百人一首に河原左大臣の歌がある。

河原左大臣こと源融は「源氏物

語」の光源氏のモデルである。

 

源融(河原左大臣)

河原左大臣こと源融。

嵯峨天皇(在位809-823)の第十

二皇子であった源融(822-895)

は、京の都の左京鴨川の畔に院を

営んだことから河原左大臣と呼ば

れた。源融は、皇位になることを

望むが、藤原基経に斥けられてい

る。天皇の側近で、太政官を構成

する三公のひとりが左大臣で、官

職名である。

 

河原左大臣の百人一首の歌(14番)

 

 

河原左大臣の百人一首の歌(14番)

 

みちのくのしのぶもぢずり

誰ゆゑに乱れそめにし

我ならなくに

 

直訳すると。

みちのく(陸奥)のしのぶ(信夫)

もぢずり(摺りのからんだ葉)のよ

うに、誰のためにわたしは乱れはじ

めたのでしょう。

あなたゆえに、どしょうもありませ

ん。

という意味になる。

「陸奥しのぶもぢずり」は、乱れを

導く序詞、「しのぶもぢずり」は、

福島信夫地方の乱れ模様に摺染めた

布。「そめにし」は、初めと染めの

掛詞で、「乱れそめにし」は、「し

のぶもぢずり」の縁語。

「我ならなくに」は、(心がみだれ

ているのは)わたしではなく、あな

たのせいですよと余情を効かせ、

省略の表現になっている。

 

 

河原左大臣(狩野探幽画・画帖)

 

源融「恋の歌」伊勢物語

紫式部は「源氏物語」のなかで宮廷

の若き男女の恋愛模様を書き、モデ

ルの歌が話題になる。

 

源氏物語が読まれた当初も主人公

モデルの歌として話題になり、「

伊勢物語」の最初の段に藤原業平の

歌は、この歌をもとに詠まれている。

かすが野の若紫のすり衣

しのぶの乱れかぎりしられず

 

源融(六条河原院)

造園に凝った源融は、風流人として

六条河原院の庭に陸奥塩釜の景色を

模してつくる。

北斎の画は、和歌ではなく世阿弥に

よる能「融」を題材にした源融の六

条河原院を描く。

その後六条河原院は寺となり、火災

でい幾たびかあい、荒廃してゆく。

 

 

北斎の画・融大臣(「詩哥写真鏡」)

 

 

源氏物語(光源氏と六条御息所)

「源氏物語」のなかで光源氏は晩

秋の嵯峨野の野宮の御息所を訪ね

る。

生霊事件以来、対面の絶えていた

二人。自分の気持ちはこの葉の色

のように変わらない、と榊(さか

き)を差し入れる。これをきっか

けに歌を交わすうちに、たがいの

心は千々乱れる。

はるけき野辺を分け入りたまふより

いとものあはれなり

 

 

 

源氏物語図(第十帖「賢木(さかき)」光源氏と御息所)

 

 

源融と大融寺

源融河原左大臣が建立した大融寺が

現在大阪に残っている。

承和10(843)年、河原左大臣源融

は八町四面の大融寺七堂伽藍を建立

し、その際、山号を佳木山とし、源

融の諱から寺名を大融寺と改めた。

 

 

源融の𦾔蹟碑がある太融寺(大阪府大阪市北区大融寺町3-7)

 

 

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