チアリーディング部四年 E.S.・チアリーディング部四年S.K.

 

四年生のブログリレー第10弾、今回が最後の投稿になります。

 

應援指導部人生を終えようとしている四年生の”4年間と今”を皆さまにお届けします!

 

—————————————————————————

チアリーディング部四年 E.S(副代表)

ツール:ダンス、スタンツ、エール指揮

 

本年度、慶應義塾大学應援指導部副代表を務めました 四年チアリーディング部のE.Sです。

 

まずはこの一年間、應援指導部の活動へご支援、ご尽力いただきました皆様に感謝申し上げます。

そして、このブログのページを開いていただき、誠にありがとうございます。

 

拙い文章ではございますが、引退直前にしか書くことができない想いを綴らせていただきます。

最後までお付き合いいただければ幸いです。

ーーーーーーーーーーーーー

「最後」を迎えようとしている今、たくさんの想いを馳せて、青春の全てを懸けて走り続けてきたものの、何をしていいのか、どんな言葉を残せばいいのか戸惑っているというのが、本音です。

 

引退ブログということで、本当は、かっこいい言葉をすらすら書いて、誰もが感動するような言葉を残したいななんて考えていたのですが、正直、今の自分には無理でした。

引退を目前にすると、大好きなものを手放す直前になると、人はなぜかどうしていいかわからなくなるみたいです(笑)

 

副代表という役割に就いてからは面前でお話をさせていただくことが増えましたが、私が應援指導部員としてどのような想いで今日を迎えているかについてお話しする機会があんまりなかったかなと思います。

 

なので、今回は「私の應援指導部に懸ける想い」をお話ししたいと思います。

先にお伝えしておきますが、綺麗事ばかりではないです(笑)

綺麗ではない部分も含めて、私の應援指導部人生だと思っているので、本音ベースでお話しできればと思います。

ーーーーーーーーーーーーー

「自称:應援指導部ヲタク」

 

私は、一言でいえば「應援指導部ヲタク」でした。

入部前、毎日youtube上でチャンスパターンの動画を3時間以上見続け、終いには振り付けを全部覚える始末。当時在籍されていた諸先輩方も、画面越しに見るアイドルのような感覚でした(笑)

高校時代には、應援指導部に憧れに憧れた結果、チアダンス部を創設してしまいました。

 

今から思うと、應援指導部のどこにそんなに惹かれたのか即答することはできませんが、この愛だけは正真正銘で、「ソレイユ」や「慶應讃歌」を聞くだけで涙を流せるほどのヲタクを発揮していました(笑)周りには、今でもドン引きされています。

 

入部前、家で毎日のようにチャンスパターンをかけていたので、両親は頭がおかしくなる直前だったかもしれません(笑)ごめんね、お母さんとお父さん。

ーーーーーーーーーーーーー

「チアリーダーでいられなくたって、誰かの想いが報われるのであれば、本望。」

 

この一年間、私が常に思い続けてきたことです。

 

 

この数年で應援指導部は、大きく変わりました。

たくさんの人の想いが集う應援指導部だからこそ、いろいろな意味で、ひとつの大学の部活動とは思えないほどの想いが飛び交った3年間だったと思います。

上記でお話ししたように、とにかく憧れだったからこそ、その期待に裏切られたり、幻滅することも正直ありました。ここだけの話ですが。

 

練習に励んでいる中でふと隣を見ると、苦しんでいる同期がいました。

前を見れば、悔し涙を飲んで引退した諸先輩方がいました。

「心は常に元気じゃなかった」と、自分の存在意義を問い続けながらも、私たちの再スタートに人生を懸ける存在もいました。

 

私は應援指導部がだいすきで、だいすきで、何よりも應援指導部員がだいすきだったからこそ、この状況が悔しくてたまりませんでした。

 

「私には何ができるだろう。先頭を走る誰かの想いに全力で応えることだろうか。」

そんなことを考えに考えていた日々が懐かしいです。

どうしても当時の四年生の生き様を残したくて、二年生ながらにも

「あなたにとって慶早戦とは?」

なんて動画を、生意気にも作成し、SNSに投稿しました。

 

