和泉式部は平安時代の越前守大江

雅致の娘で本名、正確な生没年と

もに不明だが『和泉式部日記』は

じめ歌集などで和泉式部のことを

知ることができる。

 

 

和泉式部(狩野探幽・画帖)

 

和泉式部と紫式部

真情にあふれる作風の和泉式部は、

情熱的な恋歌が多く、同時代の藤

原公任が、赤染衛門と並び称賛し

ている。

紫式部は和泉式部についていう。

口に任せたる言葉は「目にとまる

読み添え侍り」と、高く評価する。

 

和泉式部は若い頃から歌人たちと

の交流があり、源融(光源氏のモ

デル)の旧宅であった河原院の場

に通い、若い頃から歌人たちとの

交流があった。

藤原道長(摂政・関白)からは「

浮かれた女」と評価され、紫式部

には、「恋文や和歌は素晴らしい

が、素行には感心できない」

と批評される。

 

和泉式部(恋多き女性)

情熱的な恋をした和泉式部。

彼女は恋多き女性で、夫との間に娘

がいたが、年下の為尊(ためやす)

親王と恋し、夫と離婚し、親からも

勘当される。のち為尊親王が若くし

て亡くなり、落ち込む。ところ

が為尊親王の弟・敦道親王に言い寄

られ付き合う。

その後藤原道長の娘・中宮彰子の女

房として仕え、藤原保昌と再婚する

が、恋人がいたのか多くの恋歌を詠

む。

 

和泉式部(百人一首)

和泉式部の百人一首の歌

あざらむ此よの外の思出に

今ひとたびのあふ事もがな

 

わたくしの命は長くはない。

この世を離れるせめてもの思い出

にひとめだけでも逢うことはこと

はかなわないでしょうか。

という意味になる。

 

 

 

当初この歌がおさめられた「後拾

遺和歌集」の詞書には「心地例な

らず侍りける頃、人のもとにつか

はける」とある。

和泉式部はいつもとは違い、「あ

ざらむ」つまり生きていないだろ

う、どうか「この世の外」、死後

での世界での思い出になるように、

もういちど逢うことはできないだ

ろうか。と思い、恋人に歌をおく

ることになる。

 

 

葛飾北斎『百人一首うばがゑとき(和泉式部)』

 

Enjoy和泉式部

あざらむ此よの外の思出に

病床にいる和泉式部、重体で、死

を前にして、あの世への思い出に、

逢瀬をかさねてきたたあなたに

今ひとめ逢いあなたに抱かれ、夢

の世界でまどろみたい。

あざらむ此よの外の思出に

今ひとたびのあふ事もがな

 

ひとめだけでも逢うことはことは

叶わないでしょうか。

と、恋人におくった和泉式部の歌。

 

 

和泉式部

 

 

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