平素よりお世話になっております。
4年 日高 昴です。
僕は思いを言葉にするのがとても苦手ですが
最後のブログとなりますので
がんばって思いを綴っていきたいと思います。
拙い文章ですが、どうか最後までお付き合いください。
僕達は10月 7日(金) 辰巳国際水泳場で開催された『日本選手権』 という最高峰の舞台で引退しました。
週6日の練習生活を中学から10年間続けてきたので、
就寝前には
明日の練習は何時からかな〜?🤔
あ、、、、ないのか、、、
と、引退して3週間以上も経ちますが未だに実感が湧きません。
同期の引退ブログを読み、卒業旅行も行き、、
でもまだ何か夢を見ているのではないかと思う自分が正直居ます。
当たり前であった水球部の仲間との日々、
その世界から無理矢理離れ離れにさせれるような
そんな感情に陥ったりすることもあります。
僕は4年間で1度も
「練習に行きたくない」なんて思ったことはありませんでした。
根津くんの紹介にもあった通り【水球が大好き】過ぎるあまり水球オタクと呼ばれていました。
どんなに辛い基礎練が待ち構えている日でも、これを乗り越えれば新しいプレーの幅が広がる!なんて思いながら練習に行っていました。
結果的に、大変光栄なことに1年生からメンバーに入らせていただき、最後まで試合に出場させていただきました。
しかし、試合での僕は点を取る選手でも、鉄壁のDF力を持つ選手でもありませんでした。
それでも試合に出場できたのは、チームの特徴だったり選手個人の特徴を誰よりも知っているからだと思っています。
だからこそ誰よりも選手の長所を活かせるアシストやサポートプレーには自信がありました。
とはいえ、数字などでは分かりづらい僕のプレーは時に評価されないこともありました。
それでも僕はみんなと水球を楽しむことを忘れたくはなく、
自分自身は脚光を浴びなくとも試合に出ているチームメイトが伸び伸びとプレーできるようにと常に意識しました。
僕からのパスで得点を決めてくれた時は、得点したチームメイトと共に喜びを分かち合い、
チームがミスした時には、共に悲しみ、共に前を向くための鼓舞を送ったりしてきました。
悩むこともありました。
でも、昨年度の主将 永啓さんに
「プレースタイルを合わせてくれて、チームのために色々な状況に対応してくれる」
と言っていただけたことは、
自分自身のプレースタイルを認めていただけた瞬間であり、
自信に繋がりました。
永啓さん、力になる言葉をありがとうございました。
このブログを読んでくれている後輩達に僕から伝えたいことは、
水球はもちろんのこと
何か夢中になれることを好きになって欲しいと思います。
そして好きをどんどん掘り下げて、オタクになって欲しいと思います。
【 好きこそものの上手なれ 】
という言葉通りで、
好きになればどんなに辛いことでも乗り越えて、成長の糧にすることができると思います。
僕はそう思うことができました。
また、1年生の時に同期 片岡が言っていた
【 人生は絶対値 】
この言葉も僕はとても好きでした。
初めて聞いた時はよく分かりませんでしたが、
水球部を引退した日の夜、ふいにこの言葉を思い出し、
全てのことが繋がる瞬間に出会いました。
片岡ありがとね。
4年生となり最後のシーズン旗に、僕が書いた【挑戦】という2文字のスローガンの意味は
どんな時でも失敗を恐れずに【挑戦】していく姿勢を忘れないためでした。
僕自身のプレーをはじめ、動画編集を用いた広報活動や分析活動など、
部としては新しい領域にもたくさん挑戦してきました。
終わってみれば綺麗事のように言えますが、失敗も沢山してきました。
ですが、そのマイナスも最後はプラスの力に変わっていくことを知りました。
こんな自由奔放で、よく周りを不必要に巻き込む僕でしたが
部員達にはどう映っていたのでしょうか。
色々迷惑をかけてしまったこともありました、ごめんなさい。
こんな日高 昴という人間でしたが、
何かプラスになること、真似してみたいやお手本になれることが少しでもあれば嬉しいです☺️
長くなりましたが、