この想いを、この努力を、この苦労を、この苦しみを、ひとりでも多くの人に伝えること、そして、そんな彼らの想いを知っているからこそ、自分が1番応える。

まだまだ視野が狭かった二年生の私は、それがせめてもの誠意だと思っていました。

 

そして、ちょうど一年前。

ひとつ上の代からバトンを受け取り、自分たち代が四年生として部を引っ張る立場になりました。

 

私は副代表という役割に就くことになったわけですが、そこで1番感じたこと。

それは、「89年間の受け継がれた想い」です。

 

私はこれに気がついた時、自分はもうチアリーダーでいられないと思いました。

いてはいけないと思ったのかもしれません。

 

89年間の想いが詰まったエール指揮を振るのであれば、誰よりもそこに想いを懸けよう。

私だけでも、應援指導部のこの変革期から目を背けないで、逃げないで、向き合い続けよう。

どんなに苦しくても、自分がどうなっても、應援指導部だけは守ろう。

 

そう思っていました。

正直、この覚悟だけは譲れないし、誰になんと言われようとも私の四年間の集大成です。

 

この文言だけ見ると、すごい大それたことをしたようですよね。

でも、結果的に何かできたわけではありません。ごめんなさい。

 

むしろ私は應援指導部という立場でありながら、周りに応援されて今日を迎えました。

 

同じ役割として、應援指導部のこれからを死ぬ気で考えている同期2人がいました。

自分たちの存在意義に迷い続けて、それでもこの部に残る選択、大学を應援指導部に捧げる選択をしてくれた仲間がいました。

「いつもたくさんありがとう。ゆっくり休んでね😌」

と、泣き虫で弱虫な私のことを常に気にかけてくれて、絶対に私を見放さない近所の親友がいました。

「一緒に写真うつろうよ!」

と、集合写真を撮影する横で、スーツ姿でぽつんと突っ立っている私に声をかけてくれたチア同期もいました。

部の現状をそれぞれの立場がありながらも理解して、変革を底上げしてくれた、頼もしい下級生がいました。

「Eちゃんの努力は間違っていない。大丈夫。」

と、私の現状を頑張って理解してくれて、必死に背中を押してくれた存在がいました。

疲れ切った顔で登校して、研究内容にもこの應援指導部を持ち込んでも、それでも私の全てを察して、応援してくれたゼミの先生がいました。

 

應援指導部での自分というところに迷っても、キャンパスや応援に行けば、どんな時でも頑張っている體育會同期がいました。

「慶早戦2日目の最後に、あなたがエールを振ってくれてよかった。」

と声をかけてくれた方々がいました。

 

家に帰れば、ぼそっと「おかえり。」と低い声で出迎えてくれる兄がいました。

そして、この4年間だけでなく、19年間、私に1番の応援を届けてくれた両親がいました。

 

だから、私はチアリーダーでいられなくたって、應援指導部を守り抜くことができたのであれば、誰かの想いが報われたのであれば、本望。

 

やりたかったことを100%やって引退を迎えているか、と言われれば即答はできないけど、でもそれでもいいんです。

 

だって、私は應援指導部が大好きだから。

「チアリーダーでいられなくたって、誰かの想いが報われるのであれば、本望。」

もう華々しく散れます。これは綺麗事ではなく、本音です。

 

みんな、本当にありがとう。

應援指導部に入部してよかったな。

ーーーーーーーーーーーーー

ここからは私を全力で応援してくれた、「私の應援指導部」たちへメッセージを書かせていただきます。

 

家族へ

19年間、誰よりも応援してくれて、常に私を中心に色々考えてくれて本当にありがとう。誰よりも味方でいてくれてありがとう。

 

應援指導部に所属してからは、毎週末、車を飛ばして上京してくれてありがとう。

周りが羨ましくなって、

「一緒に住みたい、一緒に住もうよ」

って駄々をこねて、その度に辛い想いをさせてごめんね。

 

それでも、私を想い続けてくれてありがとう。

お父さん、お母さん、幸ちゃんの家族で本当に幸せだよ。

少しでも恩返しできていたらいいな。

19年間の集大成、ステージから感謝を届けるね。

 

