京の都の宮廷で、暗闇の中で陰謀

を謀るといえば藤原兼家。

道綱母は、本朝三美人(他2人は

衣通郎姫、光明皇后)に選ばれる

美貌の女性で、兼家は浮気性であ

った。

 

 

藤原道綱母

 

 

藤原道綱母(百人一首)藤原兼家

藤原道綱母(936-995)は、陸奥

守藤原倫寧(ともやす)の娘。

天暦8(954)年藤原兼家の第二

妻となり、藤原道綱を産む。

藤原兼家は平安時代に女性に物語

や日記で書かれているが、藤原兼

家のことを「百人一首」のなかで

藤原道綱母が歌を詠んでいる。

なげきつつひとりぬる夜の

明くる間はいかにひさしき

物とかはしる

 

 

(あなたを待って)なげきつつ、

ひとりで寝る夜は、いかに明ける

までが長いかわかるでしょうか。

という意味になる。

 

(十遺集恋の部の)詞書きによ

と「入道摂政まかりにたりにける

に、門を遅く開ければ、立ちわづ

らひぬ、と言ひ入れて侍りければ」

とある。

藤原道綱母「蜻蛉日記」

道綱母の「蜻蛉日記」によると。

夫が町の小路の許に通っているこ

とをかぎつけ、兼家を門に入れる

ことを拒み、翌朝ことさらに色あ

せた菊の花を添えて歌をおくり、

兼家は結局その夜は、そのまま立

ち帰る。

とあり、返歌として「げにやげに

冬の夜ならぬ真木の戸も遅く明く

るはわびしかりけり」と歌を返し

たことになっている。

また、道綱母の歌の前書きに「入

道摂政門をたたかせ侍りけるに、

おそくあければ、立ちわづらひぬ

と侍りければ」とあり、男の性急

さを憐れみ、女心の内底を打ち明

けた歌になっている。

 

藤原道綱母と藤原道綱

兼家と道綱母との子・藤原道綱。

道綱は妾妻腹の子として、末弟

藤原道長に公家昇進出先を越さ

れる。

和泉式部は、道綱を「あわれを

知る人」と歌に詠む。

道綱母は「蜻蛉日記」に「大人

し過ぎるおっとりした性格」と

いい、勅撰歌人として4首入首

された道綱は母の血筋をひく。

 

 

藤原兼家と藤原道綱母(大河ドラマ「光る君へ」)

 

藤原道綱母(百人一首)

天禄5(974)年まで20年間の兼

家との結婚生活を道綱母は「蜻蛉

日記」に綴る。

百人一首(百人秀歌)は前書きつ

きで、選ばれたわけでなく、闇の

中でふたりが通じ合う姿が現れ、

けなげな女の心の奥底を詠む歌。

なげきつつひとりぬる夜の

明くるまはいかにひさしき

物とかはしる

 

 

百人一首(百人秀歌)53番(道綱母の歌)

 

 

 

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