僕の4年間を支えてくれた歌の1フレーズを紹介して締めたいと思います。
嫌なことばかりではないさ
さぁ次の扉をノックしよう
もっと大きなはずの自分を探す
終わりなき旅
これはMr.Chirdren 「 終わりなき旅 」 1フレーズです。
どんなに辛く、嫌なことがあっても
今以上に大きな、素晴らしい自分が待っていると信じ
次のステップへ足を踏み出すことを後押ししてくれました。
水球部は引退しましたが、
僕はまだ人生という終わりなき旅の途中、
これからもこのフレーズを胸に旅を歩んでいきたいと思いますので、
これからも宜しくお願い致します。
最後に、僕にとって水球部で過ごしたの4年間は人生の宝物になる日々でした。
中学1年で水球を初めて10年、本当に水球を続けてきてよかったと思っています。
今の僕があるのはを日頃より温かいご支援ご声援をくださった監督、コーチ、OB、同期、後輩、
そして携わってくださった全ての方々のお陰だと思っています。
この場を借りして心より感謝申し上げます。
また水球と共にライフセービングへのご理解ご協力にも併せて感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
栗原監督、畔田コーチ、お世話になりました。
長くなりましたが読んでいただきありがとうございました。
また個別で御礼伝えさせていただきますが、
あと少し書かせてください。
古矢さん へ
このブログを読んでいただけるかわかりませんが、書かせてください。
古矢さんのお陰で大学まで水球を続けることが出来ました。
水球を1から教えて下さり、桐朋中高時代から慶應に遠征に連れて行って下さり、
ずっとサポートしていただきありがとうございました。
引退試合になった日本選手権でプレーしている姿を見ていただけてよかったです。
今後とも宜しくお願い致します。
田中 へ
中学1年生から10年間共に水球をやってきて、いつも大事な所で決めてくれる田中はとっても輝いていたし尊敬してます。
いつしか田中がどこにボールを欲しているのかも理解できるようになり、ここで預ければ点を決めてくれる強い信頼関係は最高でした。
沢山のパスミスをしてきた中で、田中へのパスミスは今でも「もう少し奥に出してあげれば、、」などと悔やむことの多々あったり、、
でも、早慶戦や日本選手権の大舞台でアシストすることが出来た事は一生忘れません。決めきってくれてありがとう!
これからも女房役でお世話になります💦
健太郎 へ
小学1年生で同じクラスになってから16年、人生の大半を同じ環境で過ごせてとっても幸せでした。
勝負事には妥協を許さない、超が付くほどの負けず嫌いで、やる時はやる健太郎を尊敬してます✨
プレー中も心配なくパスを出せたり、要求できたのも考えていることがいつも同じな健太郎だからこそだったなぁと振り返ったり🤔
いつも奇行を繰り返す僕に構ってくれてありがとう、ずっと大好きです☺️
そしてこれからも色々とお世話になります💦
古矢さん、ありがとうございました!
これから毎日会えなくなるのは寂しいね😢
家族へ
家族のサポートが無ければ、10年間続けることは出来なかったと思います。
いつも応援に来てくれたことはとても心の支えになりました。
お母さんには夜遅くに練習から帰ってきても、すぐに温かいご飯を出してくれたりと、
食事面でも支えてもらっていたから1度も大きな怪我をすることなく続けてこれたと思います。
1番のスポンサーでした、本当にありがとう。
今後もお世話になります!
福もありがとね☺️
それとSくん、Rくん へ
こんな僕を尊敬してくれたこと
よくコミュニケーションを取っていただけに教えてくれた時はとっても嬉しかったです!
同期との写真をちょこっと振り返り😘
1年生、初めての同期写真
早慶戦にてお揃いのユニフォームを着てパシャリ📸
みんな初々しくてかわいいね☝️
3年生、残り2年の折り返し
最上級生に近づいたり、就職活動があったり
何かと大変だったね😆
4年生、みんな最高の笑顔😁✌️
最後の早慶戦勝てて本当に良かった!
この写真が1番のお気に入りかな〜