他大学の同期たちへ

正直、四年生になるまでほぼ他大学との関わりがなかったから、最後のブログで

「他大学の同期へ」

だなんて項目を作っている自分に驚いています(笑)

でもそれだけ、みんなの影響力や存在が大きくて、戦う相手だったけど、向こう側に死ぬ気で踊り、振っている同期がいると思うと頑張れたし、実はずっと目標でした。

 

良きライバルでいつづけてくれてありがとう。

※撮影時のみマスクを外しています。

 

頼もしい、もはや下級生の域ではない、大切な仲間たちへ

この3年間、あなたたちの存在に数えきれないほど救われました。

いつでも、いつまでも、應援指導部の将来を信じて、先が見えない時でも、がむしゃらに生きてくれて本当にありがとう。

正直、あなたたちにかっこいい背中を見せられた自信はないし、みんなが入部前に思い描いていた「應援指導部」でいられているか少し不安にはなります。

 

来年からは、コロナウイルスの影響もしかり、さまざまな足枷が少しずつ解けていく年になると信じています。

 

私たち四年生は、13日で引退します。

ぜひ、私たちを踏み台にして、もっともっと高いところへ羽ばたいてください。

 

私は、三年生以下のみんなであれば、来年以降も全く心配していません。

絶対大丈夫です。

 

頼もしくて一人一人の存在感が圧倒的な新四年生。

真摯に部と向き合ってくれて、どんな時だって熱意で底上げしてくれた新三年生。

こんな状況でも應援指導部を選んで、1年間必死に食らいついてきてくれた新二年生。

 

本当にありがとう。

應援指導部で、あなたたちに出逢えてよかった。

 

最後、最高の笑顔とともにこの一年を締めくくって下さい。

みんなの勇姿、目に焼き付けます。

※撮影時のみマスクを外しています。

 

ともに駆け抜けてくれた同期へ

ここまで辿り着くまで、本当に長かったね。

 

きっと私たちは應援指導部の長い歴史の中でも、激動の4年間を経験したと思う。

でもそんな4年間が、あなたたちとでよかった。

 

応援活動で、練習で、大看板置き場で、部室105号室で、zoomで、定例会で、全部員ミーティングで、みんなの顔を見飽きるほど、毎日一緒にいたね(笑)

多分人生でともに過ごした時間は圧倒的一位の方々です。

 

でも、13日を境にみんなの顔が見れなくなると思うと、急に寂しくなってきちゃった。

こんな、人生で1番の1324日間をともにしたみんなとのお別れは寂しい。

きっと今みんなに会ったら泣いちゃうかも。

 

そんなみんなと引退前最後に、チャンスパターンでステージに立てて嬉しいよ。

定演では、みんなの最高の笑顔を目に焼き付けるね。だから、ぜひ目合わせてね。

 

應援指導部で、あなたたちに出逢えてよかった。

4年間、本当に、ありがとう。

※撮影時のみマスクを外しています

 

そして、

時には背中を押してくれて、今日ここまで手を引いて連れてきてくれた戦友へ

 

とうとうこんなブログであなたにメッセージを書く日がやってきてしまったみたいです。

私たちは、この1年間、いや去年の作サブ時代から何度言葉を交わし合ったことでしょう。深夜3時くらいまでお互いについて話したり、メソメソしたり(私だけかも)、その度に

「私たちって部の養分だよね〜」

とか言いながら、ボロボロになりながらも鼓舞し合って、眠い目を擦って神宮に立っていたね。

私が嘆くたびに、

「ううん、いつも話してくれてありがとう。私はあなたの全てを知りたいよ。」

って絶対に私を肯定してくれてありがとう。

あの夏の試合前。体調不良で立てなくなっていたけどそれでも無理やり試合に出向こうとした私に、心にない言葉をかけてでも私と部を守ってくれてありがとう。

私の全部を把握されているようで悔しかったけど、0から100まで知り尽くしているあなたはさすがだと思いました。ちょっとだけ、いや、すごい嬉しかったよ。怒ってくれてありがとう。

 

