の丘陵地、「古市町」に鎮座する社。社域は東西に細長く、緩やかな丘陵斜面に社殿は設けられています。
◎創建由緒等は不詳。また式内社 御前社原石立命神社の比定社に宛てられているも、以下に記すように否定する意見も多いようです。ほとんどが不明の社といったところかと。
◎「大和志料」は、「長承二年(1333年)神宮預祐房注進状」と「応仁春日末社記」(不明)に既に春日大社紀伊神社に合祀されていると。そして「大和誌」が言う古市村に在り、こちらを式内社とする拠り所はないとしています。
◎一方で「式内調査報告」は同様の意見を述べつつも、当社起源についても触れています。石灯籠に「山神之御前」の銘があること、社名が「石立」であることから、古くは山の神の磐座が信仰されてきたと考えられるとしています。
そして平安末頃から春日大社との関係が生まれ、赤穂・島田・天乃石吸とともに勧請されて紀伊神社となったと。「赤穂」は高畑町の赤穂神社(記事未作成)、「島田」は八島町の嶋田神社、「天乃石吸」は夜支布山口神社の境内社 立磐神社または山添村峰寺の六所神社、別に柳生町の天石立神社説も。
◎「山の神の磐座…」については、境内の丘陵をくまなく探し回ったもののそれらしきものは一切無く、背後に控える小山の中に潜んでいるのかもしれません。
◎さらに「式内調査報告」は興味深い説を上げています。当社の東500mほどの「平尾池」の北岸に弁財天社という小祠が鎮座し、そこに立つ碑文に「平尾之山 距古市不遠之山間…」とあることから、当社祭神は「平尾山」に坐す神ではないかというもの。
どうやらこの書は、当社祭神が山の神であろうとすることに躍起になっていると思えなくもないですが。その弁財天社というのはGooglemapを見る限りは見当たらず、現在もあるのかどうか不明。
◎境内は古社の良い雰囲気を残しており、神社らしい神社という印象。今もなお厚く崇敬されているように見受けられます。

*写真は2017~2018年の冬と2021年8月撮影のものとが混在しています。