紫式部の娘の歌が「百人一首」に

ある。

大弐三位こと藤原賢子(たかこ)

は、紫式部の娘である。

 

大弐三位

大弐三位(だいにのさんみ)は

生没年不詳。3歳の頃、父藤原宣

孝と他界、16歳で母・紫式部と

死別。

18歳頃一条天皇の中宮彰子(道

長の娘)に仕え、藤原定頼らと

の貴族と交際があった。

 

 

大弐三位の百人一首の歌(58番)

 

大弐三位の百人一首の歌

有馬山ゐなのささ原

風吹けばいでそよ人を

忘れやはする

 

この有馬山の歌は、後拾遺集恋

の部に「かれがれなる男の、お

ぼつかなくなるいひたりけるに

よめる」とあり、図々しくも女

の心を疑ってよこしたのでこの

男に返事する形で詠んだ歌。

 

有馬山ゐなのささ原風吹けば、

(そよ)そうですよ、(いでそ

よ人を忘れやはする)私があな

たを忘れたりしましょうか、い

や忘れはしません。

と恋の歌で返している。

 

藤原定頼

権中納言定頼こと藤原定頼。

藤原定頼(995-1045)の父は、博

学多才で知られた藤原公任。

 

 

藤原定頼が詠んだ百人一首の歌(64番)

 

藤原定頼が詠んだ百人一首の歌

朝ぼらけ宇治の川霧

絶えだえにあらはれ渡る 

瀬々の網代木

 

夜が明ける頃、宇治の川面の霧が、

上がって晴れてゆくと、遠くにま

た近くに網代木(川の浅瀬に打っ

た杭)網代木が現れてくる。

という意味になり、絶えだえには

川霧とあらはれ渡る掛詞で、宇治

川の冬の風物詩が現れている。

 

百人一首(宇治)

撰者・藤原定家

「百人一首」の撰者・藤原定家は

『源氏物語』の愛読者で、33歳の

とき、その感動を詠んだ歌。

春の夜の夢の浮橋とだえして峰に

わかるるよこぐもの空

 

宇治は源融(光源氏のモデル)の

宇治別荘から藤原頼道の平等院創

建の地で、源氏物語の宇治十帖の

ヒロイン浮舟が、薫君と匂宮との

三角関係に悩んだ末に、宇治川に

投身自殺をはかった舞台の地とな

る。

藤原公任が盛名を誇ったのは、源

氏物語が後宮でもてはやされ始め

た頃で、藤原定頼の宇治の情景を

詠んだ歌を藤原定家が百人一首に

とりあげる。

 

 

 

宇治川沿いの京都宇治の「宇治十帖の像」

 

大弐三位

源氏物語の紫式部の娘が、藤原

定頼と恋したその後。

彼女は、関白・藤原道兼の次男・

兼隆と結婚し一女をもうける。

この頃御冷泉天皇が誕生し、大弐

三位は、乳母に抜擢された。

天皇の乳母の権力は絶大で、彼女

は従三位、典侍(ないしのすけ)

と出世し、太宰大弐(太宰府長官)

だった高階成章と再婚し、大弐三

位と呼ばれる。

紫式部の娘、女流歌人の大弐三位

の百人秀歌。

有馬山ゐなのささ原

風吹けばいでそよ人を

忘れやはする

 

 

 

紫式部の娘大弐三位

 

 

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