今回だって、いつだって、あなたはいつだって周りのため。

「じゃあ誰があなたのことを支えるんだろう、私だ」

って思ってやってきた一年だったけど、結局あなたには助けられてばかりで、何も返せませんでした。ごめんね。

 

今こうやってパソコンをぱちぱちしているけれど、ブログの文章は迷いに迷っても、あなたへのメッセージは自ずと出てくる、止まらないんだよね(笑)

私はまだ、あなたと駆け抜けていたいのかもしれない。まだ終わりたくないんだと思う。

なんか、急に引退したくなくなっちゃった。あなたの存在は本当にすごいよ。

 

でも、この定演だけは「代表」としてじゃなくて、あなた自身のことだけを考えてステージに立ってほしい。背負わせるつもりはないけど、私の分まで吹奏楽団としての時間を楽しんでほしい。

あなたが今年1番の笑顔で、パーカッションを叩いてくれることが、私の願い。

全部が終わったら、定演の幕の裏で感謝を伝えさせて。

まあでも、これはずっと1年間ずっと思ってきたことだから、ここでも伝えさせてもらおうかな。

 

「私の最高の戦友でいてくれてありがとう。」

 

應援指導部で、出逢えてよかった。

ーーーーーーーーーーーーー

気がつけば、ただただ私の想いを綴ったブログなのか手紙なのかわからないことになってしまいました。ここまでお付き合いいただきました皆様には改めて感謝申し上げます。

 

1336日。

これは私たち、令和四年度慶應義塾大学應援指導部 卒部生30名の軌跡です。

 

この激動だった四年間とも、とうとうお別れの時がやってきたようです。

でもその前に、最後の3時間。

明日の定期演奏会で、皆様に四年間の感謝をお届けします。

 

「四年間、たくさんの応援を、ありがとう。」

 

そして、2022年12月14日からは新生應援指導部として、また走り出します。

私が誇る下級生たちが、さらに應援指導部を前へ前へと導いてくれることでしょう。

来年度以降の應援指導部の応援も、どうかよろしくお願いいたします。

ーーーーーーーーーーーーー

M.Rへ

誰よりも諦めない心の持ち主。

最後まで、踊りもスタンツも応援も同期のことも諦めないでいてくれてありがとう。

努力家ってあなたのことをいうんだと思います。

毎日の筋トレも、マンションで踊るダンスも、三田の待機場所で踊るチャンパも、あなたの努力の賜物です。

そんなあなたと同期になれてよかった。

このブログだって企画してくれてありがとう。

 

あなたの應援指導部への熱い想い、最高です。大好きです。

定演、Mが全力で輝いているところ、目に焼き付けるね。

 

四年間、ありがとう。

 

R.Nへ

とにかく、ここまで應援指導部を連れてきてくれてありがとう。

あなたは実はとても大人だから、辛いとかしんどいとか絶対に顔にも態度にも出さなくて、本当に心配になりました。

ほぼ毎日会話していたのに、何もできなくてごめんね。

たくさんのプレッシャーや圧力、葛藤、いろんなものと戦わせてごめんね。

「それでも應援指導部が好き」と言ってくれてありがとう。

 

このタイミングで、あなたが應援指導部にいてくれてよかったと、私をはじめたくさんの人が思っています。

 

こうして一年間の集大成を迎えられて、部を守りきれてよかった。

同期になれて、同じ役割になれて、隣で戦えてよかった。

 

そのあなたの應援指導部員としての七年間の集大成、ぜひ見せて下さい。

 

四年間、ありがとう。


 

 


 

吹奏楽団四年(代表、広報)

ツール:パーカッション

 

應援指導部代表、広報を務めております、吹奏楽団S.K.です。代の終わり際の今、應援指導部に対する想いを改めて言葉に出来ればと思います。拙い文ですが、お付き合いいただけますと幸いです。

 

 

これまでの人生を振り返ってみると、とにかく、“部活人生”でした。そして、私は部活を通して、何者かになることをずっと目指してきていました。

 

