清少納言は随筆『枕草子』で知ら

れるが、歌人として「百人一首」

に選ばれた和歌がある。

 

 

清少納言

夜を込めて鳥のそらねは

はかるともよに逢坂の関は

ゆるさじ

 

真夜中の鶏の鳴き声をよそっても

だまされる人もいるでしょうが、

逢坂の関ではそれが通じないでし

ょう、通じるでようか。

 

と、言う意味になり、平安時代な

らでは時代の背景のもとで、歌を

詠んでいる。

この和歌の相手の男は藤原行成(

972-1028)で、彼は能書家とし

て三蹟のひとりとして知られる人

物で、多才多芸である。

 

清少納言と藤原行成

ある晩、大納言行成が清少納言の

邸に訪れた。「物語などし侍りけ

るに、内裏の御物忌にこもればと

ていそぎ帰りてつとめて(早朝)、

鳥の声にもよほされてといひおこ

せて侍りければ、夜ふかかりける

鳥の声は函谷関のことにゃといひ

つかわしたりけるを、立ちかへり

(折り返して)、これは逢坂の関

に侍るとあれば、よみ侍りける」

とある。(「後拾遺集雑の部」)

 

清少納言は、「鶏っていうのは、

鶏の鳴き声でだまして函谷関を開

けさせたっていうのでしょう」と

書くと、行成は「函谷関じゃなく

逢坂の関(男女の仲)です」と書

いておくってくる。そこで行成に

返した歌がこの歌。

夜を込めて鳥のそらねは

はかるともよに逢坂の関は

ゆるさじ

 

清少納言「函谷関(逢坂の関)」

清少納言は、このような藤原行成

の態度に対して、この歌に込めて

いる中国の故事がある。

斉(せい)の孟嘗君(もうしょう

くん)は従者とともに秦の国から

脱出を図り、夜中に函谷関にさし

かかったとき、一番鶏が鳴かない

と門が開かなかったので、部下に

命じ、ひとりが木に登り、鶏の鳴

き声をうまく真似たので、付近の

鶏が一斉に鳴き始め朝を告げた。

これに欺かれた門番が開門し、孟

嘗君は、無事に通ることができた

という故事である。

これを葛飾北斎は『百人一首うば

がゑとき』に描いている(1835-

1836)

 

 

葛飾北斎『百人一首うばがゑとき(清少納言)』の中国の故事

 

清少納言の歌(夜こめて)

夜をこめて鳥のそらねは

はかるともよに逢坂の関は

ゆるさじ

 

この歌は、夜中に女のもとに逢瀬

を重ねている中で、女が男をゆる

さじと恋慕が入り混じった心の内

を歌っているようだ。

 

 

 

狩野探幽『百人一首画帖』(清少納言)

 

 

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藤原行成と