小学校6年生の時、思い出作りにと入部した合唱団はかなりスパルタで、朝練、休日練、演奏会の日々に明け暮れていたら、そういう忙しい日々に身を置くことがいつの間にか当たり前になっていました。それから、声変わり(?)をしたのもこの時期で、出したくても出せなかった大きな声がある日ストンと出るようになったのです。今の私の声量を知っている人は考えられないかもしれないけど、小学生の私は声が小さすぎて、当てられて3回発言してやっと聞き取ってもらえるというレベルでした(笑)

 

次に入部したのは、水泳部。小学校から続けていた大好きで、自信のあった水泳で、一番になりたくて、一番になれると思って、熱心に活動していました。しかし私は一年生の冬に怪我をしてしまい、周りに大きく遅れを取ってしまいました。遅れを取り戻そうともがいて、自主練習を繰り返しても、何故かその差は全く埋まらず、大きな挫折を味わって水泳部人生は幕を閉じました。

 

私は挫折経験をそのままにしておけない人間なので、このまま何者にもなり切れずに終わることに耐えられませんでした。だからこそ、高校では新しいことを始めようと決意して、元々大好きだった音楽の世界に飛び込むことを決めました。

 

しかし、ここでも私は大きな挫折を味わうことになります。憧れの打楽器に対して、圧倒的なセンスの無さを発揮。上手くなるのは絶望的に思えました。自分の思い描いていた音楽人生とは異なる道を辿ろうとする予感を感じては、ふとした瞬間に涙をこぼしていた日々でした。そして、それだけではなく、私は高校の部活生活を通して、築かれた伝統を、音楽を壊してしまったというもっと大きな挫折がありました。高校生活最後の定期演奏会の夜、終わり良ければ総て良しなんて全く思えず、悔しいと号泣していたことを今でも覚えています。

 

そんなこんなで、私は部活をしながら、キラキラと輝く大物になることを夢見てきました。それでも失敗経験を重ね、自分はもう部活は、音楽はいいんじゃないか。そう思いながら、大学に入学しました。

 

それなのに私は、気づいたらもう、”應援指導部行き列車”のホームに立っていました。高校生の頃から大好きだった先輩から話を聞きながら、正直、「私には向いてるな」と感じていました。部活っていいものばかりじゃなくて、練習が多くて、友達とも、家族ですらも予定が合わず、一人だけ家族旅行に行けずじまいなんてことも、これまでありました。それでも私は、家族よりも仲間と多くの時間を共に過ごして、合理的かどうかなんてわからないけどがむしゃらに活動して、傷ついたり幸せになったりする部活というものに、とっくに心を奪われていました。これまで苦しい思いばかりしてきて、沢山傷ついてきたけど、それでも私にとっての青春は部活でした。最後の学生生活、挫折、吹奏楽、打楽器へのリベンジなど沢山の言葉が私の頭を駆け巡り、最後は自らの足で、その列車に飛び乗りました。

 

さて、こうして青春を諦めきれずに入部した私ですが、卒部を控えた今、その自分が全て報われているかというと、そんなことはありません。自分の事も、その他の事も、知りたくなかったことも知ってしまった四年間ではありました。私自身、熱量は高く元気なプレイヤーではありましたが、統括側としてどう振る舞えばよいのかわからず、学年を追うごとに、自分には何が出来ているのか、自問自答の日々でした。その上、この部で出逢った人々がすごすぎて、周りと比較してはへこんでいました。その葛藤は、今でも続いています。

 

私は代表として、一部員として、應援指導部に何かを残せたのだろうか。同期に、後輩たちに何か与えられたのだろうか。

 

答えはわかりません。何事も上手くいくわけではないということも、この四年間で思い知りました。それでも私は、ここまでの道のりを決して後悔していません。私自身がすごく報われた!という気持ちは正直あまりないけれど、それ以上に、人生至上最高の出逢いを沢山経験しました。報いたいと思える人達に出逢えました。

 

私は應援指導部員の事を、“戦友”だと思っています。沢山の困難に立ち向かいながら喜怒哀楽を共にしたこれまでは、戦いと呼ぶのに相応しい日々で、一緒に駆け抜けてくれた皆は、私の唯一無二の“戦友”です。

 

私が沢山幸せにしてもらったように、應援指導部に関わった皆さんには幸せになってほしいと思っています。なので、このブログの締めくくりとして、この部で出逢った皆さんに言葉を贈ります。

(撮影時のみマスクを外しています。)

一年生へ

これまで本当にお疲れ様でした。皆の大事な大学生活の大きなページに、應援指導部を選んでくれてありがとう。今既に部活を最大限楽しんでいる人も、少し葛藤している人もそれぞれいると思います。自分の選択を正解にするのは自分でもあるし、時には、周りの人でもあるから、一人で頑張りすぎず、誰かと繋がりながら活動してくれたらいいかもしれません。皆が報われる瞬間はそう遠くないと思うから、これからも是非楽しんでね。

 

二年生へ

二年生とは思えないバイタリティで、この部に多くの事をもたらしてくれました。皆のサブ代を部員として経験できないのが悲しいけど、ずっと見守っています。忙しくなっても、皆が二年生としてキラキラと輝いていたことは、確かな事実として、これからも残り続けます。過去に背中を押されて、羽ばたいてね。

 

三年生へ

最強の代だと思っています。コロナで半年経験が少ないのにも関わらず、沢山の事を成し遂げてくれました。不安も希望も沢山あると思います。ここから待ち受ける1年は、平坦な物ではないはずです。それでも私は、皆に應援指導部を好きでいてほしいし、楽しんでほしい。だからこそ、隣にいる仲間を大切に、皆らしく、やり切って下さい。心から応援しているし、困ったことがあったら何でも力になります。

 

四年生へ

尊敬できる人達でした。私にないものを沢山持っていて、たまに比べて苦しくなってしまうぐらい、すごい同期だったと思います。でもだからこそ、色んなステージとか、メイン台とか、この定演とか、皆の姿が、背中が、たくましく映って、頑張ってきてくれてありがとうっていつも思っていました。残り少し、皆の勇姿を目に焼き付けます。本当にありがとう。

 

広報へ

プレイヤー気質が強すぎたけど楽しかったね(笑)問いかけたら沢山話してくれる、めちゃくちゃ考えている二人が一緒にいて良かったです。引退後カメラ旅行こうね(^^)

 

三将へ

他でもない二人が三将でいてくれて本当に良かったです。最も私が尊敬する人達だと思う。二人の事を誇りに思います。一緒に駆け抜けてくれてありがとう。

 

先輩方へ

皆様のことが大好きでした。ずっと追いかけて、でも追いつけなくて、今ここにいます。どの学年になっても、皆様の顔を見れば、瞬時に後輩の自分が顔を出す、本当に温かい出逢いを経験しました。部を離れても、直接的に、間接的に支えて下さった皆様に沢山元気をもらいました。私もそんな先輩になれるように、恩返しの方法をこれから考えていきます。ここまで大変お世話になりました。ありがとうございました。

 

両親へ

離れていても中継とか見て応援してくれてありがとう。誰一人慶應には関係ない家系だけど、子どものやることを自分の事のように楽しみ、応援してくれる姿に本当に救われてきました。最後の慶早戦、見に来れて良かった。沢山支えてくれてありがとうございました。


 

まっすぐに夢を追いかける 君の瞳が大好きだよ そんな君と一緒にいれること 

今は大切にしたい 涙だって笑顔だって がむしゃらになった証だよ 

そんな君と一緒に生きること 僕は誇りに思うよ

 

應援指導部で関わった皆様に贈るのにぴったりだなと思った、大原櫻子さんの「瞳」を引用して、このブログを終わりたいと思います。

 

今まで出逢ったことのない素晴らしい人達に沢山出逢えた、素晴らしい四年間でした。誰一人として欠けては、この四年間は成り立ちませんでした。慶應に入って、應援指導部に入って、本当に良かったです。最高の景色を本当にありがとうございました。

 

 

R.Nへ

この1年間を経て、誰よりもあなたのことを信じる心が強くなりました。全てを背負って先陣を切って戦い続けてくれて本当にありがとう。ずっと尊敬してます。

 

M.Rへ

一年生の頃からずっとずっと踊り続けている姿、本当に印象的でした。今ステージの上でキラキラと輝く姿は本当に素敵だよ。全てが報われていると思う。沢山頑張ったね。最後の勇姿も見届けます。